「はぁ、緊張するぜ」
俺は予定の場所に、予定よりも一時間早く来てしまっていた。
後一時間あるというのに、心臓はバクバクとうるさい。
「あれ?もう来てたのぉ?」
「あれ!?由美先輩ももう来たんですか!?」
「ふふっ、ちょっとねぇ。もしかして待たせちゃった?」
「全然待ってないっすよ。さっき着いたばっかっす」
「なら良かった。じゃあさっそく行こっか」
俺は思わず由美先輩の格好に見惚れてまう。
紫色の浴衣に普段は見ない、濃くはないが化粧しているのだと分かる化粧姿、それに上の方に高く結えられているポニーテール。
どこを見ても満点の可愛さをしている。
「どうしたの?行かないのぉ?」
「いや、ちょっと見惚れてて」
「だれにぃ?」
「そりゃ勿論由美先輩っすよ」
「ふふっ、誠一君は恥ずかしいこと普通に言っちゃうんだから」
「恥ずかしくないですよ」
「誠一君にとってはそうなのかもね。ほら、行くよ」
由美先輩が振り返り、歩いて行ってしまう。
俺はその後ろ姿を立ち上がって慌てて追いかけた。
俺は何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。
===
「それにしても誠一君が祭りに誘ってくれるなんてビックリしたよぉ」
「俺も由美先輩が祭り一緒に行ってくれるなんておもいもしなかったっすよ」
「思いもしなかったのに誘ったの?」
「いや言葉の綾ですよ。ちょっとは来てくれるんじゃないかなぁって期待してました」
「ふふっ、誠一君は正直だねぇ」
「正直なのが取柄なんで」
「それは良いことだねぇ」
少し、無言の時間が続く。
俺は思い切って考えていたことを話してみる。
「由美先輩、一つお願いがあるんですけど」
「お願い?なんでもいいよ。先輩だからね。あっ、でも大変なやつはNGだよ」
「いや、そんな大変なお願いじゃないと思うんですが」
「それならいいよ。どうしたの?」
「えっと、その...」
俺は緊張してなかなか言い出せない。
いや、頑張るんだ男誠一。
「手...繋いで歩きませんか...?」
「手?別に良いよぉ」
そう言って日奈先輩は俺の勇気が小さく見えるほど、いきなり俺の右手を握る。
由美先輩の手は、少し冷たかった。
それとは反対に、俺の顔は熱くなるばかりだ。
「由美先輩、着物似合ってますね」
「そう!?これ着付けするのにいっぱい時間かかっちゃったんだよぉ?」
由美先輩は笑いながらこちらに顔を向ける。
「着付け大変そうっすもんね」
「そうなんだよぉ。でもそれもこれも誠一君のためなんだよ?」
「え?」
「え?じゃないよぉ。一緒に祭り回る相手の為に着る決まってるじゃ~ん。どう?この着物、似合ってる以外の感想ないのぉ?」
由美先輩は振袖を持って一回転する。
そして下から俺の顔を覗き込む。
「似合ってる以外の感想...」
そりゃ勿論、数えきれないほど出てくる。
出てくるが、俺の恥ずかしいという気持ちがそれを押しとめてしまっている。
「ないのかぁ。寂しいなぁ私」
「めっちゃ可愛いです!それに大人っぽくて可愛いのに美人って感じです!」
俺の恥ずかしいという気持ちは、決壊した。
「ふふっ、そこまで言ってくれるんだ。嬉しい」
由美先輩は振袖で口元を押さえる。
その仕草も、たまらないほどに可愛かった。
「あっ、あれ美咲ちゃんと健吾君じゃない?」
「ん、どれどれ...ほんとじゃん。あんな所でどうしてるんだろ」
「どうしてるんだろって、やっぱりデートじゃない?」
「デ、デート... 」
つまり、俺と由美先輩のこの状況も、デートといえるかもしれないということだ。
「りんご飴持ってどうするんだろ...あーーー!!」
由美先輩が驚いた表情で口を隠す。
俺は由美先輩の視線の先を見ると、そこには衝撃の場面が繰り広げられていた。
そこには、健吾と美咲さんが一緒のりんご飴に被りついており、そして両者の顔の距離はだんだんと近づいていると言う状況だった。
あの調子で行けば、キスまで行ってしまうんじゃないだろうか。そう思わせるほどに。
「見せつけてくれるねぇ」
「そっすね」
「誠一君そんなまじまじ見ちゃ失礼だよ」
「あっすいません」
俺はすぐに顔を背けた。
ちらっと由美先輩の方を見てみると、一見手で目を押さえているように見えるが、指に隙間が開いている。
つんつん、と俺は由美先輩のお腹を突く。
「わかったわかったから。お腹突かないでぇ」
===
「ねぇねぇ、私たちもあれしたくなぁい?」
「あれって?」
「さっき美咲ちゃんたちがやってたやつ」
「えっ、それですか!?」
俺の脳にさっきの記憶が呼び起される。
「いや...かな?」
「いや全然嫌じゃないっす!むしろ嬉しいぐらい」
「嬉しいはちょっと違うんじゃないかなぁ」
由美先輩がむすっとした表情を見せる。
「じゃあ私買ってくるね」
そう言って由美先輩が駆け足でりんご飴の屋台に出来ている列に並んだ。
===
「買ってきたよ~」
由美先輩はりんご飴を持って駆け足でこちらに近づいてくる。
「じゃあしよっか。さっきのやつ」
「ほ...ほんとにするんですか?」
「今更ひよってるの~?」
「いやっ、ひよってるわけじゃないんですけど...」
「あっ、やっぱ負けた方が罰ゲームが必要だよね!」
「罰ゲーム?」
「うん。罰ゲーム。先に食べるの辞めた方が次の屋台おごりね!」
「どっちとも辞めなかったらどうなるんですか?」
「その時は罰ゲームなしかなぁ」
俺の戸惑っている気持ちなど気付いていないようで、由美先輩は前髪を左手で耳の後ろにかけながら、一回、りんご飴を齧る。
「食べないの?誠一君の負けになっちゃうよ?」
「た、食べます!」
俺も負けじとりんご飴を食べ始める。
口の中に飴の甘さが広がる。
ちらっと前を見ると、そこには目を瞑りながらりんご飴を食べる由美先輩の顔がすぐ近くにあった。
由美先輩の目がゆっくりと開き、由美先輩と目が合う。
由美先輩の目が笑う。
ドキドキしすぎて恐らく俺の表情がガチガチだろう。
だんだんとりんご飴が小さくなっていく。
もう由美先輩の長いまつ毛と俺のまつ毛が触れそうなほどだ。
俺と由美先輩の唇を遮るりんご飴はもう1cmあるかないかぐらいだ。
「粘るねぇ誠一君」
「俺勝負事は負けたくないタイプなんで」
「ふふっ、私もだよ」
カリッと、美咲さんがりんご飴を噛む音が聞こえる。
あと一回齧れば、俺の唇と由美先輩の唇はくっついてしまうだろう。
由美先輩が目を閉じて最後の一齧りをしようとする。
俺は思わず顔を背けそうになるが、ギリギリで踏みとどまる。
ガリッと由美先輩がりんごを噛む音が聞こえる。
そしてその瞬間、俺の唇をある感覚が襲う。
「いったぁ...」
「えっあっごめん。もしかして唇嚙んじゃった?」
「はい...まぁでもあんまり深く噛まれてないんで大丈夫です」
唇に触れるが、指に血はついていない。
「ごめんね。こんなことになるとは思ってなくて... 」
「ははっ、それは俺も同じですよ」
「それに誠一君は絶対に途中で顔背けると思ってたから...」
「由美先輩の期待を良い意味で裏切ったってことですね!」
「ふふっ、そうだね」
由美先輩は小さく笑った。
===
「花火キレイだねぇ」
「迫力もすごいっすね」
「私こんな近くで花火見るの初めてかも」
「俺もこんなに近くで見るの久しぶりです」
バンッ、ドカンッと轟音が俺の耳を突き抜ける。
そしてキレイな花火が空に打ちあがっていく。
俺はこの花火で、とあることを決めていた。
由美先輩を誘った時点で、泣いても笑っても絶対にすると決めていることだ。
ちらっと隣を見る。
花火に照らされている由美先輩の横顔も、キレイだった。
「由美先輩」
俺は勇気を出して話しかける。
「ん?どうしたの?」
そして真正面から見る由美先輩の顔もまた、キレイだ。
「俺...由美先輩に言いたいことがあるんです」
「ふふっ、いいよ」
「俺...由美先輩のことが...」
勇気を出せ、勇気を出すんだ誠一。
そう俺に鼓舞するが、なかなか次の言葉が出てこない。
「言いたいことが....あったんです」
「...うん」
「俺...俺....」
だめだ。やっぱり今は無理だ。
「由美先輩にたこ焼き上げたくて買ってきたんですよ。だから食べてくれませんか?」
「えっ!?えっ!?....えっ!?分かった...まぁいいけど」
由美先輩の頬がぷくっと膨らんで、少し怒った表情を見せているような気がする。
「こ、これです」
俺は左手に置いていたたこ焼きパックを取り出し、由美先輩に差し出す。
「食べさせて」
「え?」
「だ~か~らぁ。食べさせて!ほら」
由美先輩は目を閉じて口を開ける。
俺は戸惑ってしまって手が止まる。
「あ~あ~口が寂しいなぁ」
小さく由美先輩が目を開けて、ちらちらとこちらを見てくる。
俺は慌ててつまようじにたこ焼きを刺し、由美先輩の口にたこ焼きを放り込む。
「ほ、ほいひいね」
由美先輩は口元を隠しながら、咀嚼していく。
ドカンッと大きな花火の音が響く。
「言いたいことって、それだけぇ?」
「は、はい!」
「ふ~ん。そっかぁ」
由美先輩は唇を尖らせ、またちらちらとこちらを見てくる。
「臆病者」
そんな由美先輩の声は、花火の轟音の中に消え、誠一には届かなかった。