屋敷の空気が何か今までと違っているように思えた。ここ数日は自分の部屋で過ごし、なるべく人と出会わないように気を付けていた。ドタドタと足音。
お止めください、チャールズ様!
このように強引に…!
扉が急に開かれる。振り向くとチャールズが居る。チャールズの顔が違って見える。チャールズはドタドタと私の所へ歩いて来ると言う。
「貴様!マリーに何をした!」
急に怒鳴られ驚く。
「何をしたって…。何もしていません。」
言うとチャールズは私の胸元を鷲掴みにする。
「マリーが泣いている!君が大事な物を壊したと!」
大事な物?壊されているのは私の方だ。
「離して頂けますか、チャールズ様。」
チャールズはハッとして私を離す。
「す、すまない、こんな事をするつもりは…」
初めてチャールズが謝った。その事に少し驚く。
「私はこの数日、ずっと部屋におりました。食事も部屋で一人でしています、マリーの顔も見ていません。」
チャールズが自分の手を見つめている。乱れた胸元を直す。
「私はつい先程、君の父上に君との婚約解消を申し込んだ。」
そう言われて笑う。
「そうですか、それは大変でしたね。」
チャールズが私を見る。
「君の父上は快諾してくださった。」
まぁそうでしょうねと思う。
「で、マリーとはいつ婚約を?」
チャールズは自分のしている事が信じられないという表情をしている。こんな表情、今まで見た事が無かった。
「すぐにでもしたいと思っている。」
私は微笑む。
「そうですか、心からお祝い申し上げます、チャールズ様。」
そこでチャールズが呟く。
「俺は一体、何を…。」
そして踵を返して部屋を出て行く。何かおかしい気がした。でも、と思う。婚約は解消された。一番大きな障壁が消えた事になる。
ギリギリと歯噛みする。婚約解消?そんなの困るわ。どうして暴走するの!今までちゃんと制御出来ていたのに。指輪を壊された事でバランスが崩れているんだわ。どうしましょう。どうしたら良いの!
私はルーク様から渡されたタイを肌身離さず、ずっと身に付けていた。タイを渡された時にくれぐれもタイを肌身離さず持っていてくれと、そう言われたから。数日過ごすうちに使用人にも変化があった。今までずっと私を避けるか、蔑んでいた使用人の態度が変わっていた。皆、一様にきちんと節度を持って接するようになった。今までの回帰とは違う。
そこからまた数日して、父に呼ばれる。父の書斎に行く。
「マリーとチャールズの婚約が決まったよ。」
父にそう言われて私は微笑む。
「そうですか、それは良かったです。」
父は私に微笑む。
「こうしてやる事がお前に対しての贖罪になれば良いのだが。」
贖罪?父はまた表情を引き締めると言う。
「話はそれだけだ。」
「お嬢様、お手紙です。」
封が切られていない。珍しいなと思う。いつも私の所へ来る手紙は私の所へ来る前に誰かが中身を見ているから。封蝋は真っ青でルーク様のものだと分かる。封を切る。内容はあと少ししたら領地に戻る、今、滞在しているホテルに私を招待したい、その時に今後の事を相談したいと書かれていた。日時と場所。そこで待っていると。胸が躍った。ルーク様にお会い出来る。
待ち合わせの場所に行く。ルーク様が待っていらっしゃった。
「お待たせしましたでしょうか。」
言うとルーク様は私の手を取り口付けながら言う。
「いいえ、俺が待ち遠しくて早く来過ぎたのです。」
ホテルの部屋に案内される。部屋にはもう一人、従者の方がいらっしゃった。
「この者は私の腹心の部下、シャッテンといいます。」
シャッテンは私に深々とお辞儀する。
「はじめまして、グレース様。」
腹心の部下の方も見目麗しいのだなと思う。ルーク様は私にソファーに座るように促し、自分も私の横に座る。そして一つ、息をつくと話し出す。
「これから話す事はこの一週間ほどで調べた内容になります。貴方にはとても信じ難い内容でしょう。」
ルーク様が私の手を取る。
「貴方には呪いがかかっていた。」
呪い?そう言われて私は笑う。確かにそうかもしれないと思う。
「そうかもしれないですね。」
言うとルーク様が微笑む。
「やはりお気付きになっていたか。」
シャッテンがお茶を入れてくれる。
「貴方の家はおかしい。あなたに初めてお会いした時に貴方から呪いの残穢が見えました。」
お茶の良い香りが漂う。
「残穢…。」
言うとルーク様が頷く。
「それほど強い呪いでは無いようだ。離れれば離れるほど、その効力は薄れる。」
その時、ふと疑問に思う。
「離れれば離れるほど…?」
聞くとルーク様が頷く。
「呪いはおそらく、貴方の妹君がかけている。妹君から離れれば離れるほどに弱くなるのです。」
それを聞いてあぁ、と納得する。
「貴方にお渡ししたタイは持っていますね?」
そう言われて私は胸元からタイを出す。
「はい、いつも肌身離さず、身に付けて欲しいと言われて、こうしてずっと。」
ルーク様が微笑む。
「貴方は賢い。全てを言わずとも理解してくださると思っていました。」
私の持っているタイをルーク様が手に取り、シャッテンへ渡す。シャッテンはそのタイを小さく畳んでパン!と叩く。黒色の埃のようなものが舞い上がり消える。
「ホンの一週間ほどでこれか。」
ルーク様が言う。
「シャッテン、新しいものを。」
シャッテンにそう指示して、ルーク様が私を見る。
「先程、俺は呪いがかかっていた、とそう申し上げました。」
かかっていた、という事は。
「既に解呪されている、という事ですか?」
ルーク様が頷く。
「そうです。今の貴方には呪いの残穢は見えません。」
そこでルーク様が少し言い淀む。
「おそらくは俺と契りを交わした事で解呪されたのだと。」
少し考える。
「あの時、媚薬入のお香を炊かれた、とそう仰っておられましたね。」
ルーク様が頷く。
「そうです、そして私にその類の幻惑が効いていれば、俺はあの場で貴方の妹君と関係を持っていたでしょう。自分の意志とは関係なく。そうすれば、もしかしたら貴方への呪いが強まった可能性がありました。ですが、俺には幻惑は効かない。更に、その後、その呪いの対象である貴方とそうなった。」
ルーク様が私の頬に触れる。
「あの時、俺は呪いの込められている妹君の指輪を破壊しました。その事で屋敷内のバランスが崩れていると思われる。」
シャッテンが新しくハンカチ、そして小さな箱を持って来る。
「これには呪いを反転させる効果があります。それからこれは。」
そう言って小さな箱を開ける。中には指輪が入っている。
「穢れを浄化するダイヤモンドと、私の愛の証であるクンツァイトで作らせました。」
ダイヤモンドの周りに薄い紫色に光る小さな石がはめ込まれている。
「クンツァイト…」
ルーク様は微笑んで私の指にその指輪を収めながら言う。
「クンツァイトの石言葉は“無償の愛”です。」
ルーク様を見上げる。
「こんなものまで…」
ルーク様はまた私の頬へ触れる。
「貴方を守りたい。あの家は崩壊します。その前に貴方を掻っ攫う。」
ポロッと涙が零れる。
「三日後、貴方を迎えに参ります。それまでにはお荷物など、整えておいてください。有無を言わさずに貴方を連れ去ります。」
私の指に収められている指輪にルーク様が口付ける。ふわっと薄い紫色の光の粒が舞う。
「その間はこの指輪とハンカチが貴方を守る。」
そして私の頬に手を添えてルーク様の顔が近付き、口付ける。