「一華、無理してない?」
登校最中、にて叶は一華にそう問いかける。
「急にどうしたの? 私は全然大丈夫だよ」
「ならいいんだけど」
叶の心配する気持ちとは裏腹に、一華は控えめな笑みを浮かべた。
「へへっ、叶ちゃんは優しいよね」
「なにそれ」
「だってだって~、いつも私の心配をしてくれるじゃない?」
「そりゃあ、友達なんだから当たり前でしょ」
「そっか~、ふふ~ん」
一華は叶のその言葉に頬がゆるゆるになり始める。
「変なものでも食べた?」
その奇妙な表情の変化に、叶はつい言葉を刺す。
「なにそれ酷くない?」
「それにしても、最近の一華は一味違った感じに見えるんだよね」
「そう、かな? 私、只今成長中であります」
「おかしくなった?」
「もーっ!」
ぷんすかぷんすかと鞄を上下に振って感情を露にする一華。
対する叶は、その小動物のような動きについぷぷっと笑ってしまう。
「叶ちゃんこそ無理してたりしてないの?」
「いや別に」
「軽っ! でもさ、今の状況は少し大変かなって思うことはあるけれど、すっごく楽しいんだ」
「――わかる。私もそう感じてる」
「だよねだよね、なんだかこう、すっごくね!」
珍しく無邪気に騒ぐ一華を見て、叶もつられる。
「私ね、他の人からはなんてことのないことなんだろうけれど、少しだけ変われたと思うんだ」
「そんなことないよ。私はちゃんとわかってるから」
雲一つない空、2人はいつも通り言葉を交わす。
道の端を歩く主婦は、子供を連れ、片方の手にはパンパンに詰まった買い物袋を持っている。
反対側を見れば、小学生が列を成して集団下校。
のどかな時間が流れる。
戦いなんて、ダンジョンなんて本当はないんじゃないかと思ってしまうほどに。
「私ね、実は少し前まで、冒険者なんて目指すのやめちゃおうかなって思ってたんだ」
「え……」
唐突な告白に、叶はつい足を止めてしまう。
それに気づいた一華も足を止めて振り返る。
「冗談じゃないんだよね。私さ、こんな性格だから、自分のことだけで精一杯だし周りに迷惑をかけてるってのは薄々わかってたんだ。もちろん、叶ちゃんにもね」
「……」
「だから、これから先のことを考えたらいっそのこと諦めた方がいいんじゃないかなって、ね。だって、今は良いのかもしれないけれど、たぶん、本当のダンジョンに行ったら私みたいなのってすぐに死んじゃうと思うんだよね」
「そんなこと……」
「叶ちゃんは優しいからそう言ってくれるけれど、でも、現実的に考えたらそんな未来は近いうちに訪れると思うんだよね」
叶もわかってはいても、頭のどこか端っこに追いやってしまっていた。
いや、誰しもがわかっていながらも意識しないようにしていること。
楽しいだけじゃいられない、いずれは直面する現実。
「私は弱いから、ずっと叶ちゃんが傍にいてくれるんだって、そう思ってたんだ。そんなわけないのにね」
「でも――」
「うん、きっと叶ちゃんだったらずっと一緒にいてくれると思う。だけど、他の人はそうじゃない。役立たずの居場所はないからね」
その先に待つものを叶は理解できる。
こうしてパーティを追い出され、また新しいパーティへ入ったとしてもこれの繰り返し。
盾クラスというだけ需要は高いけれど、それだけでは役不足となってしまう。
もしも2人だけでダンジョンに入ったところで、生活できるだけの稼ぎを得られる保証はない。
その行き着く先は廃業。
今の叶には解決先を導き出せず、口を結んで目線を下げる他なかった。
「でもね、こんな私でも変わりたい、変わらなきゃって思って。独りで悩んで、苦しんで。そんな時、夢を見たんだ」
「夢……?」
「うん。そこでね、私の憧れの人が背中を押してくれたんだ」
「そんなことが……」
「本当は、何も変わってないのかもしれない。変わったつもりになっているのかもしれない。だけど、ほんの少しだけ、たった一歩だけ、前に進めたような気がしたんだ」
一華の目に偽りはなかった。
叶へ向けられる視線は、ひとときも揺れることはなかった。
叶は「何を言い出すかと思えば」という言葉を飲み込む。
冗談じゃない、幻想を語っているわけでもない、本心を語っているとわかったから。
「いいや、一華は変わったよ。そして、これからも変わり続けるよ」
「えへへっ、そうかな」
「間違いないよ」
(いやいや付き合ってたわけじゃないのに、なんだろうこの気持ちは。肩がスッーと軽くなったような、体が軽くなったような。こんなに近いのに、なんだか一華が遠くに行っちゃったような)
「そんなに見つめられたらちょっと照れくさいよ」
「――そうだね、歩こ」
再び肩を並べて歩き始める。
「本当に今更なんだけど、叶ちゃんって普段からどんな練習してるの?」
「特に何もやってないよ」
「え? えぇ……そんなのないよぉ……」
盛大なため息に肩を丸める一華。
同じナイトとして参考にできることがあれば、と訊いたものの、まさかのダメージを負ってしまう。
「私も負けてられないね。この際、私も何かやろうかな」
「うぐっ」
「どうしたの」
見えない剣に貫かれた一華は、突き刺さる胸を抑える。
当然、外から見れば急におかしなことをしているようにしか見えない。
「叶ちゃんって、前々から思ってたけどそういうところあるよね」
「どういうところ?」
「もしかして……」
一華はふと思う。
今の今までチクチクと刺してくるような言葉の類は、無意識に放たれたものだったのでは、と。
「やっぱり変なものでも食べてお腹痛いの?」
(ふっ。私、めげないよ)
「叶ちゃん、さっきからそれこだわりすぎじゃない!? 私、そんな意地汚くないよ?!」
「そうじゃないの?」
(わ、私、めげ……ない、よ)
一華は目線を上げ、空に誓う。
空いている右手を胸の前で握り、少し涙目で。
そんなこんなしていると、いつもの分かれ道に辿り着く。
「あ、一華。一緒に何か始めてみる?」
「ん~、例えば?」
「一緒に走るとか、放課後に残って情報交換するとか、一緒に勉強するとか?」
「どれも魅力的だね。でも、とりあえずは自分だけでやってみるよ。いきなり走るってのもできないし。まずは、勉強と筋トレをやってみる」
「そっか、わかった」
「でも、せっかくだから、夏休みに入ったら何かやってみようよ」
「いいね、賛成。――あ、でも、学事祭で最優秀パーティになっちゃったらどうなるんだろうね」
「あー、たしかに。どうなのかな、私たちってどこまでやれるんだろうね」
一華は両人差し指で頭をコネコネ、コネる。
「私、いけると思うよ」
「お……おぉ……。叶ちゃんが珍しいこと言ってる」
「そう?」
「う、うん。現実的なことしか言わないあの叶ちゃんが……」
「なにそれ。人を変な風に言わないでよ」
「でも、叶ちゃんの言ってることわかる気がする。なんかね、このパーティなら……いや、みんなとならなんだかいけちゃうんじゃないかって、そう思うよね」
「そうそう。気が合うね」
一華と叶は互いにクスッと小さく笑う。
「みんなに負けないよう、頑張らないとね」
「だね」
一華が手を大きく振り、叶は小さく手を振り返した。