「うげぇ……ほんとに行くの?」
「かなちゃんって病院嫌いだったっけ?」
今日はしおりお姉ちゃんとの約束通り、耳鼻科に行こうとしていた。昨日までは平気だったが、いざ行こうとなると今更実感がわいて怖くなってくる。
「いや、そうじゃないけどさぁ……げふっ」
「じゃあ行こ?」
「うん……」
病院に着いて受付を済ませ、待合室の椅子に座って呼ばれるのを待つ。待っている時間はすごく長く感じる。
「かなちゃん、大丈夫?」
「うーん……けほっ、平気だけどちょっと怖い」
しおりお姉ちゃんはそんな私の様子を見て、優しく背中をさすってくれた。なんだか優しくされて嬉しいような、でもそこまでしてもらって申し訳ないような……私は今まで体を壊したことがなくてあまり病院に行く機会がなかったから怖くても仕方ないのかもしれないが、注射の順番待ちで不安になる子供のように接されて少し恥ずかしかった。
「かなちゃん、呼ばれたよ」
「え、あ……」
色々と考え事をしているといつの間にか順番が来ていたらしい。私はしおりお姉ちゃんに手を引かれて診察室に入った。
「今日はどうしたの?」
「ちょっと喉の調子が悪くて……」
「そっか、じゃあ口開けて」
「あー……」
先生が口を開けるよう指示を出してきたので、それに従って口を開ける。配信者は喉が大事とはいうが、まさか自分も検査をされる側になるなんて思わなかった。転生前はよく推しやその周りのVTuberたちが「声帯結節をやった」だの「声が出にくくなった」だのという話を耳にしたことがある。
しかし、私は頑丈な方だと思っていたのでそんなこと自分の身に起こることはないだろうとたかをくくっていた。しかしいざこうなると、重大な疾患があるんじゃないかとか、これからVTuber活動ができなくなったらどうしようとか、そういう不安がどんどん湧き出てくる。
「んー……ちょっと荒れてるね。でも軽度だから心配はいらないよ。喉になるべく負担かけないようにね」
「はい」
私は先生の問いかけにはっきりと頷いた。
「薬を出しておくから、また来週いらっしゃい」
「ありがとうございました」
先生の診察は想像していたよりも早く終わった。診察室を後にして待合室に戻る途中、私はしおりお姉ちゃんに話しかけた。
「……しおりお姉ちゃん」
「どうしたの?」
「なんか、付き合わせちゃってごめんね」
病院へ行こうと言い出したのはしおりお姉ちゃんだが、そうなる原因を作ってしまったのは私だ。だからこそ、そのことについてちゃんと謝っておきたい。
私の謝罪を聞いたしおりお姉ちゃんは、優しく笑って答えてくれた。
「気にしないで、ボクもかなちゃんが心配だったからさ。それに、もし重い症状だったらって不安だったんだよね。なにもないみたいでよかった」
そう言って頭をなでてくれる。この手つきは私を安心させようとしてくれているのだろうか。その気遣いが嬉しくて、私はしおりお姉ちゃんにさらに身を寄せた。しおりお姉ちゃんの体は温かくて、私の不安を少しずつ溶かすように寄り添ってくれた。
「……今日はかなちゃんの料理食べたいな」
「うん、任せといて。美味しいの作るから」
私はそう言ってしおりお姉ちゃんから離れた。
「こほっ……しおりお姉ちゃん、帰る前にちょっと買い物したいからスーパーに寄ってもいい?」
「もちろん、一緒に行くよ」
帰り道、スーパーで今日の晩御飯とお菓子の材料を買い込み、しおりお姉ちゃんの家に寄る。そして買ったものを整理した後はしおりお姉ちゃんと一緒に晩御飯の準備をした。今日作るのはしおりお姉ちゃんの大好きなカレーだ。
しおりお姉ちゃんと一緒に材料を切って炒めて煮込む。こうして料理をしていると、不思議と気分が落ち着くような気がする。それは多分料理に集中できているからなのだろう。今まで私は配信のことを考えすぎていたのかもしれない。だから不調にも気づいていなかったのだ。
「かなちゃん、なにか考えてる?」
「え? いや、別に……」
しおりお姉ちゃんが私の顔を覗き込んできた。私は慌てて取り繕って答えた。しかし、しおりお姉ちゃんはそんな私を見逃してはくれなかったようだ。
「……もしかしてさ、配信のこと考えてたの?」
「……うん」
私は観念したように小さく頷いた。するとしおりお姉ちゃんは優しく微笑んで言った。
「そっか……でも大丈夫。ボクがいつでも相談に乗るからね」
「うん、ありがとう。しおりお姉ちゃん」
私はそう言って、しおりお姉ちゃんに抱きついた。いきなりだったからか少し驚いたようだったが、すぐに抱きしめ返してくれた。その温かさと優しさは私の不安をゆっくり溶かしていき、気づけば私はしおりお姉ちゃんの胸の中で涙を流していた。
「落ち着いた?」
「……うん」
しばらくして私が泣き止むまでずっと抱きしめてくれていたしおりお姉ちゃんは、私の頭を優しく撫でながら聞いてきた。
「かなちゃん、配信で何か悩んでるの?」
「違うの……これからどうしようか不安で……」
今回は大事にならなかったが、もしかしたらこの先配信者生命に関わるようなことがあるかもしれない。そう考えるだけで怖くなった。VTuberは声が命。その命の声を潰す可能性を見過ごすわけにはいかない。
「かなちゃん……」
しおりお姉ちゃんは私の頭を撫でながら少し考えてから口を開いた。
「配信で何か不安なことがあるならボクに言って? ボクはかなちゃんの味方だから」
「……うん」
私はしおりお姉ちゃんの言葉に小さく頷いて、再び彼女に抱きついた。しおりお姉ちゃんは私を抱き返して言った。
「大丈夫だよ、かなちゃんは一人じゃないからね」
そんな優しい言葉をかけてくれるしおりお姉ちゃんがいてくれることが本当に嬉しかった。
「うん、ありがとう」
私はそう言ってから改めて決意を固める。今は配信のことで悩むのはやめよう。起こってもいないことを気にするのはメンタルにも悪影響だから。それよりも、もっとしおりお姉ちゃんのことを大事にしていこう。その方がきっと幸せだろうから。私はそんな思いを胸に秘めてしおりお姉ちゃんに抱きついた。しおりお姉ちゃんの腕の中はあたたかくて安心する。このぬくもりをいつまでも感じていたいと、そう思った。