第百十五話 決戦への覚悟

 西ヶ崎高校は、傍から見ればバラバラだ。


 県大会の決勝戦が終わりを迎える今、俺達は全員その場に集まっていない。


 疲れ切ってる来崎はともかく、武林先輩は休憩室から一向に出てこない。東城や葵たちも観戦席に座って見守るだけで、佐久間兄弟の盤面を見ることはない。


 全員、違う場所にいる。みんなバラバラだ。


 俺はそんな彼らの夢を知らない。その先で目指していく目標を知らない。


 葵がプロ棋士を目指すためにこの大会で頑張っているというのは知っている。だけど、それ以外の部員の真意を俺はまだ知らない。


 初めから夢なんて持っていない者もいるだろう。部活の一環で入っている者もいるかもしれない。


 でも、この大会で優勝するという気持ちだけは皆同じなはずだ。その気持ちさえあれば、今は問題ない。


「……」


 俺はそんなくだらない憂いに浸りながら、佐久間兄弟の対局を覗く。


 ──それは、一瞬だった。


「うそだっ……」

「あ……そんな……」


 僅かに緩んだ隙間をかいくぐるように放たれた凱旋の子供たちの一手は、それより前から用意されていた佐久間兄弟の罠に嵌って一気に瓦解する。


 籠城戦から迎撃戦へ。相手の隙を突いたつもりの一手が、一転攻勢の要因となった。


 湯水のごとく溢れ出た金銀財宝を手に、佐久間兄弟は王手ラッシュを仕掛ける。


 ──なるほど、自分から決めにいくのではなく、相手の策を全て潰してから勝ちに行く。実に合理的な作戦だ。


 これは、格上が格下にジャイアントキリングをさせないために取られる手法だ。


 格上は下手に攻めず受け切りを狙う。格下は無理やり攻めて相手のミスを誘う。それが将棋における鉄板の法則。


 しかし、実際にそれを成立させる力があるということは、佐久間兄弟の実力は目の前の凱旋道場の神童たちを遥かに凌いでいることになる。


 この1ヵ月間、いくら集中して勉学を詰め込んだとしても、短期間でこれだけ強くなるのは不可能だ。


 元々将棋指しとしての素質があったのか、あるいは成長を著しく促進するほどの勉強法があったのか。


 誰かが二人にスパルタで教えたって話は、案外脚色されていないらしい。


 ……なんにせよ、味方としてはこれ以上ないほど頼もしくなって帰ってきたのは間違いないな。


「まけ、ました……」

「まけました……」


 狙っていた策を全て打ち砕かれたのか、子供二人はほぼ同時に投了した。


 「ありがとうございました」

 「ありがとうございました」


 佐久間兄弟も頭を下げて挨拶を返す。


 そして、決勝戦が全て終わったことを知った周りのスタッフたちが会場内を激しく動き回る。


 ──ついに、黄龍戦の閉幕だ。


 それまでざわめき程度の声量だった会場内が一気に騒然となって呼び声や足音が飛び交う。


 中には拍手をしている者もいて、半ばお祭り騒ぎのような雰囲気となっていた。


「渡辺真才君」


 そんな雑音が飛び交う中、不意に背後から話しかけられ、俺は振り返る。


 そこにいたのは、今大会の責任者である立花たちばなとおるだった。


「本当に、申し訳なかった」


 立花はその場で頭を下げて俺に謝罪する。


「今回の一件、君達はずっと被害者だったのにも関わらず、私は保身に走って出場停止を命じた。これは許されない事だ」


 自らを戒めるように素直な謝罪を口にする立花。


 そんないかにも大人らしい謝罪をする彼をみて、俺は少しばかり怒りがこみ上げる。


「謝罪の意も兼ねて、君にかけられた不正の疑いについては我々が責任をもって対処する」

「結構です」

「……」

「ネットをご覧になられましたか? もう渡辺真才を不正者として疑う者はほとんどいません。今のあなた方にできるのは、世間の声に追従して渡辺真才は不正を行っていなかったと世に発信することくらいです」


 いつもの素面の状態だったら、きっとここまで言い返すこともなかった。


 だが、今の俺は決勝後ということもあってアドレナリンがかなり出ている。


 緊張や不安といった危機感が薄れ、強気な感情が口から漏れ出ていた。


「……随分と、怒っているのだね」

「当然です」

「どうすれば許してもらえる?」

「それを考えるのが責任者としての仕事では?」

「……」

「理不尽だと思いますか? ……俺はその理不尽をあなた方から受けたんですけどね」


 俺の言葉に立花は口を慎む。


 厳格な風格から見せるその表情は、本当に何も言えないといった表情だった。


「──と、子供みたいな駄々をこねても仕方ないので、後は武林先輩……武林勉に会って話の折り合いをつけてください。このチームの責任者は彼です」

「……分かった」


 そう言って、立花は軽い会釈をしてその場から去っていった。


 そして同時に、それを傍から見ていた東城たちが駆け寄ってくる。


「ミカドっち……!」

「大丈夫だった? 脅されたりしてない?」

「そんなことされてないよ、大丈夫」


 心配そうな顔で見つめる東城たちに、俺は苦笑いしながらそう返す。


 そうしている間に感想戦が終わったのか、佐久間兄弟も席を立ってこちらに接触してきた。


「よう、お疲れ」

「うん、お疲れさま……何?」

「いーや?」


 隼人の好戦的な笑みがなぜか俺の方に向けられる。


 それはまるで、食べられるだけだった草食動物が、強大な力を手にして肉食動物に襲い掛ろうとする目だ。


 これは俺も、うかうかしていられないな。


 対する魁人はその後ろで興味無さそうにあくびをしていた。


「それにしてもアンタたち、随分と鬼畜な戦い方をしたわね?」

「あれが一番確実な方法だったんだよ」

「ふーん」


 佐久間兄弟の成長が窺えたのか、東城は少しばかり嬉しそうに隼人を見ていた。


「……そうやって上から観察するのも今のうちだぞ東城? これまではずっと目の上のタンコブだったが、今の俺の実力ならアンタにだって勝てるぞ?」

「それはどうかしら?」


 なぜかバチバチに火花を散らす東城と隼人。


 そんな二人を見かねてか、さきほどまであくびをしていた魁人が隼人の頭を叩いた。


「いてっ! んだよ兄貴」

「そういうのは部活中にやれ。それにここは邪魔になるから一旦戻ろうぜ」

「そうね。来崎たちも待っているだろうし、戻りましょ」

「さんせーっす!」

「ったく、最後まで戦ってやったってのに二人も休憩室にいるのかよ……」


 そう言って休憩室に向かっていく東城たちの背中を眺めながら、俺は一歩遅れて歩き出した。


「さて……」


 俺は静かに目を閉じ、思考の中の定跡書を再整理する。


 疲労は既にピークに達し、思考回路はボロボロになっている。


 それでもまだ限界ではない。まだ苦痛ではない。


 ならば、戦える。まだ成長の『余地』がある。


「ここで満足していちゃ……全国は取れないからな」

 

 ただ勝つだけなら、目の前の戦いに全力で挑めばいい。


 しかし、その先にも戦いが続いているのだとしたら、限界を超えるタイミングを逃すわけにはいかない。


 俺の目標は県大会で勝つことでも、ましてや全国大会で勝つことでもない。


 もっと先にある夢を掴み取るために、今できることを全てなさなければならない。


 そうでなければ、"約束"だって守れないだろう。


 実力をおごるな。限界を決めつけるな。自分は常に成長し続けているのだと信じ続けろ。


 そうして進み続けた先に、かつての自滅帝は名を馳せることができたんだ。


「どうしたの? 真才くん」

「ううん、なんでもない。いこう」

「ミカドっち、もう疲労困憊で朦朧もうろうとしてるんじゃないっすかー?」

「はははっ、そうかもね」


 今後の予定についていろいろと話し合う東城たちの輪に入り、俺も楽し気に適当な雑談を挟む。


 そんな中で、俺は静かに脳内で定跡の復習に入っていた。




 ──女王に挑むのであれば、それ相応の覚悟をしないとな。