渡辺真才の正体は自滅帝である。
その衝撃の事実は、各所SNSや掲示板で瞬時に拡散され、多くの者達の注目を集めた。
これまで多くの悪評を書き込まれ、証拠の無い誹謗中傷や批判が多発していた渡辺真才という人物。そんな渡辺真才の正体が、あのネット将棋界最強のプレイヤーである自滅帝だと証明された。
つまり、彼の不正を疑った多くの者達はとんでもない間違いを犯したことになる。
それと同時に、渡辺真才を不正者だと誹謗中傷していた者達は、自滅帝を支持する者達により一斉に吊るし上げられた。
そしてそれらが捨て垢や複垢といった簡易的なアカウントであることが多く、意図した工作が見受けられたことから、今回の事件の発端は誰かが裏で糸を引いていたんじゃないかという考察まで出始める始末だった。
「……自滅帝……自滅帝だと……ふざけやがって!」
誰もいなくなった大会の会場で、環多流は一人机に拳を叩きつけていた。
あの伝説の存在が、自滅帝が、こんなにも間近にいたことに環多流は未だ納得できずにいた。
「この俺をここまでコケにしたこと、タダで済むと思うなよ……!」
既に満身創痍でありながらも、そんな環多流を突き動かしていたのは怒りという感情だけだった。
「渡辺真才が無理だったとしても、今度は自滅帝に対する悪評を出してやればいいだけだ……!」
懲りずにまた工作をやろうとする環多流。
そんな環多流のスマホにひとつの着信音が入ってきた。
「あ……?」
環多流は不機嫌な様子で電話に出ると、その先の相手に息が詰まった。
『随分とやらかしたな、ワタル』
「……っ!?」
環多流の表情が一気に固まる。
電話の相手は──銀譱委員会のトップに座る老人だった。
「こ、これにはワケがあったんだ。俺は──」
『問答は不要だ。貴様のしでかした証拠が既に露見している』
「は……?」
証拠の露見、それは環多流にとって自分が傷を負う唯一の弱点だった。
今回の件、どう転んでもその責任は事の発端である明日香に押し付ければいい。それが環多流にとって最善最良の尻尾切りであって、これがあるからこそ環多流は再び立ち上がれる希望を抱けていた。
だが、電話の先から告げられた一言はその希望を打ち砕く。
「そ、そんなバカな! だ、誰がそんなことを……!?」
『貴様もよく知る人物だ。追い詰めた鼠に噛まれているようでは飼い主は務まらんな』
環多流は口をパクパクさせながら必死に思考を巡らせた。
自分が渡辺真才を不正者に仕立て上げて、西地区全体を棄権させる策略。これを知っているのは銀譱道場の面々だけである。
つまり、そのメンバーの誰かが裏切って情報を吐いたという説が濃厚だろう。
では誰が裏切らせたのか、そんなことができる人物はいるのか。そんな疑問は簡単な答えに行きついた。
今この場にて絶対的な発言権を持っているのはただひとり。そう、ただひとりだけである。
「ま、まさか、渡辺真才が……」
震える。悪寒がする。恐怖に慄き絶句する。
環多流はようやく自分が対峙していた者の恐ろしさを知った。
相手にしてはいけなかった。戦ってはいけなかった。ましてや陥れようなんて論外である。
知略で長けている自分を超える人間がいるとすれば、同じ知略に長けた存在。自滅帝ならその程度の読みを行うことくらい可能だ。
『彼が証拠を持ってこちらに連絡を図ってきた。回避する選択肢はいくつもあったが、私たちはひとつの答えを出すことにした』
「な、なにを……」
『私たちは本件に一切関与していない。遊馬環多流が勝手にやったことだ。全ての責任は彼にある』
環多流は目を見開く。
『失望したよ、ワタル。貴様は今日限りで銀譱道場を永久破門だ』
その言葉を最後に、通話は途切れた。
環多流にとっての唯一の希望、頼みの綱が切られてしまった瞬間だった。
「……くっ、クソォオオオッッ!! あぁああぁああああッ……!!」
環多流はその場に崩れ落ちて叫換した。
※
温泉上がりの牛乳は格別らしいが、俺は牛乳を飲んでしまうとすぐにお腹を壊す体質なので中々手を付けられない。
……が、牛乳自体は好きなのだ。
なので今回ばかりは手を付けさせてもらおう。
「……ぷはぁー! 想像していたよりうまい!」
「なんだよコーヒー牛乳かー? 邪道だな~」
俺の隣で佐久間魁人が牛乳を飲みながらそう告げる。
「これは敢えてコーヒー牛乳にすることで、後の腹痛を抑える作戦なんだよ」
「いや大して変わんねーだろ」
そんなくだらないやり取りをしながら、先に部屋へと戻っていった武林先輩たちを追うべく俺と魁人も脱衣所を出た。
「そういや次の相手は南地区だっけか」
「確かエースの名前は……天王寺魁人、だったかな。もしかして双子?」
「なんでだよ、同じなの名前だけだろ、苗字ちげーだろ。知らねーよ」
3連コンボで否定され、俺は思わず笑ってしまう。
「それにしてもお前の正体が自滅帝だって事の方が驚いたぞ。隼人なんか自滅帝の正体はどこかの企業が秘密裏に作り出したAIとかだと本気で思ってたからな」
なにそれ怖い。俺AIだと思われてたのかよ……。
「なんで今まで黙ってたんだよ?」
「別に自慢するようなことじゃないし、聞かれなかったから」
「聞かれなかったって、誰もお前を自滅帝だとは思わねぇぞ……。まぁ、あの遊馬環多流を騙したくらいだからな」
「あぁ、そういえばその件についてまだお礼を言ってなかったよ。こんな俺のために動いてくれてありがとう」
「気にすんな。最初にお前と会ったとき馬鹿にした贖罪とでも思ってくれ」
魁人ははにかみながら、そう口にした。
そんな調子で俺と魁人は部屋へ向かう広々とした廊下を歩いていると、一人の少女が掛けるように横を通り過ぎ、そのまま俺達の前に立った。
どこかで見た顔だと思えば、明日香だった。
「……あ? 確かこいつ、明日香だったか?」
魁人の言葉にビクッと震えた明日香は、泣きそうな顔で俺を見つめると、そのまま深々と頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……っ!」
「……なんのつもりだ?」
そんな明日香の突然の謝罪と思わぬ行動に、俺は怪訝な表情を浮かべた。