「ゲームやる!」
当時3歳くらいだった俺は、それまで甘やかして育ててくれた父に初めてのおねだりをした。
「いいぞ~! ちょうど真才の誕生日が近いからな! 父ちゃんが何か買ってやろう!」
そう言って父が初めて買ってくれたゲームは、パズルゲームだった。
今にしてみれば少しセンスが質素すぎる気もしたが、当時の父はゲームなんて詳しくなかったし、きっと一生懸命考えて決めてくれたものなのだろう。
それに、俺にとっては人生で初めてのゲームだった。
人生で初めてプレイするゲームがパズルゲームという、ちょっと変わった触れ方をしてしまった俺は、見事にパズルの
初めてチャレンジする頭を使った攻略。考えなければ解けない謎。ゲームで行われていたのは子供向けの簡易的なパズルだったが、それをするすると解いていくうちに段々楽しくなってくる。
気付けば思考を使うゲームに魅了され、俺はそのゲームを数日でクリアした。
そしてゲームだけでは満足できなくなったのか、俺は再び父におねだりをした。
「リバーシやる!」
「リバーシ?」
パズルゲームの中にサブゲームとして入っていたオセロに、俺は興味をそそられて熱中していたのだ。
ゲーム名はオセロではなくリバーシだったため、俺は小学生になるまでずっとリバーシとそう呼んでいた。
次の日、父は子供用の小さなオセロ盤を買ってきた。
俺はそれをリバーシリバーシと何度も口ずさみながら父と戦い、接待プレイをさせてもらっているとも分からずに何度も勝ちまくった。
そしてある程度自分の中で納得できる答えが出せたら、今度は父に別なゲームをおねだりする。
「囲碁やる!」
「お、おう。なんか渋くない? ゲームじゃなくていいのか?」
「うん!」
パズルゲームからオセロ、オセロから囲碁へと趣味が段々渋くなっていく俺に、父は困惑していた。
しかし、翌日になると父はちゃんと囲碁を買ってきた。
俺は囲碁のルールをその日のうちに覚え、父にも無理やり覚えさせて二人で何度も対戦した。
初めは無限に続く娯楽に浸りながら思考手順を模索していき、どの手を打つかという楽しみに時間すら忘れていく。
だが、1週間も経つと自分の中で明確な結論というものが出てしまい、それが次のゲームの架け橋になっていった。
「チェスやる!」
「チェス!? 父ちゃんチェスのルールはさすがに覚えられないぞ……」
「おぼえて!」
「はい……」
そうして翌日、父はすぐにチェス盤を買ってきた。
俺は急いで袋を開けると、これまでと違って駒という存在があることに興奮を覚え、すぐにルールを覚え始めた。
もちろん父にも無理やり覚えてもらい、三日三晩続けて何度も対局した。
そして1ヵ月も経てば、そのチェスにすら見切りを付ける。
別に飽きたというわけではなかった。
オセロも、囲碁も、チェスも、ましてや初めにやったパズルゲームでさえ、俺はたまにプレイしていた。
だから、飽きたというわけではない。ただ子供の純粋な興味というやつは、次へ次へと移っていくものだったのだろう。
自分でも不思議な感性だと思いながら、それでも必然的な衝動に駆られていた。
そして、これが俺の父への最後のおねだりだった。
「将棋やる!」
「そう言うと思ってもう買ってあるぞ」
「ナイス!」
どこで覚えたのか分からない英単語を引きずり出してグッドサインを父に向けると、俺は将棋にのめり込んだ。
将棋をプレイするうえで初めに驚いたのは、取った駒を使えるという点だった。
チェスでは取った駒は使えない。ゆえに残された駒でどう細かく攻めていくかに思考が寄っていたが、将棋は取った駒が使えるため選択肢が膨大だ。
しかし、その膨大な選択肢が俺の中に無限の可能性を開かせ、新たな一手を発見する喜びを得ることへと繋がった。
──求めていたものはこれだった。
それから俺は数年間、毎日のように父と将棋を指し続けた。
父は特別将棋が強いというわけではなかったが、少しだけ変わった点があった。
「真才、将棋はな──『物語』なんだ」
「ものがたり?」
「ああ、真才は戦う物語が好きだろう?」
「うん! 戦争好き!」
「
「あい!」
俺がそう言うと、父は微笑んでこう続けた。
「将棋は自分と相手で戦うもの、勝負を付けるものって考えるのが普通かもしれないが、父ちゃんの考えはちょっとだけ違う。自分が頑張って考えた一手と相手が頑張って考えた一手。これらがぶつかる戦いの軌跡を生み出せるのは、きっとその時の二人だけだ。──囲碁やチェスをやってきた真才になら、この言葉の意味が分かるだろう?」
父はなんだか難しいことを言っていたが、当時の俺はなんとなくの感覚で頷いた。
「……そうだな、父ちゃんがここで銀を繰り出したらどうする?」
そう言って父は遊んでいた駒を攻めに参加させようと銀を動かした。
「守る!」
「どうして守るんだ? 父ちゃんは銀を動かしただけで、まだ真才の陣地には攻めていないぞ?」
「うーん、でもその銀を動かしたら攻めやすくなるでしょ? じゃあ次のターンで絶対攻めてくるってことだし、なら今のうちに守った方がいいのかなって!」
「はははっ! さすがだな真才、その通りだ」
父は喜ぶように笑った。
「──そして、その考え方が"先を読む"ということだ」
「先を読む?」
「そうだ。そうやって互いに先を読んだ結果生まれる棋譜……対局の足跡は、最後に振り返ってみると素晴らしい物語となっているんだ」
そう言ってさきほど指した銀を再び元の位置に戻す。
父の考えは普通の将棋指しとは一風変わっていた。一風変わっていたが、誰よりも正しい言葉を放った男だった。
「相手を倒す将棋を指すのはもちろん構わない。勝つために将棋を指すこともまたひとつの歩み方だろう。……でもな真才、将棋は楽しく指すものだ。嫌々指すものじゃない。相手と自分で思考の読み合いを行い、誰にも真似できないような最高の将棋を一緒に創り上げて、振り返った時に『いい将棋だった』って思えるのが一番の将棋指しだと父ちゃんは思うんだ」
今さらの言葉だと、その時の俺は思っていた。
だって、その言葉はオセロや囲碁、チェスにも当てはまる。どうして将棋をやり始めた時にそんな言葉を投げかけたのか、当時の俺には分からなかった。
だが、そんな父の言葉は、子供ながらに将棋に触れていた俺の価値観に大きな影響を与え続けた。
勝ちたいと思う衝動は間違っていない。倒したいと思う信念も間違っていない。
ただし、将棋を勝つための道具にだけはしてはいけない。将棋の中で勝ちを求めるのと、勝ちを求めるから将棋を指すのでは大違いだと父は言った。
それから俺は父と将棋を指すたびに、対局が終わった後に出来上がる棋譜に点数を付けることにした。
「うーん、これは50点!」
「なにっ!? ご、50点は厳しい評価だなぁ……」
点数の付け方は完全に主観。どれだけ良い将棋を指せたか、どれだけ素晴らしい手を指せたか、そして失敗したと思う手はどんな手だったか。それらの総評で決まる。
今にして思えば、俺達のやっていることは
それは、悪手や最善手で検討していないということだ。
あくまで良い将棋を指せたか、全体的な将棋として良かったかを判断する。
それはまるで、ひとつの作品を創り上げる職人のような考え方。勝敗なんて二の次の思考だった。
だって、将棋は楽しむのが一番だから。対局が終わった後に、いい将棋だったと満足できる将棋を指すのが目的だったから。
──そんな考えを持ってしまっていたから、俺は奈落に落ちてしまったんだろう。
何十、何百、何千、何万。数えるのも億劫になるほどの長い期間で対局を続けていた俺は、自分で強くなっているのだと誤解していた。
だって、戦った数だけ強くなるのが勝負の世界だろう?
ゲームではそうだった。戦えば戦うほど強くなる。勝てば勝つほど強くなる。
だから誰よりも多く戦って、誰よりも多く勝ってきた俺は、誰よりも強くなっているはずだ。そうじゃなきゃおかしい。
──楽しみながら強くなれるなんて、最高じゃないか。
そんな、子供ながらに無邪気で楽天的な考えを持っていた俺に訪れたのは、現実を突きつけるような残酷な結果だけだった。
「──奨励会、落ちた」
「……そうか」
病院のベッドで横たわる父に、俺は振り絞るような声でそう嘆いた。