「あー、ここね。これは結構難しいところなんだけど、二つの式を全く別物として分離させて……」
「そっか! これなら────」
告白から、二ヶ月が経過した。
受験生にとっての佳境とも呼べる夏休みを超え、秋に突入しようかという頃。
なんでも塾に通うのは嫌だったらしい彼女と毎日放課後一緒に近所の図書館で勉強して、つい先日。出会った頃にはD判定だった模試でB判定を叩き出したところだった。そのおかげもあってか、彼女の勉強に対するやる気はより満ち溢れている。
「このペースなら第一志望には充分手が届きそうだね。毎日頑張ってて、本当に偉いよ」
「ふふっ、ありがと。でも私が頑張れてるのは正直渡辺君のおかげかな。まあ……動機が動機なだけにちょっと釈然としないけどね」
「? 好きな人の手助けがしたいってそんなに変?」
「そういうとこだよ」
計算式を解き終えて、シャーペンを置くと。疲れた様子で肩をぐるぐると回して見せる。
出会って二ヶ月が経ち、今は友達として。俺は彼女と毎日を共にしているわけだが。
まあものの見事に恋心が冷めることはなかった。それどころか絶賛増幅中で、彼女の一挙手一投足に惚れさせられてばかりの日々だ。
「早く中田さんと同じ高校に行きたいな。その時には恋人同士な訳だし」
「うっ、やっぱりそのことまだ覚えてたの……」
「当然でしょ。まあ志望校変えるって言ったら親も担任の先生も死ぬほど反対してきたけどね」
「そりゃあ、ね。渡辺君からしたら私の志望校なんてレベル低すぎるもん。勿体無いって言われて当然だよ」
「ああ、言われたね。でも俺には関係ないよ。好きな人が行く高校について行きたい。それだけで、志望校を変える理由には充分だから」
「……そっ、か」
かぁ、と彼女の頬が少し赤く染まる。
学歴とか正直、俺にとってはどうでもいい。就職に有利だからとか、勿体無いからとか。クソ食らえだ。
俺は好きな人と同じ道を歩く。この先愛し続けるこの人と、同じ道を。
自分の生き方は誰かに左右されていいものじゃない。俺が決めたことだ。誰にも文句は言わせない。少なくともこの選択を恥じたり後悔したりする日など、絶対に来やしないのだから。
「じゃあ私も、期待に応えるために頑張らないと……」
「俺と付き合うために頑張ってくれるの?」
「は、はあぁっ!? んなわけ、ないでしょっ!! 私のため! 私のためだから!!!」
何も、大きな転機は無かった。
でも静かに。毎日言葉を交わすうちに、少しずつだけど。彼女の俺に向ける意識が変わっている。そんな感じがしていた。
告白というたった一つの勇気が、俺にとっての人生を変える分岐点だったのだ。あの時、衝動的な欲望に従ったから。彼女を好きだという気持ちを、一ミリも押し殺さずにいれたから。今、俺は彼女とこうして肩を並べる事ができている。
「……今日は、ハロウィンでしょ。だから、はい。その……クッキー焼いたから。ま、不味かったら捨ててもいいから! ただの、お礼だから……」
クッキーは、少し焦げていて不恰好だった。でもどこかその出来に不安そうな彼女の目を見ると、思わず抱きしめたくなるほどに気持ちが溢れた。
「ク、クリスマスプレゼント!? わ、マフラーだ。可愛い……って、プレゼント被っちゃったね。しかも色違いのお揃い、か」
プレゼントが被ってしまって、てっきり幻滅されるかと思っていたのに。薄ピンクのマフラーを首に巻いた彼女の口元は、少しだけ。嬉しそうに笑っていた。
「あけましておめでとう。今年も、よろしくね」
日付が変わると共にスマホに届いたメッセージ。同時に同じような文面を送り合って一瞬にして既読がついたことに、その後電話しながら笑い合った。
「あと、一ヶ月。私本気で頑張るから! 渡辺、アンタさえよかったら朝も手伝って!! 学校一時間早く行って、勉強量増やすの!!!」
ある時から、追い込むように彼女は百パーセント以上の勉強量をこなすようになった。眠い目を擦ってシャーペンを持つ手が痛そうなほどに赤くなっていたのを見て、心配する反面。心の底から嬉しかった。
「いよいよ、今日だね。……うん。お互い全力を出して、って。渡辺は大丈夫か。まあとにかく頑張るよ。だから……見てて」
受験当日。俺の手を一度、握ってから。三つ前の席へと着席して問題に挑むその背中は、とても。力強かった。
そして、あっという間に約半年の忙しない日々は過ぎて。
────約束の日が、訪れた。