第29話 僕にデートイベントが発生した件

 約束の日当日。社宅前。

 フェリックスは私服を着て、アルフォンスを待っていた。


(そういえば、学園近くの街へ出掛けるのは初めてかも……)


 学園を出て少し歩いた場所に、町がある。

 大きくはないが、チェルンスター魔法学園から食材や授業に使用する素材、制服の受注などをしているため、そこそこ栄えている。

 通学している生徒のための集合住宅もあり、彼らの生活基盤になっていたり。

 フェリックスは屋敷へ戻る以外、ずっと社宅で過ごしていた。

 町へ出掛けるのは初めてである。


(それがアルフォンスと、かあ)


 フェリックスはため息をつく。

 リドリー、ミランダ、クリスティーナの誘いであるならともかく、初めてのお出かけがアルフォンスとなんて。


「よう」

「お、おはようございます!!」


 アルフォンスが現れた。

 さっきのため息見られてなかったかな、とフェリックスは慌てつつもアルフォンスに挨拶を返した。


「貴様……」


 アルフォンスはフェリックスを見るなり、顔をしかめる。

 表情からして、フェリックスはなにかやらかしたようだ。

 フェリックスは町へ出掛けるからと、朝はいつもより念入りに身なりを整えた。

 それでも寝ぐせがあったのだろうか、洋服のセンスが悪かったのだろうか。


「ブランドの服で固めて……、スリに狙われたいのか?」

「え、でも洋服は似たようなものしかなくて――」

「……そこで待ってろ」


 アルフォンスが指摘したのは、フェリックスの服装だった。

 フェリックスのセンスが悪かったのではなく、身に着けている洋服が全て高価なブランドものだったから。

 しかし、フェリックスの私服はいま身に着けているものと似ているものしかない。

 着替えろと言われても、デザインがちょっと変わるくらいだ。

 見かねたアルフォンスは、社宅へ戻ってしまう。

 フェリックスはアルフォンスの指示通り、彼を待っていた。


(僕って……、モブだけど公爵貴族なんだよなあ)


 公爵貴族が平民の着るような服を持っているとは思えない。

 自分で洋服を選んでいるのすら怪しい。


「ほらっ」

「おっと」


 戻ってきたアルフォンスがフェリックスに向けて、何かを投げた。

 フェリックスが受け取ったのは洋服だった。


「この間、町で買ったものだ。一回しか袖を通してないから、それを着ろ」

「ありがとうございます。着替えてきます」


 フェリックスはアルフォンスに礼を言い、社宅の自分の部屋に戻った。

 急いでアルフォンスから貰った洋服を着る。

 フェリックスが身に着けていたものよりも、生地が粗末で、安物感がする。


(ああ、これ……、安心する)


 前世で大量生産された低価格の洋服を着ていたフェリックスにとって、この質感が逆に心地よい。


(それでも、キマッてるんだから、今の僕はすごいなあ)


 上下着替えたフェリックスは、今の姿を鏡に映す。

 どんな洋服を身に着けていても、長身と完璧な容姿でカッコよく見える。

 服の袖が少し短いことが気になるが、フェリックスとアルフォンスの身長は五センチほど差がある。

 アルフォンスも長身の方だが、フェリックスには敵わない。


「さて、アルフォンス先輩のところに戻ろう」


 自信の完璧さに溺れていたかったが、アルフォンスを待たせてはいけない。

 フェリックスは財布とハンカチをポケットに入れ、アルフォンスと合流した。



「ここは……」


 アルフォンスに連れて来られた場所は、煙臭い酒場だった。

 繁華街の一角にあり、昼間だというのに大人たちで盛況している。

 ほぼ男性客だ。

 彼らは酒とつまみの他、パイプを片手に持っている。

 空いた席についたフェリックスは、きょろきょろと辺りを見渡し、ここがどのような店なのか問う。


「クローバーが吸える店だ」

「ええ!?」


 アルフォンスは慣れた様子で、店員に注文している。 


「なんだ……、初めてなのか?」

「そ、そうですね」

「まあ、苦手な奴もいるからな。無理するなよ」

「はい……」


 煙草と無縁の生活を送っていたフェリックスは部屋の煙たさが嫌になっていた。

 ただ、周りは燻製チップを焼いたようないい香りがしており、不快ではない。


「アルフォンス先輩は、ここによく来てるんですか?」

「ああ。休日にな」

「どうして僕を――」

「貴様と同年代の教師が俺しかいないからだ」


 アルフォンスの年齢は確か――、二十四歳。

 フェリックスより一つ上。

 他の男性教師は若くて三十代半ば、あとは四、五十代が多い。二十代はフェリックスとアルフォンスしかいない。


「アルフォンス先輩が喫煙者とは……、意外でした」


 フェリックスは思ったことを口にする。

 アルフォンスは真面目な教師。

 生徒の教育に熱心で、校則違反は厳しく取り締まる。

 そんな人が昼間からクローバーを吸い、酒を飲むとは。


(乙女ゲームじゃ……、こんなシーン描けないよなあ)


 フェリックスがゲームで見ていたのは、学園でのアルフォンスだけ。

 町へデートするシーンはあったものの、未成年のクリスティーナをこの店に連れていけないだろう。

 それにチェルンスター魔法学園では、教師と生徒の恋愛はご法度。

 アルフォンスとの本格的な恋愛は、クリスティーナが学園を卒業してからというのが、アルフォンスルートのエンディングだった。


「クローバーを吸うと、嫌なことを忘れられるんだよ」


 学園で溜まったストレスをここで吐き出しているようだ。

 フェリックスとの決闘に負けたときも、ここへ来て発散したに違いない。


「そ、そうなんですね」


 墓穴を掘るかもしれない。

 フェリックスは失言をしないよう黙った。


「この店……、夜になると女も買えるぞ」

「へっ!?」


 アルフォンスの発言に、フェリックスは面食らう。

 女を買うって、お酒を注いでもらいながらおしゃべりしてくれるんじゃなくて、性的なサービスを提供してくれるってことだよな。


「給仕してる娘、全員」


 フェリックスの給仕を見る目が一気に変わる。

 可愛い子が多いなあと思ったら、夜は特別なサービスをしてくれるとは。

 二階にそういう部屋があるのだろうか。

 フェリックスは店内の階段を見つめ、ゴクリと生唾を飲み込む。


「なんだよ、初めてみたいな顔をして……」


 フェリックスの初々しい反応に、アルフォンスは気味悪がっていた。


「え、そ、その……、アルフォンス先輩は?」

「当然あるが」


 アルフォンスは恥じることもなく堂々と答えた。


「あそこの女が好みだな」


 アルフォンスは一人の給仕を指す。

 細身で背が高く、胸もそこそこある女の子。愛らしい容姿で、他の客にも明るく接していて、雰囲気がどこかクリスティーナを感じさせる。 


「へ、へえ」


 ストレス以外にも、いろいろ発散しているらしい。

 こんな設定、絶対乙女ゲームで描けない。


「……貴様を連れてきたのは、他の先輩たちが心配してたからだ」

「心配?」

「『ずーっと社宅に引きこもってて、フェリックスは可笑しい』、『溜め込んで、奇行へ走る前に誰か娯楽を教えてやれ』、『クローバーがいいんじゃないか?』、『アルフォンス、フェリックスを店に連れて行け』」

「……ご心配をおかけしました」


 アルフォンスは男性教師たちの心配をフェリックスにそのまま伝えてくれた。

 この世界では、男性がクローバー、酒、女に溺れず、社宅でじっと過ごしていることが異常らしい。

 当のフェリックスは日中の疲れを長時間の睡眠で休めていただけなのだが。


「生徒に手を出されては遅いからな」

「っ」

「ん? ま、まさか貴様、もう――」

「ないです、ないですよ!!」


 鋭い所をアルフォンスに突かれ、フェリックスは必死に嘘をつく。

 ミランダとキスをしましたなんて、口が裂けても言えない。


「あっ、注文したものが来たみたいですね!」

「……まあいい。ほら、吸うぞ」


 給仕がフェリックスたちのテーブルに二つの色が違うパイプ、麦酒、塩味のあるつまみを置いてくれた。

 パイプには火が付いており、黙々と煙が出ている。

 アルフォンスは黒いパイプを手に取り、フェリックスにも取るよう促す。

 フェリックスは残りの茶色いパイプを持った。


(アルフォンスや先輩たちが僕のことを心配して、この店に連れてきてくれたんだ。一度でもいい、吸ってみよう)


 フェリックスは覚悟を決め、パイプの口からクローバーの煙を吸った。


「けほっ」


 ひゅっと喉に熱い煙がはいり、フェリックスは思い切り咳き込んだ。

 アルフォンスはその様子を見て、笑っている。


「一気に吸おうとするからだ。少量の水を口に含むように煙を吸え。それから――」


 フェリックスはアルフォンスに教わったように吸う。

 思考がぼんやりして、悩んでいることがどうでもいいと思えてきた。

 ストレスが発散できるというのは、こういう感覚を味わえるからなのだろう。

 麦酒を飲み干すと、酔いで更に気分が高揚する。

 これが大人のストレス発散法。

 悪くないと、この時、フェリックスは思った。

 アルフォンスは慣れたようにスパスパとクローバーを吸っており、うっとりとした表情を浮かべている。

 学園内では見たことがない色気があった。


「どうだ?」

「なんか、ふわふわした気持ちになりますね」

「貴様が吸ってるのが一番、俺が吸ってるのは三番だ」


 ミランダの騒動後、フェリックスはクローバーについて調べたから多少の知識はある。

 クローバーは前世でいう煙草と同じものだ。

 未成年の使用は法律で禁止されており、成人しているフェリックスやアルフォンスが使用するのはなんら問題ない。

 クローバーは一番から四番まである。

 番号の違いは収穫の回数である。

 クローバーの若葉を旬の時期に何回収穫したか、それで決まる。

 最初に収穫したのが一番、四回目に収穫したのが四番。

 最高品質の四番、四葉のクローバーは、別名”しあわせのクローバー”と呼ばれ、高値で取引されている。

 ただし、依存性が段階を重ねてゆくごとに強くなるため、通常生活を維持する場合、四葉のクローバーは週に一度の服用が適切と警告されている。


「アルフォンス先輩は四葉のクローバーを吸ったことはあるんですか?」


 フェリックスはパイプをテーブルに置き、麦酒とつまみを交互に味わっているアルフォンスに訊く。


「給料が支給された日にな……。働いた自分にご褒美というやつだ」


 質問に答えているさいに、アルフォンスの目線が給仕に向く。

 これはきっと、次の給料日に向けて吟味しているのだろう。

 四葉のクローバー以外にも愉しんでいるようだ。


「あの……、学校で見つかった――」

「その話はここでするな。売人だと疑われるぞ」

「す、すみません」


 五葉のクローバーは、別名”ふしあわせのクローバー”と呼ばれており、禁止薬物に認定されている。

 四葉を超えると、依存性が急激に高くなり、人体に影響を及ぼす。

 吸い続けると短期間で廃人になってしまうとか。

 ただし、五葉のクローバーは興奮剤にもなるため、国が指定した栽培所でのみ収穫を許されている。

 加工は魔法研究所という機関でのみ、合法だ。

 フェリックスはこの間の荷物検査の話題を出そうとするも、アルフォンスに止められる。


「クローバーは加工方法で品質が変わる。道端で安く売られれている携帯クローバーはほぼ粗悪品。バカ高い値段で売ってくるのは売人。そういう奴らからクローバは絶対に買うなよ」

「わかりました」

「店で吸ってた方が安全に楽しめる。覚えておけ」


 その後、フェリックスとアルフォンスはクローバーと酒を充分に楽しんだ。