第15話

目が覚めた頃、すでに時計は午後三時を回っていた。


 昨日同様、体中にぐっしょりと汗をかいて。


 僕はテントを出て体中に水を浴びると、陰に隠れて下着を脱ぐ。


 寝起きの生理現象なんだろう、僕のその部分は、硬くなっていた。


 無防備な格好の女の子の横で寝ているからだろう、それはいつも以上に硬く、僕がどうやっても落ち着かせることができなかった。


 僕は僕自身のその部分を見て見ぬふりをして、木陰でパンツと、汗に濡れたシャツを替えた。


―――


 少し涼しくなったころを見計らい、海沿いの道を少し散歩する。


 間近に見えるみなとみらいやランドマークタワーを見ながら、涼しい海風に体を任せながら僕達は歩く。


少しずつ、体のほてりが消えていくような気がする。


 そして深夜、僕達はライブハウスを訊ねる。


 スゥの探し人の姿を求めて。


※※※※※


 その次の日は、昼間は暑いから図書館で『白鯨』を読み進め、音楽を聴いて時間をつぶし、ライブハウスをめぐり、食パンを二人で分け合う。


 そんな日が、それから二日ばかり続いた。


※※※※※


「知らん」


 スゥのスマホの写真を見た、店主らしき中年の男性は、そっけなくそう言った。


 横浜中のライブハウスをめぐって写真を見せるたびに帰ってくる、それはお決まりの言葉になっていた。


「仕方ないよ、スゥ、次のところに当たろうよ」


「そだね」


 そういってスゥはスマホをしまった。


「あの」


 その声に、僕とスゥは後ろを振り向いた。


 そこには一人の、Tシャツとデニム姿の、ロングヘア―の女性の姿。


 その人は周囲を用心深く確認すると


「あの、こっち。来て」


 そういって、ライブハウスの外へと僕たちを手招きした。


―――


「“ジェリーピース”のメンバーだね、間違いない」


 その女性従業員は、スゥのスマホの写真を見てそう言った。


「本当に? 本当に“モッチ”なの?」


 聞きなれない言葉が、スゥの口をついて出た。


「名前までは、私はわからないけど」


 そういって、一枚のポスターの隅を指さす。


「わかるかな? この男の子、間違いなくあなたの写真の子よ。一週間ほど前、ここでライブをやったから、忘れるはずはないわ。なんでも、全国ツアーで日本各地を回っているらしいの」


その言葉、写真の姿に、スゥは興奮し叫ぶ。


「間違いないよ、雰囲気は全然違うし、ベースじゃなくてギターを引いてるけど、けど、間違いなくモッチだよ」


「ねえ、その“ジェリーピース”、だっけ? 今どこにいるの? どこでライブやってるの?」


 スゥの言葉に、女性の表情は曇り、言葉の端切れも悪くなった。


「モッチを探しに、ヒッチハイクで北海道からここまで来たの。お願い、教えて」


「実はね、店長から口止めされてるし、それに、そこまで詳しく知っているわけじゃないの」


「お願い」


 スゥはそういって、体を大きく折り曲げた。


「絶対に探し出すって決めているの」


「こんなちっぽけなライブハウスの従業員が、これだけきつく口止めされている理由って、わかる? うまくは言えないけれど、そういうことなの。わかって」


「お願い、ねえ本当に、教えられる範囲の情報でいいから。あなたに、絶対迷惑はかけないし」


 女の人は、ふぅ、と大きくため息をつくと


「あなた、吸う人?」


 スゥに赤いパッケージの煙草のケースを差し出す。


 スゥが首を振ると、女の人は煙草に火をつけ、紫色の煙を吐き出した。


「ねえ、あなたは、あのギタリストとどういう関係なの?」


「一言では、言い表せないくらい、大切な人。ウチの人生全てを引き換えにしていいってくらい。ウチの、全部なの」


「だったら、なおさらあの子とは関わらない方がいいわ」


 女の人は、煙とともに言葉を出した。


「そのほうがあなたにとっても幸せよ。わざわざあてどのない旅をするよりも、彼なしでいくらでも幸せなんてつかめる、そう思えない?」


「ウチの幸せは、全部モッチと一緒にあるの」


 スゥから女の人に返したのは、強い視線と口調だった。


「どんなにつらい旅だって、どんなに時間がかかったって、モッチと会えれば、それがウチにとっての幸せへの最短距離なの。だから、お願いします」


 再びスゥは、大きく体を折り曲げる。


 すると女の人は再び煙草を口に付け、ため息と一緒に煙を吐き出した。


 その様子には、スゥの気持ちに心が動かされたかのような、かといってそれには答えられないとでも言いたいかのような、どこか、言うべきことは言ったのに、そんなあきらめのようなニュアンスが感じられた。


「何度も確認しておくけど、本当は絶対に言っちゃいけないことなの。さっきも言ったけど、彼のバンドは日本一周のツアーに出ていて、これから西のほうへ向かうっていっていたわ」


「本当に?」


 スゥは女性店員の体を、荒々しく抱きしめる。


「ありがとーっ! これで、モッチに一歩近づけるよ!」


「ちょっと、痛いわ。一週間も前のことだし、本当にアバウトな情報だから、そんなに喜ばれるとこっちが申し訳ない――」


「――わんこくん! ここから西の、それなりに大きな街って、どんなところがあるの?」


 女の人の言葉なんて耳に入っていないかのように、スゥは僕の方を振り返ったので。


「えっと、茅ケ崎とか小田原とか、神奈川県内ならそんなところかな。そこからもっと西になると、静岡に入って、沼津とかじゃないかと思うけど」


僕は学校の地理の授業で得た知識でその質問に答えた


「よし! それじゃあまずは、茅ケ崎を目指して、その次に沼津まで行こう!」


 スゥは拳を振り回して叫んだ。


「行こう! わんこくん!」


 僕は大喜びのスゥを見て苦笑しつつも、女の人に頭を下げた。


「ねえ」


 スゥの後を追う僕の背中から、女の人が呼び止めるように声をかける。


「かわいい子ね、あの女の子」


 僕はうまく答えられず、はぐらかすように笑って見せた。


「君も、あのギタリストを探しているの」


「まあ、そうだと言えばそうなんですが、そうじゃないと言えばそうじゃないような」


「じゃあ君は一体、何のためにあの子と一緒にいるの」


「スゥの、あの子の人探しを、手伝ってるだけなんですけど。それとまあ、あとは僕自身の問題っていうか――」


「ピュアなんだね、君は。君だけじゃないね、あの女の子も」


 女の人は煙草を一口吸うと、また大きく、紫色の煙を吐き出した。


「その先に、何があると思う?」


 女の人の真っ直ぐな視線が僕を捉えた。


「何かを追いかけることが、現実からの逃避に過ぎなかったって時もあるんじゃない?」


 それは、僕の心臓をえぐるような言葉だった。


「私もね、がむしゃらに走り続けてきたの。夢を追いかけてね。でもその後に突き当たったものは、現実だけ。現実の壁に、突き当たっただけ」


 そこまで言うと、女の人は首を振った。


「ごめんなさい、忘れて」


「どったの? わんこくん」


 女の人と話し込んでいた僕に気づき、スゥが戻ってきた。


「たわいもない話よ」


 そう言って、短くなった煙草を、靴底でもみ消した。


「ごめんなさい、あなたのボーイフレンド、長々と引き留めちゃって。とりあえずは、あなたがあのギタリストと会えることを祈っているわ」


そういって、女の人はライブハウスの中に姿を消した。


「何の話をしていたの?」


「何でもないんだ、行こう」


 そういって、僕はスゥの腕をひっぱった。


「ねえ、さっきスゥが言ってた”モッチ”って――」


 僕の言葉に、スゥは小さく頷いた。


「ウチにレニーを教えてくれて、このipodをくれた人」


 その言葉のトーンは、スゥとその人との関係が、単なる関係ではないことを教えてくれた。


「ホントはモトアキって名前なんだけどさ、ウチだけがモッチって呼んでいいの」