第86話食えない豚04

いつものように日の出前に起きる。

今日はさすがに稽古をしないが、いつもの習慣で井戸に出て顔を洗っていると、ローズがやって来て、

「師匠。おはようございます」

と挨拶をしてくれた。

いつものスーツ姿だから、間違って稽古に来たわけではなさそうだ。

「ああ、おはよう。どうした?」

と私が聞くと、

「はい。お嬢様からこちらを預かってまいりました」

と言って、2本の綺麗な組紐を差し出す。


「これは?」

と聞いてその組紐を受け取り、まじまじと見つめる私に、ローズは、

「はい。災難除けのお守りです。いざという時に切れて身代わりになってくれると言われています」

と言ってそれが何なのか教えてくれた。

一昨日の昼、リーファ先生に聞いてから作ったのだろうから、ずいぶんと無理をさせてしまったのではないか。

そう思って、

「大変だったろうな…」

と言うと、

「…はい。私共もお手伝いしましょうかと申しましたが、おひとりで作るとおっしゃられて、昨夜も遅くまで」

と言ってローズは少しつらそうな顔になる。

私も、胸が熱くなって、

「…そうか。それはすまなかったな」

と言うと、

「いえ、お嬢様は自分にはこれくらいしかできないご自身を悔やんでおられました。私共もそんなお嬢様のお心をお慰めできず…」

と言って、顔を伏せたが、すぐ思い直したように顔を上げ、ローズは、

「お嬢様も私共も心からご武運をお祈りしております!」

と真っ直ぐな瞳でそう言った。

「…ありがとう。マリーに伝えておいてくれ。帰ってきたら一緒におやつを食おう、とな」

私が少し冗談めかし、笑顔でそう言うと、ローズも笑顔で、

「はい!」

と言って一礼し、離れへと戻って行った。


そんなローズの後姿を微笑ましく見送り、改めて赤と白の糸で編まれた。その組紐を見る。

いかに丁寧に編まれたものであるかが一目でわかった。

(無事に帰って来る理由がまた一つ増えたな)

私はそう思って微笑み、一つは自分の腕に巻き付けもう一つを大切に懐にしまうと、またいつものように勝手口から屋敷へと入って行った。


「おはようございます。村長」

「ああ、おはよう」

と台所にいたドーラさんと挨拶を交わすと、ドーラさんが、

「今朝はあまりお時間がないでしょうけど、簡単なものをこしらえましたから食べていってくださいね」

と言ってくれる。

私は、

「ありがとう」

と言って、いったん自室に戻って着替えた。

荷物を簡単に確認し、それを持って食堂へと降りて行くとリーファ先生はすでに来ており、

「やぁ、おはようバン君」

「ああ、おはよう」

と言って、お互い簡単に挨拶を交わすと、

「マリーからだ」

と言って、さっきの組紐を渡した。

「災難避けらしい」

と言って、自分の手首を見せる。

「そうか…」

と言ってリーファ先生も同じように手首に巻き付けると、目を細めてそれを眺めた。


そんなやり取りをしていると、ドーラさんが朝食を運んできて、

「今朝はおうどんにしましたよ」

と言って肉うどんを出してくれる。

手っ取り早くタンパク質と炭水化物を摂取出来て、しかも腹持ちがよくて消化にいい。

旅の前には理想的な食べ物だ。

リーファ先生と2人そろってすする。

まるで駅そばだな、と変な記憶を思い出しつつ甘辛く煮た肉とうどんの相性の良さを改めて感じながら手早く掻き込んだ。

「ごちそうさま」

と言って、席を立つと、

「いいえ、お粗末様でした」

とドーラさんはそういって微笑んでくれる。

「さて、行こうか」

と言うと、リーファ先生が、

「ああ」

と言って、2人とも荷物を背負うと、玄関へと向かった。

玄関にはズン爺さんがコハクとエリスを連れて来ていてくれる。

「おはようごぜぇます、村長、リーファ先生」

「ああ、おはよう。早くからすまんね」

と言って、挨拶を交わすと、

「いいえ、なんてこたぁありませんよ。荷物は確認してありますんで」

と馬たちをなでながらそう言ってくれた。

「ありがとう」

と言って、私たちもそれぞれの馬をひと撫でし、

「頼んだぞ」

と声をかけると、エリスは、

「ぶるる」

と一声鳴いた。

「わかった」と言ってくれたようだ。


さっそく私たちが馬に跨ると、ペットの2人を連れたドーラさんが玄関まで出てきて、

「お弁当は柏おにぎりですよ」

と言って、包みを渡してくれた。

(まるで遠足に行く子供になって気分だ)

と思いつつ、

「ありがとう、美味しくいただくよ」

と言って私がその包みを受け取ると、

「にぃ!」(とり!)

とルビーが言った。

私はその言葉に思わず笑ってしまって、

「はっはっは。ドーラさんの言うことを聞いていい子にしてるんだぞ?」

と言うと、ペットの2人は、

「きゃん!」(うん、まかせて!)

「にぃ!」(だいじょうぶ!)

と私を見上げながらそう言う。

私は、みんなそれぞれに視線を向けると、

「ああ。それじゃぁ行ってくる」

と言ってさっそく馬を進めた。

背中から、

「「いってらっしゃいまし」」

「きゃん!」

「にぃ!」

という声が聞こえる。

私は後ろ手に手を振りながら、

(さっさと帰って来なければいけないな)

と思って決意を新たにし、森を目指した。


当たり前だが、森の入口までは順調に進む。

「さて、いよいよだな」

と私が、エリスの首を撫でながらそう言うと、

「そうだね。最初の目的地はそのウサギが多くなったっていう草地の手前まで行こう」

とリーファ先生がそう言った。

私が、

「ほう。森馬ってのはそんなに進めるのか?」

と言うと、

「ああ、人間の足で2日くらいの距離なら大丈夫さ。本気を出せばもうちょっと行けるらしい」

とコハクの首の辺りを撫でながら言うリーファ先生に、

「ぶるる」(いけるよ!)

とコハクが得意げにそう言うと、

「ぶるる」

とエリスも鳴いて、おそらく「行ける」と言った。

「はっはっは。そうか。しかし、今回の冒険は長くなるかもしれない。最初はある程度のんびり行こう」

と言って、私が2人をなだめるようにそう言うと、

「そうだね。体力の温存も必要だからね」

と言って、リーファ先生もまたコハクを撫でながらそう言った。

そんな様子を見て、私が、

「よし、じゃぁ行くか」

と言うと、

「ああ」

「「ひひん」」

とそれぞれが返事をして、さっそく森の中へ入っていく。


森の中は涼しい。

ユリやツユクサ、ナデシコなんかに似た花をめでながら進む。

(ああいうのを摘んで帰ったらドーラさんは喜ぶだろうか?…うちは華やかさに欠けるからなぁ)

などと思うが、そう言えばドーラさんはあまり花を飾らない。

ペットの2人からも「お花がきれい」なんて聞いたことが無いし、リーファ先生は有用かどうかにしか興味が無い。

私もそうだ。

食えるか食えないか。

そこが問題だ。

(花より団子。よし、我が家の家訓はそれにしよう)

そんなことを考えていたら、もうずいぶんと森の中を進んでいた。


「…もうこんなところまできたのか」

まだ昼前だが、いつもなら野営をする辺りまで来ている。

「どうだい。すごいだろう」

と言って、なぜかリーファ先生が得意げだ。

「ああ、そうだな」

私は苦笑いしながらそう答えて、

「近くに水場がある。昼にしよう」

と言った。

お待ちかねの柏おにぎりだ。

まずは馬たちに水をやる。

石清水がたまった小さな水場で、馬たちが交代で水を飲んだ。

コハクいわく、魔素が濃くて美味しいらしい。

「そいつは良かった」

と言って、2人を軽く撫でてやると、森の中にぽっかりと空いた草地で昼にする。

「さて、いよいよだね」

と言って、リーファ先生が目を輝かせた。

私はそんな様子に苦笑しながらも、適当な味噌汁を作り始める。

具は乾燥茸とさっきの水場周辺で採った、セリに似ているロット。

さっさと作って取り分け、

「待たせたな」

と言って柏おにぎりと味噌汁を適当な倒木の上に並べると、さっそく食い始めた。


柏おにぎりは硬すぎず、かといってボロボロと崩れるほどでもない絶妙な握り加減で、コッコの甘みと醤油の香ばしさのバランスがいい。

甘みと脂が広がった口をエリ菜のほろ苦さが引き締めてくれる。

そこに添えられたキューカの浅漬けが食感のアクセントになって面白い。

もちもちとした米の食感と時折顔を見せるコッコ肉の弾力、シャキシャキの浅漬けとロットの苦み、そのどれもが皆、それぞれの役割を果たし、この素晴らしい循環の一助となっている。

トーミ村もかくありたいものだ。

そんな若干哲学的なことを考えながら食べ進めていると、4つあったはずの柏おにぎりはもうなくなっていた。


馬たちに、まだ時間はあるからゆっくり食えと言って笑いかけ、食後のお茶を飲む。

私とリーファ先生は地図を広げ、この先の予定を簡単に確認することにした。

「とりあえず今日は一応その問題の草地を確認するとして、次はどっちへ向かう?」

と私が聞くと、リーファ先生は、

「そうだね。とりあえず西かな。おそらくウサギの数は報告より多少増えていると思うよ」

と言って、しばらく地図をながめ、

「この辺りを巡ってみようか」

と言っていくつかの地点を指さす。

「そうだな。その辺の草地はこの草地より少し狭いし餌も少ない。ウサギが西からやって来たという報告を信じるならその辺りの様子は見ておきたいな」

私がそう言うと、リーファ先生はうなずいて、

「この辺りからは魔獣もそれなりに出て来るだろうけど、空からくるやつは任せてくれていいよ」

と言ってくれた。

私が、

「わかった」

と言い、次に、

(頼む)

と言いかけたが、言葉を換えて、

「任せた」

と言うと、リーファ先生は、

「もちろんさ!」

と言って笑った。


そこからも順調に進み、問題の草地の手前までたどり着く。

この辺りは冒険者もよく訪れるから、野営に適した場所も簡単に見つかった。


とりあえず、小さな水場で馬たちに水を飲ませ、私たちも小休止をとって飴玉を一つ口に入れる。

手作りだから、形は少し不揃いだが、甘じょっぱくて美味い。

醤油が入ったあの飴に似ている。

というか、似せて作ってもらった。

私の横で飴玉をしゃぶりご機嫌なリーファ先生に、

「少しの間2人を頼む」

と言って、私はさっそく例の草地の様子を見に行った。