「久居、久居!」
菰野様が、私の名を呼んでいる。
これは……夢だろうか。
ふ。と久居が目を開くと、そこには心配そうにこちらを覗き込む菰野の顔があった。
――夢では、無かった……。
菰野が生きている。
生きて、自分に話しかけてくれている。
久居はどうしようもない幸福感に胸がいっぱいになった。
泣きはらしたような顔。
私が、心配させてしまったのだろうか。
「菰野様……」
まだ意識の半分ほどが夢の中の、ぼんやりとしたままの久居が、菰野に真っ直ぐ手を伸ばす。
頬に指が触れる前に、菰野はその手をぎゅっと握ると、申し訳なさそうに言った。
「起こしてごめん。久居、来てくれるか」
「はい?」
久居は起き上がり、状況を確認する。
どのくらい寝てしまっていたのか、辺りはすっかり暗く――暗く!?
久居は一瞬で問題を理解すると、尋ねた。
「レイは!?」
「こっちだよ」
リルの声に小屋に駆け込むと、奥の部屋に置かれた四つの水晶球に囲まれて、真っ青な顔のレイが蹲っていた。
「……どうしてこんな事に……」
話せそうにないレイに代わって、リルが説明する。
「えっとね、レイがずっと、フリー達に遠慮してて、なかなか小屋に入らなくて。
でもガタガタ震え出したから、ボクが無理矢理入れたの」
「それはどのくらい前の話ですか」
「ちょっと前」
久居が懐中時計を確認する。時刻は日没をとうに過ぎている。
「でも全然震えが止まらなくて、レイは何も言わなくなっちゃうし、心配になって……」
「そうですか。わかりました」
久居が部屋を出るので、リルも慌てて付いてくる。
「久居、どうだ?」
出たところで待ち構えていた、心配顔の菰野とフリーに
「ご心配には及びません、少々お待ちください」と告げると、久居は外の調理場に向かう。
リルはその後をついてきた。
「リル、レイはお茶は飲んでいましたか?」
「うん、飲んでたみたいだよ」
「ありがとうございます」
量が多くなり過ぎないよう、レイが飲んだはずの分を引きつつ、即効性の出る量を計算し直すと、手早く睡眠薬……もとい『ぐっすり眠れるお茶』を用意する。
水を沸騰させるのも、それを飲める温度まで下げるのも、環の力を使えば一瞬だった。
久居は、リルを小屋の外に待たせて、一人で部屋に入る。
「レイ。レイ! 大丈夫ですか!?」
「……っ……」
声をかけ強く肩を揺らすも、小さく息の詰まるような音がしただけで、反応らしい反応は無い。
俯いたままにカタカタと震え続けるレイの顔を、ぐいと強引に引き上げる。
目は閉じていなかった。瞳孔は完全に開いてしまっている。
目の前で手を振るも、全く反応は無い。
自力で飲んでもらうのは難しそうだ。
指の一、二本でも切り落とせば意識が戻るかも知れないとは思うが、せっかく綺麗にしたばかりのこの部屋を、また血で汚すのは忍びない。
久居にとって、闇に対する恐怖というのはあまり理解できないものだったが、前後不覚になるほどの恐怖というのは、相当のものに違いなかった。
……まったく、どうしてこんなになるまで痩せ我慢をしたのか。
久居は、いつまで経ってもこちらに気を遣い続ける天使の態度を、僅かに腹立たしく思う。
この男は、私達には遠慮をするなと言う癖に、自分は遠慮ばかりではないか。
菰野とフリーに直接声をかけられないのなら、リルに頼るとか、私を起こすとか、手段はいくらでもあっただろうに。
私が疲れているだろうとか、そんな些細な理由で、こんなになるまで無理をして。
もっと早く、私を起こせばよかったものを……。
久居はお茶の入った腕を手に取り、もう一度レイの顔を見る。
レイは、黙ってさえいれば、整った顔立ちをしていた。
だが今は、金色のたっぷりとした髪の中で、何も映していない露草色の瞳が恐怖に滲んでいる。
「……仕様がない人ですね」
久居は小さくため息をつくと、強制的に腕のお茶を飲ませにかかった。