(ひ、久居が寝てる!!)
レイは、それを見つけて、飛び上がりそうなほど驚いた。
天界からの連絡係とやりとりをした後、レイが小屋の前に戻ったら、なんと、久居が木にもたれていたままの格好で目を閉じていた。
「久居だって寝るよ?」
リルが何を当たり前な事を。と言う顔をするが、レイは、いまだかつて久居の寝顔を見た事がなかった。
膜の中で目を閉じているのは見たが、あれはノーカウントだろう。
「いや、リルは何をしてるんだ?」
「久居が、寒いかなって思って」
リルは、そんな久居にぴったり寄り添って、添い寝していた。
確かに、季節は夏を過ぎ、秋に入ろうかと言うところで、陽が傾くにつれ気温は下がっていた。
「これで久居が起きないなんて珍しいな」
「うーん。術の使い過ぎとかで寝ちゃう時の久居はね、どっちかっていうと、気を失ってる感じに近いかな」
「これ失神してんのか!?」
しーっ。とリルが仕草で伝える。
レイが、すまない。と仕草で応えた。
じゃあ、久居は、失神するほどキツい状態で、皆の夕飯作ってたのか……?
恐ろしい精神力だなと思いつつ、レイは先の大掛かりな治癒を思い返す。
凍結された二人の前に立つカロッサが、複雑な魔法陣のような物が描かれたものを3枚並べ、やたら複雑な手続きを三通りほど繰り返していた。
術の施行者以外が凍結を解除する事は、一般には不可能とされているのに、額に汗してそれに果敢に挑むカロッサの真剣な姿に、レイは心奪われていた。
実際は、魔法陣を用意したのも、呪文と手続きを書き残したのもヨロリらしいが、カロッサもそれ相応に練習はしていたらしい。
多少手間取る様子はあったが、カロッサは一度も間違えることなく、それを解いた。
最後の手続きを終えて、カロッサは、ほうっと小さく息をついた。
すぐに場所を譲るカロッサに入れ替わるべく、クザンと久居がヒバナを連れて動く。
カロッサの美しく波打つ紫の髪には、汗の滴が伝っていた。
緊張に固まっていた羽を大きく伸ばして、美しい曲線を描く触覚を緩やかに震わせて、カロッサはレイの横を通り過ぎ、外に出る。
膜が消えると同時に、小屋にはむせ返るほどの血の臭いが広がり、新たな出血が始まった。
「えっ、お父さん!?」
動き出したフリーをリリーが呼ぶ。
「フリー、こっちよ」
治癒の邪魔にならないよう、フリーは隣の部屋に移動させられた。
打ち合わせ通りに、クザンが心臓を、久居が肺を同時に修復する。ヒバナは太腿からの出血を止めるためか、嫌そうな顔をしながらも、菰野の両太腿の傷口をぐるりと焼いた。
袈裟懸けに深く斬られた菰野の身体は、内臓の損傷が激しく、治癒の間にも出血は止めどなく続いている。
しばらくは、
「心臓いけたぞ、気管は無事だ」
「肺終わりました、肝臓いきます」
と、クザンと久居の状況報告がポツポツ聞こえる他は、リリーの胸で泣きじゃくるフリーの声だけが、聞こえていた。
クザン、久居、ヒバナが治癒の間動けないため、レイの仕事はリルとペアでの警戒だったが、ここら一帯は、小動物すら生きていられないほど強力な結界に包まれている。
結局、レイとリルは、終始この大掛かりな治癒作業を遠目に眺めていた。
「久居、入れ過ぎだ、もうやめろ」
久居がびくりと動揺する。
「この忠告は二度目だぞ。先に量を決めたのは何のためだ」
クザンは視線を上げないままに告げるが、その声には怒りが篭っている。
「……申し訳ありません」
「変態からたっぷり搾り取ってやっから、安心しろ」
途端、クザンの背に両手をかざしていたヒバナが頬を染め、生き生きと喋りだす。
「玖斬様のお望みとあらば! この火端! 一滴残らず注がせていただく所存で――」
「黙れ」
レイは、久居が二度も同じ注意受けていることに衝撃を受けた。
あの久居が?
焦っているのか。
あの、久居が??
今言われたことも守れないくらい、あの少年に血を注がずにいられないのか。
あの、久居が……。
「久居は、あの主人が本当に大事なんだな」
ぽつりとこぼした言葉に、隣のリルが反応する。
「ボク、前に聞いたことあるよ。『久居は、コモノサマが死ねって言ったら死ぬの?』って」
「……お、……お前、なんて質問を……」
おおかた、リルが久居の主人に嫉妬でもしたんだろうが、それにしても質問が極端過ぎる。
いやまあ、どっちが好きかとかいうレベルじゃないのは確かにそうだろうが。
それでも、主従関係にある者に、何でまたそんな究極の質問をするのか。
レイが動揺しているのを知ってか知らずか、リルは、久居の背から視線を外す事なく続けた。
「そしたら、久居にっこり笑って『はい』って言ったよ」
「っ、……そ、そうか……」
「うん」
リルは、治癒が終わるまで、それ以上何も喋らなかった。
ただじっと、久居を見つめるリルとは、レイは一度も目が合わなかった。
回想を終えて、レイは、足元のリルに視線を戻す。
小さな少年は、眠る久居にピッタリと張り付いて、そう簡単に離れそうにない。
別れが間近に迫っているからだろうか。
元から久居にべったりのリルしか知らないレイは、リルが久居と離れて、一体どんな顔をして日々を過ごすのか、全く想像がつかなかった。
「小屋から、布団出してくるか?」
リルが添い寝したところで久居の体を覆えるはずもなく、二人して風邪でもひかれては困る。とレイが小声で提案する。
「まだフリーがいるよ」
というリルの返事に、小屋に向かいかけたレイの足が止まった。
「……え、なんだ。あの中、今二人きりなのか?」
「うん」
「いやいや……、それは流石に入りづらいな……」
引き返したものの、ふと、リルの耳を目にして尋ねる。
「リル、中どうなってるか分かるか?」
「えーと……。とってもいい雰囲気」
「っそんなとこ入れるか!」
しーっ。とリルに今度は半眼で言われて、レイは声を荒げた事を反省する。
しかし、空を見上げれば、日はゆるやかに暮れかかっていた。
最近は、日が暮れ始めてから落ちるまでが日に日に早くなっている。
「俺だけでも、先に夕飯済ませておくか」
普段なら、久居が支度を済ませて皆に夕飯の声をかけている時間だったが、今日の久居を起こす気には、とてもなれない。
「リルも一緒に食べるか?」
聞かれたリルが、ぷるぷると小さく首を振る。
「そうだな、久々だしお姉さんと一緒に食べたいよな」
言われて、リルは嬉しそうにニコッと微笑んだ。