「ご……っ。ごめん……なさ、い……っ」
突然の謝罪の声に、皆がリルを見る。
リルは、ボロボロと大粒の涙を零していた。
「「「リル?」」」
何人かの声が重なる。
クザンが久居を見る。リルに何か話したのかと。
久居が即座に首を振る。何も話してはいないと。
二人はすぐさま、久居はリルの元へ、クザンはリリーの側へとフォローに向かった。
「……ボク、が……焼い、ちゃっ……たの。その人……」
嗚咽に途切れ途切れになりつつも、なんとか絞り出されたリルの言葉。
一体いつから気が付いて、いつから気に病んでいたのか。
久居は、気付いてやれなかった自身を責めながら、いたわしげにリルの背をさする。
フリーは、リルを慰めようと立ち上がったものの、久居の動きが早かったため、もう一度その場に座り直していた。
足がじんわり痺れていて、うまく歩けそうになかったのも、まあ、あるけれど。
胸中で言い訳をしながらも、フリーは思い返していた。
リル達にとっては三年前の出来事でも、フリーと菰野にとってはつい今しがたの出来事だ。
あの時リルは、私と、私を斬ろうとしたあの怖い人の間に入って、確かに炎を纏ってた。
リルの炎であの人の刀が溶けちゃって、それから、あの人はリルの炎を浴びたのだろうか、その後は……分からない。
死にそうな菰野が心配で心配で、そっちはもう、見ていなかった。
……そっか、あの人あの時燃えちゃったんだ……。
怖い人だったけど……。
菰野の、大切なお兄さんだったんだね。
隣に座る菰野を見る。
その瞳は、静かにリルを見ていた。
ボロボロ泣きながら、途切れ途切れに、繰り返し謝るリルの言葉を、菰野は受け止めているように見えた。
きっと、他の人からも、そう見えてると思う。
でも、その栗色の瞳は本当にリルを見てるんだろうか。
……何かが違う。フリーは急に不安になった。
久居が、リルがあの場で葛原を討たねば、菰野やフリーはもちろん、久居も、下手をすればリルまで死ぬ事になったと、菰野に状況を説明している。
「リル君、事情は分かったよ。
僕達を助けてくれてありがとう」
菰野が、感謝の言葉を添えて、優しく笑う。
リルが、許された事に安心して、わっと久居に泣きついた。
「……そんなはずない」
「え?……」
隣から聞こえた小さな呟きに、菰野がフリーを見る。
菰野と目が合って、フリーは確信した。
栗色の瞳は、驚く程悲しい色をしている。
きっと、菰野は酷く傷付いてる。
「フリーさん?」
菰野にもう一度尋ねられて、フリーは首を振った。
「ごめん、なんでもない」
無理しないでって言いたかった。
我慢しないで、泣いてもいいよって、言ってあげたかった。
でも、それを言ってしまうのは、菰野の頑張りを無駄にしちゃうのと同じだった。
「ありがとう」
と、小さく菰野が言った。
「俺からも謝る。お前の兄を、リルが殺めてしまってすまなかった」
クザンの声に菰野が振り返る。
クザンは、リリーと共に深く頭を下げた。
「ごめんなさい……」
リリーの謝罪の言葉に、菰野が慌てて首を振る。
「いえそんな、お顔を上げてください。
兄が悪かったのですから、仕方のなかった事です」
と、菰野は落ち着いた声で、柔らかく答えた。
クザンがガバッと顔を上げると、その勢いのまま、菰野の顔を両手で掴む。
「!?」
菰野は突然の事に動揺するも、抵抗は見せなかった。
クザンは、そのまま菰野を顔だけ久居に向けると訴える。
「いいのか!? こいつこのままで!」
言われて、久居は小さく眉を寄せた。
「私が致しますので、そっとしておいてください」
その答えに、クザンは渋々両手を離した。
「!?!?」
まだ混乱している菰野に、フリーがそっとささやく。
「きっと、菰野を心配してるのよ」
……そう、なんだろうか。と菰野が内心首を傾げる。
会ったばかりの、何者かも分からないような、娘に付いた悪い虫を、心配するような父親がいるのだろうか。
「泣かした方が良くないか?」と久居に問うクザンに「力尽くはやめてください。菰野様の事は私が致します」と久居がしっかり釘を刺している。
リリーにも「余計なお節介は嫌われるわよ、フリーに」と言われ、クザンは小さく呻く。
どうやら心に痛手を受けたようだ。
クザンがもう一度、菰野を振り返る。
「あ、もし復讐したいと思うなら、リルじゃなくて俺に向かってこいよ」
クザンの言葉に、菰野がまた吃驚する。
「殺されてはやれねぇけど、お前になら、いくらか斬られてやってもいいぜ」
と言って、屈託のない笑顔でその鬼は笑った。
そんな事は考えてもいなかった菰野が、恐縮しつつも、有り難くその気持ちを受け取る。
「ボっボクもっ、ペチンて、されても、いいよっ」
父に倣ってか、リルがぴるぴる震えながら訴える。
菰野が「そんな事しないよ」と優しく微笑む。
その脇から、足の痺れを克服したフリーが拳骨を二つ構えて不敵に笑う。
「リルには、私が代わりにお仕置きしてあげよっか?」
そこへクザンが言った。
「リルはもう三年前にしっかり叱られてんだよ。次はお前が叱られる番だぞ、フリー」
「え゛っ」
ギシッと固まったフリーの前に、今まで遠巻きに見ていたカロッサがやってくる。
「やっと私の出番ね」
ウェーブのかかった艶のある紫の髪、フリーと同じような触角はあれど、それはフリーやリリーのようにピンと伸びたものではなく、後頭部の方へ緩やかに流れている。
背には髪と同じ色の大きな蝶の羽が美しく広がっていて、一見して妖精だと分かった。
「フリーちゃん、はじめまして。
私はカロッサ。リリーと同じ師を持つ、時間と空間制御の専門家です」
と、告げたカロッサが、フリーに空間凍結の難しさ、失敗した場合のリスク等を解説し始める。
思った以上の悲惨な内容に、フリーが、傍目にもわかるほど、青くなっていく。
その話を聞きながら、久居も、自身が無事に凍結され解除されるために、カロッサがどれほど大変なことをしてくれたのか。
そして、菰野達の凍結を外側から術者以外が解除することが、どれほど不可能に近い、難しいことだったのかを再確認した。
「分かってもらえたかしら?」
ニコッと微笑んで、カロッサは自身の仕事に満足した様子で下がる。
そこには愕然とした表情で座り込んだままのフリーと、分からない単語ばかりだっただろうに、神妙に話を聞いていた上、何となく分かったような顔をしている菰野が残されていた。
クザンが、カロッサと入れ替わるように二人の前に進もうとして、くい。と服の裾を引かれる。
「フリーのお仕置きの内容は、私に任せてもらえるかしら?」
リリーにそう言われて、クザンはちょっとだけ嫌そうな顔をした。
彼女がこんな事を言うときは、必ず理由がある。
俺に言えない、そんな理由が……。
クザンは子ども達の歳を思う。
双子の子ども達は時差ができた今、14歳と17歳になっていた。
もう、そんな……能力発現の心配をしないといけない時期なのか……。
クザンにとって、なかなか会えない子ども達は、いつまで経っても、ついこの間生まれたばかりのような気がしていた。
「……精神修行的なやつか」
苦々しく言うクザンの頬に、リリーが指を伸ばす。
「そんな感じね」
誘われて、クザンはリリーに顔を寄せた。
リリーはクザンの頭を両手で抱えるように胸元に引き寄せると、檜皮色をした髪を撫でる。
「そんなに心配しないで、きっと、悪い様にはならないわ」
「リリー……」
慰められ、励まされ、クザンは、それをリリーに自分がするべきなのにと悔しく思う。
「……皆が、いてくれるもの……」
リリーの言葉は、クザンだけでなく自分自身にも言い聞かせているようだった。
一体リリーはどんな未来を見せられているのだろう。
そう思うと、クザンは不甲斐なさと悔しい思いで、胸がいっぱいになる。
ヨロリの元にいては、リリーが悲しい思いをする事になると思った。だから強引に連れ出した。
けど、結局どこにいたって、世界ってやつは彼女を手放す気がないらしい。
そして、ヨロリもカロッサもリリーも、そんな世界を見捨てる気が、さらさら無いようだ。
俺や、子ども達が生きている場所だから。とリリーに言われてしまえば、クザンにはもう、どうしようも無い。
いつだって、優しい奴ばっかりが我慢して、優しい奴ばっかりが辛い目に遭う。
クザンは、どうしても、それだけが許せなかった。