「……思考プロテクトがかかってるわ」
カロッサが、何か信じられない物を見るような目で、レイを見た。
レイは、狭い小屋の中で一人布団に寝かされていた。
三人と一匹はその周りに座り込んでいる。
レイが頭を押さえて倒れたため、脳内出血の可能性から久居が念のためにと頭に治癒術をかけようとしたときだった。
間違いなくかけているはずの術が、うまく回らない。僅かな違和感ではあったが、何かに妨害されている感覚がある。
そうして、カロッサに見てもらった結果が先の発言だった。
「思考プロテクトと言うのは……?」
横文字を掴みきれずに久居が問う。
海外でも、日常会話には困らない程度の言葉を操れるようになっていた久居だが、それでもまだまだ聞いたことのない単語の方が多い。
カロッサは、まだ信じられないような顔のままで答えた。
「言うならば……人の考えを縛る術ね。自分の都合の良いように記憶や考えを書き換えたりできる術なのだけど、……もの凄く高等な術よ……。天界にだって、使える人はそんなに居ないはず……」
「レイは、誰かに洗脳されている、と言う事ですか」
「天使を甘く見てたわ。あいつら、いつでも清廉潔白みたいな顔して、やることがえげつないんだから……」
カロッサが天使への嫌悪感を露わにする。
「カロッサは天使が嫌いなの?」
リルのストレートな質問に、カロッサが迷いなく「大嫌いよ」と答える。
そこには確かに、憎しみのようなものが篭っていた。
「レイのことも、嫌い?」
どこか寂しそうに、リルが尋ねる。
「レイ君は……一生懸命な良い子だなって思ってたんだけど……」
「けど?」
「……分からないわ。こうなってしまっては、彼の言葉をどこからどこまで、信じていいのか」
そう言ってカロッサが、腕を組むように自身の両腕を抱きしめる。
不安を感じているのだろう。
もう彼には、随分と色々話してしまった。
「その術は、外す事が出来るのですか?」
久居の問いに、カロッサが考えながら答える。
「無理矢理外す事はできるかも知れない。でも、それをかけた相手が知ったら、レイ君がどうなるのかは、分からないわ。それに……」
カロッサが言い淀む。
「このプロテクト……すごく昔からかけ続けられてるみたい。何度も何度も上から厳重に重ねられてるけど、最初にかけられたのは……少なくとも二十年以上は前だと思うわ」
レイが、今のリルよりもっと幼かった頃。
見た目で言うなら十かそこらだろうか。
そんな昔から、今までずっと、レイの思考を縛っている人物がいる。
「レイ自身は、気付いていないのでしょうか……」
「そう、でしょうね。こんなに真っ直ぐな子だもの……」
三人は、眠るレイに視線を落とす。
「レイ君が倒れたのは、このプロテクトに反する思考をしようとしたせいでしょうね」
頭痛が警告代わりなのだろう、とカロッサが言う。
それでもなお思考を止めないならば、強制的に思考回路を焼き切られる仕組みらしい。
「ああもう! これじゃ、天啓で口を塞いでも、相手は頭から取り出し放題じゃないの!!」
カロッサが苛立ち叫ぶ。
久居は考えていた。
ここまでの情報を整理すると、レイが倒れたのは、つまり、天使にとって倒すべき対象の自分を、レイが助けようと考えたから。
助けるための思考を、諦めなかったから。
という事になる。
久居の中では、闇の者の話を聞いて以降、命を狙われるかも知れない自分が、今後菰野様に迷惑をかけず、菰野様を安全に見守るにはどうすれば良いか。という事で頭がいっぱいだった。
菰野様の生活再建についても、レイに手伝ってもらう予定だったものがたくさんある。
ほんの数日前、空竜の上でレイと相談したのが、なんだかすごく昔のようにも思う。
何をいくつ、量は、時期は……という話の繰り返しになってくると、リルはつまらなくなったのか久居の膝の上でいつの間にか眠っていた。
話し合いの途中、本物の四環が見てみたいというレイに、久居は厳重に警戒しつつ環を見せてやったりもした。
「へー、これが本物かぁ。初めて見た。綺麗だな……」
と、レイがその露草色の瞳を嬉しそうに細めていたのを、よく覚えている。
じわり、と久居の纏う気配が不穏に滲んで、リルは背を走る悪寒に思わず肩をすくめた。
「……ねえ、久居、……もしかして、怒ってる?」
リルが、おそるおそる声をかけてきた。
「ええ、少々」
久居は言葉少なに答えた。
その返事に、リルはあわあわと何をしでかしたろうかと狼狽えている。
「違いますよ。私は、自分の事ばかり考えていた私と、レイを道具扱いした人に腹を立てているだけです」
久居の補足に、リルが振り返る。と、カロッサも横から食いついてきた。
「私もよ! 軽率な自分にも腹が立つけど、レイ君をこんな目に遭わせた奴はもっと許せないわ!」
二人のあからさまに怒りに、リルが戸惑う。
「え……、レイってそんな酷い事されてるの?」
「そうよ!!」
まだ事情がよく解っていないリルに、カロッサがぐいと詰め寄る。もっと詳しく説明しようとするカロッサを、久居がやんわり止める。
「カロッサ様、リルはあまり隠し事が得意ではありませんので……」
「あ……、ああ、そうよね。リル君、レイ君もこの事は知らないから、内緒にしておいてね」
カロッサに言われて、リルがくりっと可愛らしく小首を傾げてから返事をする。
「うん、分かった!」
ニコニコの可愛らしい笑顔を前に『ああ、これは分かってないな』と二人は思う。
(後は久居君に任せよう)とカロッサは早々に諦め、久居に視線で訴える。
久居はその視線に頷くと、リルに、何が誰にとって内緒なのかを、詳しいことを伏せつつも丁寧に噛み砕いで教え始めた。