鬱蒼と茂った森の奥。
丸一日かかっても、人里にたどり着く事すらできそうにない、そんな森の奥に、朽ちかけた城のようなものが残っていた。
他に人の気配もないような、その城の中庭らしき場所に面した渡り廊下に、ローブを纏った真っ赤な髪の少年と、黒髪の少女とも女性とも取れそうな微妙な年頃の女が居た。
「私達に……手伝えって、こと?」
少年が真っ直ぐ少女に向かって立っているのに対して、少女は肩を少年の方に向け、横から斜め後ろに近い角度で立っている。
「ああ、出来る限り、撒いて帰るつもりだが。……もし……」
少年は、言い辛そうに言葉を切る。髪と同じ赤い瞳が、眉と共に苦しげに歪む。
「もし、どうしようもなくなったら、鬼を連れたままここに……」
帰っても、と続けるのを躊躇って、少年はそこでもう一度言葉を切った。
ここを家のように思っているのは、もしかしたら自分だけかも知れない。と、さっきからほとんど少年を見ようともしない、黒髪の女をチラと窺う。
少女は黙ったまま、考えていた。
(ふぅん。……鬼なら、父さんも怖くないだろうし、多分、大丈夫かな……?)
「……じゃあ、父さんに聞いてみるから」
それだけ答えると、少女は少年に背を向けて歩き出した。
「あ、ああ。頼む……」
赤髪の少年は、答えて、少女の背を見送る。
少女……サラの『父さん』とやらは、俺にその姿を見せない。
まあ別に、こっちだってどうしても顔を見たいわけじゃないが、それでも、もうちょっとこう……。
そこまで考えて、ラスは一度だけ頭を振った。
何考えてるんだ、俺は。
同じ目的で集まってるってだけで、俺たちは別に、仲間ってわけでもない。
一時的に、協力し合うためだけの関係だ。
自分に言い聞かせながらも、少年の胸は小さく痛んだ。
遠い昔、湖畔の家でラスと共に暮らしていた人達は、それこそなんの関係もない人達ばかりだった。
けれど皆ラスを温かく迎えてくれて、ほんの少しの間だったけれど、まるで家族のように接してくれた。
そんな大切な場所だったのに。
……俺のせいで、壊れてしまった……。
ラスはあの湖畔に残された、燃え落ちた瓦礫と夕日の色に、もう一度胸を焼かれて立ち尽くした。
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リル達は、カロッサの自宅跡に戻る手前で、空竜が着陸しやすそうな小高い丘を見つけて昼食を兼ねて休憩していた。
主に休憩していたのはリルと、移動続きでお疲れ気味の空竜と、目を赤く泣き腫らしたカロッサで、それぞれが草の上に寝転んで体を休めたり、羽を伸ばしたりしている。
久居は、印を落とした後に自身で治癒を済ませ、全員分の昼食の支度をし、振る舞い、今はその片付けをしていた。
レイは、せめてと手伝いを申し出たが「レイさんもお疲れでしょう、休んでいてください」と久居にやんわり断られて、今は草の上に胡座をかいていた。
久居が木製の器……漆器と言うらしい、レイの国では見たことの無い軽くて薄い素材のものを、テキパキと包んで片付けている。軽くて丈夫だなんて、実に旅向きの器だとレイはぼんやり思いながら、久居を見ていた。
順序良く片付けを進める久居の横顔は涼しげで、切長の目元に時折長い黒髪が後ろからサラリと掛かっている。
レイは、さっき久居が印を落とした時のことを思い出す。
リルやカロッサの目に触れない草陰で、久居はいとも簡単に傷を開き、自身の力で作り出した小さなナイフのようなもので、くるりと印を切り落とした。
久居は一瞬息を詰め額に汗を浮かべただけで、声を上げることもなく、ただ静かに治癒を始めた。
……結局、俺に手伝えるようなことは何一つ無かった。
もし、印を付けられたのが俺だったら……。
レイには自分が久居と同じように出来るとは、到底思えなかった。
解除法がわかるまでは、マークされたままウロウロすることになるだろう。
それを、カロッサの家の場所は割れていると知りつつも、念のためその手前でマークを落としておこうとする久居の、その用心深さと、それを実行できる精神の強さ、治癒技術の高さに、レイは正直感嘆してしまった。
「……人間にも、凄いやつはいるんだな」
「久居のこと?」
レイがポツリと漏らした呟きに、草原に寝転んでいたリルがぴょこんと起き上がった。
「ああ」
「えへへ、凄いでしょーっ」
何故か嬉しそうにニコニコ笑うリル。
「なんでリルが喜ぶんだよ」
一応突っ込んだが、返ってきたのは「だって、嬉しいんだもん」という答えにならない返事だった。
レイはそんなリルを上から下までまじまじと見る。
リルも、今は炎を消していたが、食事の準備中は「今日の分の練習するね」と炎を出したり引っ込めたり、指先に小さな火の玉を作ってみたりしていた。
そのうち、カロッサが指導に入り、制御訓練になっていたが、その間レイは一度も赤い炎を見なかった。
リルが出していた炎は、常にオレンジ以上の色をしていて、黄色を超えて白色になりそうな場面もあった。
今朝のカエンというらしい鬼も、白色の炎を出していて、レイは内心かなり焦ったのだが、それに対抗していたリルの火力も相当高かったのだろう。
「リルも、凄い炎を使うじゃないか」
レイの言葉に、リルは少し首を傾げてから答える。
「うーん。ボク、炎はまだ出すだけしかできないんだよね。今は、ちゃんと使えるように練習中」
鬼の事情はよく知らなかったが、天使は翼が生えてくるのがちょうどリルくらいの歳だ。
翼が生え揃ってから、ようやく飛ぶ練習や魔法の練習を始めるのだから、この時点で炎を出せるなら十分早いような気もするが、こういうのは種族間で大きく違ったりもする。
「そうか。頑張ってるんだな」
レイは、努力しているらしい小鬼にそう笑いかけると、帽子をポンと撫でた。
そして、ふと、この帽子の下にはどんなツノが生えているのだろうか。と思った。