空竜の上には陽射しを遮る物もなく、レイの身に付けている甲冑の金属部がキラキラと太陽の光を反射している。
レイ自身の金髪もまた、陽を浴びて柔らかく光を返し、その後ろの真っ白い翼がレイをより一層輝かせていた。
眩しいな、と久居とカロッサがほんのり思う。この場合、悪い意味で。
日は高くなってきたが、正午まではまだしばらくある。昼食はどうするべきかと久居が僅かに思案した時、リルが呟いた。
「お腹すいた……」
久居が「お目覚めですか?」と優しく声をかける。
「あれ、そっちに久居? あ。そっか。レイだ。ありがとうー」
リルが、自分を支えているのが久居じゃない事に気付いて、レイにまだ眠そうな顔でへにょりと微笑む。
レイはリルに笑顔を返してから「食事か、どうするかな」と首を傾げかけ、思い出したようにカロッサに向き直る。
「カロッサさんは、今後のお住まいはどうなさるご予定ですか? 天界でお手伝いできることがあれば何でもおっしゃってください」
カロッサが一瞬ギクッとした顔をした。
「あー…………、えーとねえ。まだあそこ、住めるスペースあるのよ、ね」
言いにくそうに告げるカロッサに、リルが寝ぼけた声で答える。
「地下室? 広そうだったよね」
「リル!」
久居の制止も虚しく、リルはあっさり口を滑らせた。
「あれ? 内緒?」
クリっと小動物のような仕草で首を傾げるリルに、久居が深い深い深いため息をつきながら言う。
「リル、発言の前には……?」
「えーと? あ、一呼吸!」
ピコンとリルが元気よく答えた。
「……地下室があったのか」
レイが動揺を隠しきれない声で呟いている。
それはきっと、地下室があったことよりも、それを自分だけが知らされていなかったことへの動揺なのだろう。
今回はカロッサに伝える気がありそうだったので良かったものの、今後もこの調子では非常に困る。久居は、心の底からリルに懇願した。
「一呼吸を、必ず、忘れないでくださいね……本当に……」
「うんっ!」
ニッコリ笑うリルの笑顔は、無駄に眩しかった。
レイが、声をひそめるようにして、久居に顔を寄せて言う。
「……リルには、秘匿事項は知らせない方がいいんじゃないか?」
「そうなのですが、気付くのも、またリルなんです……」
「ああ、耳か」
レイが納得するように呟く。
レイは、リルを下ろしたおかげでようやく自由になった体を伸ばしてから、二人を見比べて尋ねた。
「久居とリルはどんな関係なんだ? 久居は四環の守護者なのか?」
リルと久居が顔を見合わせる。
「えーとー。ボクのお姉ちゃんの、大事な人を守ってる人が久居」
「は?」
「そうですね……、リルは、私の主が想う方の弟君。と言う他ありませんか」
「んんん? ……つまり、直接関係があるのはこの場に居ない二人って事か? その二人は今どうしてるんだ?」
問われて、じわりと表情を暗くする二人に代わり、カロッサが手をあげる。
「レイ君、その話は私がするわね……」
カロッサは黙ってしまった二人を痛ましげに見つめて、続ける。
「その二人は、リル君と久居君にとって、人質みたいなものなの」
「!?」
レイが驚きを浮かべてリル達の表情を見る。が、否定の色はない。
「二人は三年前から一緒に時間停止していて、現在凍結状態にあるわ。それを解除できるのは時の魔術師だけ。そう言われてリル君達は私達の手伝いをしてくれて……ううん、させられてるのよね」
カロッサの声が弱くなる。
リルがパッと顔をあげた。
「ボク嫌じゃないよ、カロッサのお手伝いするのっ」
健気にカロッサを慰めようとするリルだったが、会えない姉を思っていたのか、その薄茶色の大きな瞳にはじわりと涙が浮かんでいた。
「…………でも、早く……フリーに会いたいな……。いつになったら、会えるの……?」
「リル」
久居がリルの肩を押さえ、静かに首を振る。それ以上言うべきでないと言うことだろう。
リルは振り返ると、久居の胸にしがみ付くようにして、顔を押し付けた。
リルの重みが、まだ治せないままの久居の脇腹に響く。
久居は、リルの髪を優しく撫でながら、痛みを堪えるように目を閉じた。
レイが、悲しみを分け合う二人を見ながら思う。
(三年か……。久居は人間だから、俺の感覚だと六年くらいだろうか)
世界の危機はまだ去っていない。だが凍結を解除すると久居達は天啓に対応できなく……いや、その久居の主人が許可すれば無理ではないのか。
天界で用意できる物の中で……その主人に何が必要か次第だな。
レイが状況を整理できた頃、カロッサが勢い込んで言った。
「やっぱり、先に凍結解除しましょう!」
「え!?」
リルの驚いた声。久居も驚きと戸惑いを浮かべてカロッサを見る。
「……ですが……」
「フリーに会えるの!?」
躊躇う久居の声は、期待でいっぱいのリルの声に掻き消された。
カロッサが、何かを堪えるように苦笑する。
「助けたい二人が居ることが、あなた達の力になってるのは確かだし、いざって時の底力になってるのはよく分かるんだけど……。でも、やっぱり良くないわ」
わーいわーいと大喜びのリルと、複雑そうな顔の久居を眺めながら、カロッサは思う。
自分は甘い。自分『に』甘いんだ。悲しむ二人を見ている自分が辛いから、優しいフリをして、結局自分の心を守ろうとしてるだけなんだろう。
「また私が拐われたりして、解除できなくなっても困るしね」
御師匠様なら、自分の心がどんなに傷付いても、より確実に世界を守れる方を選ぶ。
私は本当に、技術だけじゃなくて心までもが駄目過ぎるな。と、あまりに情けない自分に、カロッサはなんだか笑えてきた。
まあ、リル君が嬉しそうだから、私が笑ってても不自然じゃないよね。
そう思いながら苦笑を浮かべるカロッサに、声をかけたのはレイだった。
「カロッサさん……?」
「? レイ君どうしたの?」
急に声をかけてきた天使を見ると、彼はまたも赤面した。
この天使は私を見るたびに、面白いくらい赤面するな、とカロッサは思う。
天界の兵達は男ばかりだから、きっとレイは女性に免疫が無いんだろう。と、カロッサは思っていた。
なので、顔の赤さは気にしない事にして聞き返したのだが、彼はさらに耳まで真っ赤にしながら俯いて、それでもなんとか声を絞り出してきた。
「あの……こんな事を、私が言うのも失礼なのですが、……あ、あまり……、ご自身を責めないでください……」
「…………え?」
あれ? 今そんな話の流れだったっけ?
違うよね? ええ?
あ、まずいわ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、溢れてきて、このままじゃ……。
ーー泣いてしまう。とカロッサが思った時には、もう涙が一粒零れていた。
「カ、カロッサさん!?」
ホロリと零れたその雫に、レイがとんでもなく狼狽える。
「レイ、カロッサ泣かせちゃったの?」
リルがストレートに尋ねると、レイはさらに狼狽えた。
「な、な、泣かせてなんか……っ」
どうしたら良いのかまるで分からない様子であたふたするレイに、久居は仕方なく口を開く。
「リルも良く泣いてますよ」
「えー、ボクそんなに泣いてないよー」
返事するリルに、久居は自分の胸元についたばかりの、リルの涙の滲みをチラリと見る。
「泣く事は、心の健康のため必要な事ですから、泣ける時には泣く方が良いと思いますよ」
久居は、カロッサに優しく声をかけて微笑み、すでに涙腺が決壊してしまった彼女へ、そっとハンカチを手渡した。
「ゔっ。ありがとぉ……」
カロッサが受け取ったハンカチに顔を埋めるようにして俯く。
久居は顔を上げてレイを見る。レイが胸を貸せるようなら良かったのだが、レイは小さく震えるその背中すら、撫でられそうにないらしい。
おろおろあたふたと、懸命にカロッサを覗き込むレイを眺めながら、久居は遠くの主を想った。
(私も、菰野様が生還した暁には、涙するのでしょうね……)
主人の復活という目標が、達成される日が近いのだと、久居はようやく実感する。
じわりと胸に湧き上がる喜びと期待。
けれど、そのためには、凍結解除後、直ちにあの大怪我を治癒しなくてはいけない。
一つたりとも間違えずに。
全ての断たれた繊維を繋ぎ、血管を繋ぎ直して、失った血を補う。それを、出来る限り素早く行わなくては、久居のただひとりの主人は、凍結解除と同時にこの世を去ってしまう。
三年前に左肩から袈裟懸けに斬られた菰野の傷は深く、凍結膜越しに見ても、肺も心臓も無事ではなかった。両太腿からの出血もあり、失血量も致死量を超えている。
治癒には、久居とクザン、それにクザンが連れてくるという輸血要員の三人であたる予定だったが、治癒術者が二人きりでは少々心許ない。
もし、天界からも手が借りられるというのなら、菰野の生存率が上がる事に関して、久居は出来る限りの備えをしたいと強く願っていた。