「……お話しても、よろしいのですか?」
久居が静かに問いかける。
カロッサ達は天使に隠し事が多かったようだが、本当に良いのか。と。
「うん、多分ね。あなた達と一緒で、レイ君も既に巻き込まれてるのよ、世界にね……」
何か言いかけていたレイが、もう一撃喰らって、撃沈する。湯気が出るほど真っ赤になりながら、それでも何か伝えねばならない事があるのか、パクパクと声にならない声をあげようとしていた。
「『世界』ですか……。リリー様も同じ事をおっしゃっていましたが、それは」
「……それは、時の魔術師としての、啓示ですか?」
久居の声に、レイの声が重なる。
レイは、顔こそ真っ赤だったが、とても真剣な表情をしていた。
「そうなの、ごめんなさいね。天啓を出させてもらっていいかしら」
申し訳なさそうに、カロッサは苦笑を浮かべて言う。
「はいっ! 天啓への協力は天界全ての責務です。私でお役に立てるのでしたら、全身全霊をもって努めます!」
レイは気合十分に返事をした。
天啓という単語について、久居が自分なりに解釈しようとしていると、レイが気付いた。
「久居、知らない事はその時に聞いた方がいい。俺で分かる事は何でも教えるから、遠慮しないで聞いてくれ」
「はい。ありがとうご……」
「誰だって、違う世界の事なんて、知らなくて当然なんだからなっ!」
レイの勢いある気遣いに押されて、久居が苦笑しながらも有難く気持ちを受け取る。
「……ありがとうございます」
そんな二人を微笑ましく眺めながら、カロッサが説明を始めた。
「天啓って言うのは、世界の危機を回避するために、時の魔術師が出せる特別な指令ね」
「世界の、危機……」
久居が、漠然とした部分を漠然と唱える。
「中間界もだけど、天界や獄界に危機が迫るような場合に、それを回避するためなら、天界にも獄界にも特別な指令を出す事ができるの。
……でも、私はまだ半人前だから、御師匠様の言葉をただ伝えてるだけなんだけどね」
カロッサが小さく自嘲する。
「世界の危機、ですか……」
久居がもう一度、その言葉を口の中で唱える。
そのために私達は動かされていた。と言う事なのだが、あまりに漠然としていて久居にはどうにも想像がつかない。
「今回の場合は、巨大台風による世界崩壊の危機ね」
カロッサがピッと指を立てて解説を始める。
「本っ当に巨大な台風が、勢力を落とすことなく、ずっと一点に留まる。すると、どうなると思う?」
「そんな事が……可能なのですか?」
久居の問いに、カロッサは頷いて答える。
「ええ、あれを四つ揃えれば、ね」
言われて、久居もレイも気付いた。
大気の四環と呼ばれるあの環なら、そんな異様な状況を作り出すことも不可能ではない。
「そんなものが、いつまでも留まっては……」
レイがそれが引き起こす災害について考えを巡らせる。
「そうね。天界は粉々になるし、中間界も天気がめちゃくちゃになるせいで、気候の乱れが世界規模に影響を広げて、沢山の生き物が死ぬわ。人も、動物も、植物もね……」
カロッサが、自身の眼裏に浮かぶ映像をなぞりながら呟く。
それを聞いて、久居が静かに、納得するように頷いて言った。
「そんなに大量の死者が一度に出ては、あちらも無事では済まないと言うことですか」
「ええ。獄界は魂で溢れ返って、文字通りの地獄になってしまうわ……」
カロッサが小さく身震いをする。両腕で自身を抱くようにして、続けた。
「私にも、このビジョンは見えてるの。これが見えなくなるまでは、手を打つ必要があるわ」
「天界が、粉々に……」
レイが、青白い顔でそう呟いたきり、言葉を失う。
「今すぐの話じゃないわよ?」
と、カロッサが努めて明るく、励ますように声をかける。
「現に、久居君達が頑張ってくれる度に、その時期は遠くなってる。……でも、遠くなるだけ。まだ、消えないのよね……」
カロッサの声は後ろになるにつれ力を失っていったが、久居はここで初めて、自分達が役立っていた事を知った。
今までの事も全ては無駄ではなく、それぞれが正しく意味をなしていたのだと。
そんな久居の喜びに気付く者のないまま、カロッサは話を進める。
「とりあえず、この事はまだ天界には伝えないでもらえるかしら。今伝えても大騒ぎになるだけでしょ?」
カロッサにジッと見つめられて、青い顔をしていたレイがまた頬を赤く染めつつ答えた。
「私には報告の義務がありますが、それも天啓と言う事でしたら可能です」
レイの言葉に「天啓で」と、カロッサが笑って告げた。
ここまでくれば久居にも分かる。つまりその『天啓』という言葉を使えば、レイに対してはどんな秘密を打ち明けても、強制的に口止めする事ができるし、天界の場合はそれが職務として認められるため、それによってレイが立場を悪くする事もない、という事だ。
(なるほど、便利ですね……)
久居の気付きに気付いてか、カロッサがいたずらっぽくひとつウインクをする。
「レイ君、久居君は今回の危機回避のために三年も前から頑張ってくれてる、いわば天啓の先輩です。私がいない場合の指示は、久居君にもらってね」
「「!!」」
まるでレイを久居の指揮下に置いても良いというような言葉に、久居はレイを見たが、二人が顔を見合わせる事はなかった。
レイはカロッサのウインクにやられていて、それどころではなさそうだ。
真っ赤な顔でカロッサをほわんと見つめているレイの姿に、久居は視線を戻す。
カロッサの配慮は正直とてもありがたかった。またあの鬼と対峙する際、彼に指示が出せるならどんなに心強いだろう。自分への評価と信頼も、素直に嬉しかった。
……が、久居は世界よりも、菰野に重きを置いていた。
世界は当然守る必要があると思う。けれど、それは『菰野様の住まう世界』であるからだ。
世界が救われるのを待っていたら、菰野様の復活は一体いつになるのだろうか……。
そっと目を閉じて胸の中の菰野を想う久居に、カロッサが尋ねる。
「久居君は……、その、凍結解除の後に、私達の手伝いをしてもらうのは……やっぱり難しい?」
少なからず遠慮を感じるその声に、久居は静かに顔を上げた。
「解除後ですか。……私は菰野様の部下ですので、そこから先は菰野様のお考え次第になりますが……」
久居は、言葉を選びながら慎重に答える。
主人の事は一刻も早く助けたいが、その後に側に居られないのでは、結局主人を新たな危険に晒してしまうだけだ。
何しろ、今の菰野は城を追われた身。住む場所も、頼れる人もなければ、一人で生活してゆけるだけの術も無い。
「そっか。そうよね……」
カロッサが目を伏せる。
「……申し訳ありません」
彼女の提案に乗れなかった事は、久居も非常に残念だった。
そこへ、いつの間にか正気に戻っていたらしいレイが、グッと胸に拳を当てるような仕草で、唐突に申し出る。
「世界の危機を回避するために、久居が動けるようサポートする必要があるなら、天界は協力を惜しまない。何でも言ってくれ」
「え……。あ、ありがとう、ございます……」
久居は、菰野の生活再建問題に思いもよらなかった方向から助け舟を出されたものの、それが全く異世界のもので、その舟にどう乗れば良いのか分からない様子だ。
「ああ、俺。久居に敬語使う方がいいか?」
困った顔でこちらを見るレイに「今のままでかまいません」と久居が笑う。
「そうか。じゃあ、久居も俺には楽に話してくれ」
とレイに言われて久居は「はい」と応えた。
この世には、私の知る以上の選択肢がまだまだあるのだ。と、そう思うと久居は視界が広がる気がした。