『ゴスッ!』
鈍い音と共に、激しい痛み。
少しして、ぬるーっとした感触が頬を這う。
ぺろりと舐め取ると、案の定、血だ。
そして僕の足下にごろりと転がるのは、人の拳くらいの大きさの石。
今は暗くて見えないが、調べればルミノール反応くらい出るだろう。
「ッてえな……」
石は結構な早さで飛んできた。
普通の人間なら、多少は頭蓋骨が陥没してたに違いない。
痛い、で済むのは僕くらいなもんだ。
伊緒里ちゃんにお休みを言って、基地までの道を歩いていると、誰かが僕に石をいくつも投げて来る。
かすったり外れたりしながら精度を増し、そして頭にクリーンヒットだ。
犯人の見当はもう付いている。
「陸くんでしょ。いーかげんにしてくんないかな。
もうやめようよ。気持ちは分かるけど、お姉ちゃんだって喜ばないよ」
視界の外にいる陸に呼びかける。
そこらへんの木の上からでも投げてんのだろう。
「ふざけんな! 寝取ったヤツが何言ったって説得力あるわけないだろうが!」
そう叫ぶと、また石を投げてきた。今度は肩に当たった。
拳くらいの大きさがあるから、マジでけっこう痛い。
彼が怒り心頭なのは分かる。
だが最初っからコソコソ隠れて嫌がらせをしてくるなんて、卑怯じゃないか。
「イテテ……、ハッキリ言うけどさ、君はフラれたんだ。身内だとか違うとか関係なく、君は伊緒里ちゃんの恋愛対象じゃないんだ。
君のせいで伊緒里ちゃん、結構怖い思いやイヤな思いしてきたんだぞ。ぶっちゃけ病む一歩手前だったんだ。お姉ちゃんを病気にしてどうすんだよ。小学生じゃあるまいし、いい加減気付こうよ?」
「後からのこのこやってきて、今日は今日で姉ちゃんとヤりやがって、マジブッ殺す。姉貴の膜は俺がブチ抜いて女にしてやる予定だったのに! 超殺す! 今殺す!」
つまり彼は、僕が彼女を抱いて帰ってきたところや、彼女が不自然な歩き方をする所までしっかり見ていたってことだ。
僕が一人になるまで待ってるなんて、チキンなやつだ。
「そーいうとこなんだぞ、陸くん。伊緒里ちゃんがどんだけ身の危険を感じて怯えていたか、お前にその気持ちが分かるか? お前、伊緒里ちゃんが好きなんじゃなくて、所有物にしたいだけだろ!」
「ふ、ふざけんな! 俺は伊緒里を愛してんに決まってんだろ! 殺す!」
また一つ、石が飛んでくる。
今度は足下に着弾し、どこかに跳ねていった。
「ウソつくな。お前全然伊緒里ちゃんのこと考えてないもんな! 彼女の前で、面と向かって僕のことも非難出来ない卑怯者。あーもーお前に同情すんのバカらしくなってきた。もーやめやめ。お前、ボコボコにしてやるからかかってきな!」
僕は腰から、最小サイズにした武神器を引き抜いた。
パチパチと柄のスイッチを入れ、『双剣・危機と羅良』に変化させる。
やはりチョイスはこれ一択だ。
相手は手数が多くて機動力の高い人狼、障害物の多い街中では僕が不利だ。
せめてこのくらいのハンデは認めてもらわないと。
警戒しながら周囲をチラと見ると、少し先に基地のフェンスが視界に入った。
中におびき寄せれば周囲にも迷惑がかからないかも。
そう思ったとき、ふとミントのさわやかな香りが漂ってきた――
「だれが同情してくれなんて言った! 貴様の喉笛噛み千切ってやる!」
次の瞬間、目の前にずらりと並んだ鋭い牙が現れた。
ふっと身を引くと、ガチッと顎が閉じる。
「うわッ! ホントに噛みつきやがった」
僕は咄嗟に二、三歩バックステップで距離を取った。
背中にイヤな汗が流れる。
僕の眼前で、オレンジ色の街灯に浮かんだその姿は、人であって人でない。
精悍な体躯に犬科動物の頭部、そしてふさふさした尻尾。
人狼化した陸が、鬼の形相、いや猛獣の形相で僕を睨んで立っていた。
「逃げんな! 大人しく噛まれろ! 南方威!」
見た目は強そうだが、おつむは高校生のまま。
どうにも緊張感が維持しにくい相手だ。
ミント臭の犯人もおそらくコイツだ。
きっとメントスでも食ってたんだろう。
狼の口では発音しづらいのか、元の声とは違って聞こえる。
「やなこった! 逆恨みで食われる義理はねえ!
ギャン泣きすっまでボコボコにしてやんぞ!」
僕は啖呵を切って、双剣を構えた。
すこしづつ後ろに下がって、陸との距離をさらに取った。
「伊緒里は俺のもんだ! 貴様を殺して取り返す!」
「殺したってムリだってのが、どうしてわかんないんだこの犬頭!!」
「犬頭言うなああああああ!!」
激高した陸が突進してきた。
僕もダッシュを始める。
陸の手が僕に届きそうになった瞬間――、僕はヤツの足下にスライディングした。
「!?」
陸が僕を見失った直後、僕はすぐさま起き上がり、基地のフェンスめがけて突っ走った。
あと三歩、二歩、一歩――
「でやあッ!!」
僕はフェンスの前で思いっきり踏み切って、三メートルもの高さを一気に飛び越えた。
「ガアアアアアアアァァァ――ッ」
狼の咆哮が闇夜を裂き、僕の背中を掻きむしる。
一気に基地のフェンスを跳び越えた僕は、砂混じりの路面に足を取られ、着地でバランスを崩した。
「クソッ」
毒づきながら僕は、伊緒里ちゃんからもらった腕時計をかばって、ゴロゴロと地面を転がった。