光明寺先生と、密室でナイショでムフフでちょっと痛い事をした後、僕はホクホクしながらカメクラにやってきた。今夜の僕は、ちょっと誇らしい気分と、秘密を共有する背徳感で少し興奮気味だった。
中に入ったらあまりヘンな顔しないようにしないとね。
僕は店に入ると、一階で遊んでいる八坂兄弟に挨拶をし、駄菓子の補充をしていたクソ店長はガン無視し、愛しい伊緒里ちゃんのいる三階までトントンと階段を昇った。
薄暗くて高級感のある満喫フロアの一角に、伊緒里ちゃんのいるバーカウンターがある。
僕はカウンターの中に伊緒里ちゃんを見つけ声をかけた。
「伊緒里ちゃん遅くなってゴメーン。僕まだメシ食ってないから、タコライス大盛りちょーだい」
……はんのうがない。まるでしかばねのようだ。
「伊緒里……ちゃん?」
僕はカウンターによじのぼって、伊緒里ちゃんのほっぺたをツンツンしてみた。
「ひゃっ! ……なんだ、威くんかぁ、おどかさないでよ、もう」
あ、動いた。良かった、生きてて。
「なにその難波さんの時みたいなリアクション。
どうかしたの? ぼーっとしてさあ」
「え? 私、ぼーっとしてた?」
と言って小首を傾げると、彼女のポニテもゆらりと揺れた。
「してた。……ね、あいつに何かされたの?」
「ううん。あれから顔も合わせてないわ」
「ならいいけど。でも、なんか元気ないよ。さっきはあんなに元気だったのに……」
なんて話していると、伊緒里ちゃんの同僚でバーテン姿のお兄さん、
「八坂さん調子悪そうなんだ。威くんからも早退するように言ってくれないかな」
長身で少し猫背な淳吾さんは、多分僕よりも伊緒里ちゃんとの付き合いは長い。
ここは普段の様子をよく知ってる彼の言うとおり、連れて帰るのがジャスティスだ。
「伊緒里ちゃん、早退しよう。淳吾さんもこう言ってるし」
ところが伊緒里ちゃんはムキになって、どこも悪くないとか、平気だからとか言ってゴネだした。けど、淳吾さんが首を横にぶんぶん振って「連れて帰れ」とアイコンタクトしてくる。
僕はカウンターに入って伊緒里ちゃんを肩に担ぐと、じたばた騒ぐのを無視して更衣室に強制連行した。
「もう、ひどいよ威くん」
僕は更衣室と書いてあるドアを開けて、ソファの上にプリプリ怒ってる伊緒里ちゃんを降ろした。中は会議テーブルや金属ロッカー、ソファーなどが置いてあるだけの簡素な部屋だった。
「だって淳吾さんもああ言ってたし。僕より伊緒里ちゃんのこと分かってるでしょ」
「だけど……具合が悪いように見えるだけで、ホントは違うんだもん」
僕は伊緒里ちゃんの横に腰掛け、彼女の手を握った。
「どう違うの?」
「……こわい」
「何が? 陸くんのことなら、大丈夫って朝言ってたよね?」
「…………ウソ」
「うそ?」
「きのう陸がわめいてた声、今でも耳に残ってて、ホントはあの時すごく怖かった」
「じゃ、なんでさっきやせ我慢してたのさ。僕じゃ頼りないから?」
「ちがうわよ。心配かけたくなかったの。
でも……一人になって色々考えてたら、すごく怖くなってきて……早く威くんが来ないかな、早く来ないかなって思って待ってた……」
「ごめん遅くなって」
僕は伊緒里ちゃんをぎゅっと抱き締めた。
「何がこわかったの?」
伊緒里ちゃんは黙りこくって、しばらく何も言わなかった。
「じゃさ、とにかく着替えてさ、ここから出よ、伊緒里ちゃん」
と言って、僕は伊緒里ちゃんの背中をぽんと軽く叩いて立ち上がった。
「大丈夫、僕は後向いてるから」
僕がドアとにらめっこを開始すると、背後からロッカーの扉を開ける音や衣擦れの音が聞こえてきた。
これがみなもなら全く遠慮しない所だが、さすがに昨日付き合い始めた女の子の生着替えをガン見するほど、僕はゲスじゃない。
「あのね……」
伊緒里ちゃんが背中越しに声をかけてきた。声が震えている。
「うん」
伊緒里ちゃんは、ゆっくり話しはじめた。
「私、最初から威くんはみなもちゃんが好きだって、分かってた。でも、なんとなく私にも気があるのかな、とも思ってた。
去年あたりから陸のこととかあって、いつも不安で、早く彼氏が欲しいなって、護ってくれる人が欲しいなって思ってて、でも面倒事に巻き込むの分かってるから、誰にも声をかけるのも、かけられるのも出来なくて、ずっと一人で悩んでた。
そこに威くんが現れて、やっと救われるってすごく嬉しくて、威くんならきっと陸から護ってくれるって思えて、だから……」
「正解だよ。伊緒里ちゃんは正しい」
みなもとは逆だな。彼女は、思ってることをちゃんと言葉に出来る。
「でも、ずっと待ち焦がれた騎士様はみんなの守り神で、独り占めしたら怒られるかもって思った。でも威くんは独り占めしていいっていうから、独り占めすることにしたの。
でも次の朝、みなもちゃんがすごい剣幕で威くんのこと引っ張ってって、なんかすごい修羅場になってたけど、私どうしても威くんをみなもちゃんに返すのがイヤだったから、だから、みなもちゃんが少し可愛そうだったけど、あんなひどいこと言って……」
あの時の毅然とした態度は、僕を取られまいとして……か。
「じゃ、僕ら共犯? いや同罪か……」
伊緒里ちゃんの啜り泣く声が聞こえてきた。
僕は、このまま後を向いているべきか、それとも……。