第258話 お祭り



 太陽が完全に沈んでしまう前の、オレンジ色に染まった夕焼け空の下を、みんなでゆっくりと歩いていく。


 私達が、領主のお家にお邪魔させて貰う前に立ち寄った、村人達が沢山動き回って準備をしていた付近までやってくると。


 道沿いに並ぶ様に、ふわふわとオレンジ色の暖かな灯りの列が続いているのが見えた。


 パッと見ただけでも。


 ――カンテラに照らされて


 普段、鉱山付近で商いをしている商人達や。


 自領で採れたお野菜や、趣味で手作りしたのだろう、丸太を使って作った椅子などの生活家具を販売する村人達の姿が見える。


 また、食事なども出来るように。


 串にお肉と野菜を付けて焼いた物などを販売している村人や。


 他にも思い思いに、こういったお祭りの時にしかないような変わった食べ物を販売している人などが目に入ってきた。


 エリスのお父さんである領主に事前に聞いたけれど、今日のお祭りで何を販売するかなどは村人達の好きにしていいのだとか。


 勿論、出店でみせを開いて販売に参加する人も、特に販売などすることなく、お祭りを楽しむ為だけに参加している人も全て村人達の自由だったりするみたいで。


 色々な物が売ってあるのを、遠目から見ているだけで楽しい気持ちが湧いてくる。


「あ、皇女様っ! 良かったら、是非、私達の作った卵料理を召し上がって下さい。

 この辺りでは、ポピュラーな家庭料理なんですっ……!」


 沢山の露店が立ち並んでいる中を、みんなで一緒に歩いていると。


 今日、村に来て、お兄様が一番最初に声をかけてくれた女性が私達を見つけて声をかけてくれて。


「その……っ、で申し訳ないのですが」


 少しだけ申し訳なさそうにしながらも、卵と野菜をふんだんに使った料理を私達に出してくれた。


 “トランショワール”というのは、1週間ほど敢えて置いて、硬くなったパンをお皿代わりに使用したものだ。


 お皿などの食器が広く使われるようになる以前の時代では、この国でもよく利用されていたものの一つで。


 庶民の間では、トランショワールに使ったパンもしっかりと食べるのが一般的ではあったんだけど。


 富裕層である人達は、そういった物は下品な行為として、あまり好んでこなかったという歴史があるから、彼女もその事で配慮してくれたのだろう。


 ただ、こういった野外で、屋台などから食事を販売するにはお皿などが汚れることもないし、凄く理に適っている販売方法だと思う。


「ありがとうございます、頂きますね」


 私自身は、ローラが王都で購入してくれる串付き肉なんかも普通にがぶりと噛みついて、食べることが出来るようになっているし。


 こういう場所で庶民の人達がしているような、“トランショワール”が悪いこととも思わない。


 だから、にこりと笑みを溢しながら、彼女からそれを受け取って。


「あの、お値段は、お幾らでしょうか……?」


 と、声をかける。


 此処に来るまでに、お兄様に東の国の人達が持ち運ぶという、巾着袋の中に少しだけお金を入れて貰っていたため。


 私が、慌ててそれを取り出そうとすると……。


「いえっ……!

 恩人である皇女様から、お金など受け取れませんっ……!

 これは、私の感謝の気持ちですので、お口に合うか分かりませんが、皆さん、遠慮せずに召し上がって下さい」


 と、言われてしまった。


 その言葉に困惑しながら“でも……”と声に出して、『それでは申し訳ないからお金を払いたい』と言いかけたんだけど。


 頑なに首を横に振って、受け取ってくれなさそうだった目の前の女性を見て。


 私は巾着袋の中にお金を引っ込める代わりに、『ありがとうございます』とお礼だけを伝えることにした。


 そうして、結局、大盤振る舞いで……。


 人数分頂くことになった、卵と野菜の炒め物のような料理をその場で食べさせて貰うと。


 ペースト状にしたトマトの味とお野菜の甘みが口いっぱいに優しく広がって、普段、皇宮で食べている食事とはまた違ったような美味しさを感じることが出来た。


 一般的な人達が食べている家庭料理なんて、今までにも勿論食べたことがなかったから、凄く新鮮な気持ちになってくる。


【そう言えば、夫人も言っていたけれど、この村ではお野菜が他領で採れる物に比べても凄く甘いんだったよね……?】


 ――何か、良い案を思いつくことが出来れば、それがこの領を定期的に潤してくれる収入源になりそうなんだけどな……。


 内心でそう思いながらも……。


 エリスのお父さんである領主は、本当に人が良さそうで。


 今日開かれているお祭りも、水質汚染の原因が分かって、折角の祝祭として開いているものだからと。


 今回、販売したお金は全て村人や商人達のものとして、領には一切、入ってこないようにしているらしい。


 パッと見て、この領に住んでいる村人達だけではなく。


 鉱山を利用していたような冒険者達も『お祭りが開かれるのなら……』と、物珍しい感じで参加していそうな雰囲気だし。


【売上げは、村人達から取ることはしなくても。

 別の地方からやってきた商人達には、場所貸しとして土地の料金を一律で取ったりすれば、少しでも領の借金返済に充てることが出来るんじゃないかな……】


 と、私は思ってしまって……。


 領地を経営する、領主としての手腕などに関しては本当に大丈夫なんだろうかと、お節介かもしれないけれど、勝手に心配になってしまう。


 だけど……。


 領主である彼に向かって話しかけている領民の人達は、みんな一様に、彼のことを慕っている様子なのは分かるから。


 彼らからは、本当に心から好かれている領主であるということは間違いないだろう。


 私が領主の姿を見つけては、親しげに駆け寄ってくる領民の姿をぼんやりと眺めていると。


 二言三言ふたことみこと、領主の人と穏やかに会話をしていた領民達の視線が続々と、私達がいる方へと向いて。


 気付いたら……。


 あっという間に、彼らから、取り囲まれてしまって。


 心の準備も何もしていなかった分、びっくりしてしまった。


「皇女様、祝祭に参加して下さってありがとうございます。

 こんな良き日に、皇女様が立ち寄って下さるだけで本当に目出度いことですし。

 ……是非とも、お礼をさせて貰いたいので、うちの店に来て下さいっ!」


「皇女様、その後で構いませんので、出来れば、私共の方にも、立ち寄って下さると嬉しいですっ!」


 そうして、戸惑う間もなく、口々にそう誘われて、私は困惑しながらも。


 本当に嬉しそうに、賑やかに声をかけてくれる彼らと、村に住んでいるという子供たちから……。


 「皇女さまっ、こっちですっ!」


 などと先導されて案内される形で、色々とお祭り会場を回らせて貰うことになった。


 スパイシーな香りを漂わせている串付き肉のお店や、お野菜の販売スペース、趣味で作っているという村人の力作が置いてある家具のお店。


 それから、リボンなどの髪飾り用品や、瓶に入ったポプリなどの雑貨用品を販売しているお店。


 量り売りされている香辛料、紅茶の茶葉などが置いてあるお店などを見て回り。


 私自身、こんなに人から好意的に見られることなんて滅多にないことだから、内心で凄くドキドキしながらも。


「皇女様、水質汚染の件、本当にありがとうございました……っ!

 良かったら、うちの商品、どれでもお好きなものを持って行って下さい」


 などなど、行った先々で、色んな人達からお礼を言われ、感謝をされながら。


 お祭りで販売している物など、気付けば持ちきれないくらい沢山プレゼントされるというという現象が起きてしまって、戸惑ってしまうばかりだ。


 その全てを、特に嫌な顔をすることもなく。


 『皆さまにはお祭りを楽しんで欲しいですからね』と声をかけてくれて、領主であるエリスのお父さんが持ってくれていた。


 ――それから、どれくらい経っただろうか?


 気付けば、オレンジ色だった空の色が、完全に太陽が沈んで暗くなり、辺り一面に星々がきらめくようになっていた。


 これまで一通り、村人達から引く手あまたで『こっちに来て欲しい』と、あっちこっち案内されていた私達は、ようやく彼らの手厚い歓迎から解放されて。


「皆さま、折角ですので……。

 村人達が開いているお店だけではなく、商人が開いているお店なども含めて、気になった所があれば、どうぞ遠慮せずに、ゆっくりと、見て回って下さい」


 と、領主であるエリスのお父さんから、声をかけて貰った。


 そのあいだ、私達の馬車に、今日村人からプレゼントして貰えた物を運んでくれた後で。


 アーサーの親戚についても私達に紹介できるよう、見つけておいてくれるらしい。


 至れり尽くせりのその配慮に、申し訳なく思いながらもお礼を伝えれば。


 快活な笑顔で『これくらいのことは何でもありませんよ』と言ってくれて。


 私は、その後ろ姿を見送ったあとで、みんなへと視線を向けた。


「アル、どこか気になったお店はある?」


「うむ、僕は民芸用品を売っている店が気になったな。

 その地方の独特の文化というものに触れることで、この地に生きる人間が一体どのような変化を辿ってきたのか、歴史を想像するだけでも面白い」


 私の問いかけに、わくわくしたように弾んだ声を出しながら、まるで、どこかの研究者かのように好奇心旺盛なアルに。


 普段あまり思わないけど、アルは、こういう所から更に知識を広げていくことが根本的に好きなんだよね、と思いながら。


 にこりと微笑んで、私は頷き返した。


「そっか。……じゃぁ、アルの気になった所があれば優先的に一緒に行こうね。

 お兄様とセオドアは、どこか行きたい場所はありましたか……?」


 そうして、お兄様とセオドアに……。


 色々と見て回っている間、気になった場所があったかと、問いかければ。


「いや、俺はそこまで気になる場所はなかったな……。

 お前が行きたい場所があるなら、別に俺たちに遠慮することはない」


 と、お兄様から返事が返ってきたあとで。


「あー、そうだな。

 姫さんは、普段から、こういう所には来れねぇだろ……?

 折角なんだから、姫さんが行きたい場所や、気になる所を片っ端から回ろうぜ」


 セオドアにそう言って貰えて……。


「ありがとう。

 じゃぁ、気になる所があったら、遠慮せず、その時は声をかけさせて貰うね」


 私は嬉しい気持ちになりながら、二人に向かって、ぐずぐずに溶けたような、ふにゃりとした笑みを溢した。


 ――それから……。


 履き慣れていない草履で、地面にある石をじゃりじゃりと踏みながら、歩いて進んでいると。


 東の国の民族衣装を着ている所為か、私達の格好はどうやっても目立ってしまうみたいで。


 村人だけではなくて、商人や冒険者の人達も、私達が通る度にまるで吸い寄せられるように、此方に注目してくるのを肌で感じられる。


 ……普段は、この赤毛の所為で、嫌な視線を向けられてしまうことが多いから。


 注目されてしまうことで、どうしても俯きがちになってしまうけれど。


 今日は、その事が、いつもよりも気にならないのは、人々の注目が私の髪ではなくて、着ている服に向いているということと。


 私を見てくる視線が、温かくて好意的なものが多いからだと思う。


 目移りしてしまいそうなくらい個性豊かに、色々な物が販売してある出店の通りを歩きながら。


 きょろきょろと視線を動かして、傍から見ているだけでも楽しいな、と感じつつ。


 がやがやと、色々な声が聞こえてくる賑やかな場所を、ゆっくりと歩いていれば。


 ――村に住んでいる子供だろうか……?


 前方から、少年達が元気いっぱいの様子で、会話をしながら走ってくるのが見えて。


 色々なお店に気を取られていた所為で、避けるのがワンテンポ遅れてしまった私は。


【このままだとぶつかっちゃう、っ……っ!】


 と、思ったあとで、咄嗟に身構えてから、衝撃に備えて、目を瞑る。


「……っ、!」


 その瞬間……。


 誰かに手を引かれて、その腕の中に引き寄せられたことで。


 彼らにぶつかることを回避出来たのか、私は頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも、そっと顔を上げた。


「セオドア……?」


 ――いつものように、セオドアが私のことを抱きよせてくれたのだろう。


 直ぐに、その事を把握して、お礼を伝えようとすると……。


「……っぶねぇ、オイ、お前等っ……!

 人の多い、こんなところで、走るんじゃねぇよ。ちゃんと前は確認しておけっ……!」


 と、セオドアから。


 彼らが子供だからか、大分優しい声色で注意されて。


 『ごめんなさい……っ!』と子供たちが私達に視線を向けながら、声を出してくるのを見て、慌てて、私も……。


「ご、ごめんなさい、私も前を見てなかったから……」


 と、声を出して、彼らに謝罪する。


 周囲にあるものに、気を取られて、初めてのお祭りに逸る気持ちが抑えきれずに、わくわくしていたのは私も同じだったから……。


 その事に……。


【彼らとは違って、私は中身はもういい大人なのに、子供っぽく、はしゃいでしまって恥ずかしい……】


 と、思いながら、ほんの少しだけしょんぼりと落ち込みつつ、反省して声を出したことで、セオドアが私に真っ直ぐ視線を向けてくれたあとで。


「いや、別に俺は姫さんを注意した訳じゃなかったんだが……。

 まぁ、でも、何にせよ。……姫さんはふわふわしてて、危なっかしすぎるから、手を貸してくれ。

 こうして俺と手を繋いでたら、はぐれることも、誰かにぶつかるような心配もないだろ……?」


 と、声をかけてくれて、私の手を握ってくれる。


 セオドアのその配慮に、有り難いなぁと思いながら、ぎゅっと、セオドアのその大きな手のひらを握り返したあとで。


「セオドア、ありがとう。……あの、っ、お世話に、なります……」


 と、背の高いセオドアの顔を見上げて、声を出せば。


「むぅっ! ……なんだ、お前達、二人だけで手を繋いでっ! 狡いぞっ、僕もアリスと手を繋ぐっ……!」


 と、アルが空いていたもう一つの私の手を握ってくれた。


 それを見ながら、お兄様が


「オイ、そもそも、アリスは俺の妹だぞっ?

 どうして、お前達が揃って、アリスと手を繋いでいるんだ、……可笑しいだろうっ?」


 と、呆れたような、ちょっとだけ怒ったような、声を出してくるのを聞いて……。


【もしかして、みんな、こうして、心配して声をかけてくれたのかな】


 と、思うとじんわりと、嬉しい気持ちが湧いてきて、私はふわりと、みんなに向かって、笑みを溢した。