第235話【アンドリューSide】



 はぁ、はぁ……っ、と、息を切らしながらも。


 俺は、あの茶髪のガキから雷を使われて、痺れて重くなった自身の身体に鞭を打ち。


 目の前のサバイバルナイフを拾って胸ポケットに入れると、なんとか気合いでアイツ等が向かった方向とは別の分かれ道へとよろけながらも、取りあえず移動する。


 ずるずると身体を引きずりながら、狭い通路に入った所で洞窟の壁に寄りかかり。


 荒い呼吸を繰り返しながらも、未だ痺れてぶるぶると震える手のひらを眺めたあとで、何とか指を折り曲げてそこにぎゅっと力をこめる。


 洞窟内は暗闇だが、目が慣れてくれば全然、何一つ、見えない訳じゃない。


「……はぁ……っ! クソっ! 冗談じゃねぇぞっ! こんな所で捕まってたまるかっ!」


 本来なら使っちゃいけないと取り決められている洞窟内で、人に向けて危険物の使用。


 それから、冬眠している熊たちに向かって毒玉なんかを投げて、周囲の人間を危険に晒しちまったことの責任。


 皇女の顔にナイフを当てて怪我を負わせたこと。


 ――皇女の誘拐未遂


 アイツ等が戻って来たら、ギルドの職員にも話が通って、俺の今日やってきたことが伝わるのは時間の問題だろう。


 そうなりゃ、この国の憲兵に引き渡され、豚箱に入れられちまうのは目に見えている。


 どこの国であろうと、皇族に向かってそんなことをやらかした人間の末路なんざ、決まっている。


 良くて一生、汚い豚箱から出てくることも出来ずに、最悪の場合は死刑だろう。


 何としてでも、その目を掻いくぐって、この洞窟から一人出ることは出来ないかと『考えろ、考えろ……っ』と、思考を巡らせるが。


「……っ、クソッタレっ!」


 どう足掻いても、この鉱山の中は、洞窟小屋を通らなければ帰れない構造になってやがるし。


 そうなったら、絶対にギルドの職員には見つかっちまう。


「クソ……っ、アイツ、だ……! あのガキの所為だっ!」


 あの茶髪のガキっ、涼しい顔をしやがって……っ!


 おおよそ普通の人間が、繰り出してこれるとは到底思えねぇような雷撃らいげきを俺に撃ってきやがった。


 そんなことが出来る存在を、俺はこの世で一つしか知らねぇ……!


 髪色は赤じゃねぇし、女でも無いようだが、それでも、雷や、魔法みたいな物が扱える存在だっていうんなら、アイツは『魔女』に関連した何かだろう……。


 もしかしたら、この広い世界で、女しかいないと言われている魔女も。


 かなりイレギュラーだが……。


 探せば、あのガキみたいに、が生まれてくることもあるのかもしれない。


 “魔女”とは、遺伝ではなく。


 能力を持つ人間は、突発的にこの世に誕生すると言われてはいるが。


 まことしやかに囁かれる、どこの国でも裏では魔女の研究なんかをして……。


 より効率的に、魔女を自国で有するための努力をしているっていうような噂も……。

 あながち、ただの噂なんかじゃなくて、本当に現実的に有り得る話なんだろう。


 自然に生まれたものにせよ、“”があるかもしれないにせよ。


 あんな化け物みたいなガキが、この世に生まれちまっていることには、恐怖を覚えてしまう。


 ただ、雷撃によって、痺れてしまっているからっていうだけじゃない。


 ――この身体が、今もなお、ぶるぶると震えているのは……。


 明確に植え付けられた恐怖に『俺ともあろう人間が……っ』と、小さく舌打ちをしたくなってくる。


 基本的に俺は、昔っから人よりも“がたい”が良く、ソマリア南部の小さな村の生まれだったが。


 何処へ行こうとも、今まで、どんな奴にだって負けたことがなかった。


【俺に敵うような存在は何処にもいねぇ、って……!】


 ――世の中、力のある者が全てだ。


 力が無くて弱い人間から、強い奴に全てを奪われ搾取されていく。


 だからこそ、俺みたいな腕っ節の強い人間は何をやっても許されるし。


 周囲に向かって威張っても、何ひとつ文句なども言えない程には、俺に逆らうことが無いようにと、その力で周りにいる人間、全てをねじ伏せてきた。


【井の中のかわず大海たいかいを知らず】


 どこかの国のことわざが、頭の中を過った。


 ガキのくせに……。


 相対あいたいして分かる、あの冷酷な瞳に。


 その場を支配する、絶対的な、ビリビリとした緊迫感に……。


 まるで、蛇に睨まれたかえるのように動くことが出来なかった。


「ちくしょう……っ! 俺は、蛙なんかじゃねぇッッ!」


 思い出せば、思い出すほどに、圧倒的なその強さに。


 自分の知らない未知なる者への恐怖に……。


 “うっ”という、気持ち悪さと吐き気のような物が込み上げ。


 今朝、食べたものが、胃からせり上がってきそうになるのを堪えながら、俺は洞窟の壁に手をついて。


 再び、ぐっと、その手に力を込める。


【俺は、ずっと、搾取する側だったんだっ……!】


 ――今までも、そうしてこれからも……っ!


 ずっと、そうあり続けると思っていた。


 だからこそ、あの茶髪のガキにも、ノクスの民である、あの騎士にも。


 負けたなんてこと、絶対に認めねぇっ……! 


 アイツ等がっ、俺より強いなんてこと、まだまだ認めちゃいねぇっ!


 例え、俺の周りにいる奴らが全員、『そうなのだ』と言ってきてもだ。


 少なくとも、俺が“負けた”などと認識してなければ、俺は蛙のような、この世の中でも下位かいの部類に入る生き物にはなっていないと言い張れる。


 ――食物連鎖の頂点、だった。


 俺は常に捕食する側の人間の筈で、決して捕食される側じゃない。


「……俺は、まだ戦える……っ!」


 小さく唇を噛みしめて、俺は洞窟の地面を睨み付ける。


 皇太子やノクスの民の騎士、それからあの茶髪のガキだけじゃねぇ……。


 大体、俺は最初っから、あのお綺麗な顔した皇女の存在も、何もかもが気にくわなかったんだっ!


 耳触りのいい言葉を並び立てて、心配するフリをしながら、人に良い顔して、正義を装った良い子ちゃんぶりやがって、虫唾が走るっ……っ!


 ……人間ってのは、絶対にどこかに裏があるもんだ。


【怒る訳でもなく、ただ無償で、100%の善意から、さっきまで自分のことを攻撃してきた人間のことを一生懸命に助けるような奴がいるかっ?】


 どう考えても、答えはNoだ。


 純粋無垢? 真っ白な存在? ハッ、あり得ねぇ……っ!


 ――そんなっ、聖人君子せいじんくんしのような、天使みたいな人間が、例え、社会の悪から隔離して純粋培養で育てられていたとしても、この世の中に存在する訳がねぇっ……!


 サムも、肩を怪我したアイツも上手いこと騙されやがって。


 俺が今まで生きてきた経験上。


 ああいう奴は、振りかざした善人の顔に、自己陶酔しているタイプに違いねぇだろう。


 実際、本当に自分の身が危険になったときには、誰も彼もを見捨てて“いの一番”に、逃げだすに決まってる。


【……俺は、絶対に騙されねぇぞっ!】


 内心で、そう思いながら、俺は胸元に入れておいたサバイバルナイフを取り出した。


 その瞬間、周りに人の声が聞こえ始めて、にわかに、さっきまで俺がいたフロアが賑やかになったことに気付く。


 どうやら、俺をその場に放置して。

 6つ目の洞窟小屋に戻った連中が、ギルドの職員達を引き連れて戻ってきたらしい。


 身体はまだ、麻痺から完全には回復しておらず、鈍い状態だったが、決して動けない訳じゃない。


 あの茶髪のガキの声も聞こえてくることから、ヒューゴやサムが、あの化け物みたいなガキに関しては、ギルド職員や冒険者達に上手いこと取り繕って言い訳したんだろう。


 もしかしたら、俺が痺れ玉を使って、麻痺したとでも説明したのかもしれねぇ……っ!


 アイツ等さえ黙っていれば、必然的に俺が捕まった時に。


 あれこれと、あのガキについて、雷撃のような魔法を使ってきたと本当のことを言ったとしても、憲兵共に『そんなことが、ある訳ない』と、俺の妄言として処理され流されてしまう可能性が高い。


 サムもヒューゴも、子供だからっていう理由からか、アイツ等には甘くて同情的だったし。


 あのガキを守るためにも、小賢しいまでに、上手く立ち回ってるのだということが分かって。


 俺はぎりっと、思いっきり自分の奥歯を噛みしめる。


 俺と一緒に行動していて、熊に怪我を負わされたアイツも、善良な仮面を被った皇女にすっかり騙されてコロッといっちまったことを思うと、しっかりとした証言は望めねぇはずだ。


 クソっ……! 折角、俺がこの冒険者パーティーの№2にまで格上げしてやったっていうのによっ!


 ちょっと優しくされたからって、いとも簡単に騙されて、恩を仇で返すようなことしやがって。


【全く、どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしてきやがるっ……!】


 ちょっとずつ、フロアの方へ近づいて。


 アイツ等からは、俺の姿が見えないギリギリのところまで進み、窺うようにその状況を確認するが……。


 連中は、その場に居ない俺を放置することにして、先に熊たちと戦っている皇太子達の方へと救援物資を持って向かうことにしたらしい。


『捜索隊に任せる』


 と、ちょっとだけ、奴らの話が聞こえてきたが、ギルド職員がそう言ったことで。


 俺の命は簡単に見捨てられたのだということを、正確に察することが出来て、俺は唇を歪めて笑みを溢した。


【……それなら、それでいい。

 どうせ、今、この場所から出て行ったところで、待っているのは、地獄への片道切符牢屋行きなんだっ!】


 誰でもいい。


 皇太子一行の、誰か一人でもいいから、その鼻を明かしてやりたい。


 嗚呼、そうだ、な……。


 ――あの、が良いなっ。


 取り繕った、善人の……。


 その表情が歪んで、化けの皮が剥がれるような瞬間を見るのは楽しいかもしれない。


 俺に対して冷酷に攻撃してきたあの茶髪のガキにしても、皇女の言うことなら聞くようだったし。


 アイツを傷つけるようなことが出来れば、多分、周囲にいる人間は自分が傷つけられるよりもダメージを負う可能性も高い。


 その後、取り押さえられて、この身がどうなろうと構わない。


 どうせ、捕まるか、この場で野垂れ死ぬかの二択なんだ。


 ……この身体に、未来なんて残されちゃいない。


 だからこそ。


 ――このまま、負けたままでは、絶対に終わらせない


 内心で、そう思いながら……。


 一呼吸、置いて。


 俺は、持っていたサバイバルナイフをグッと握りしめ。


 目の前のフロアから、先に進んでいく奴らの後を、ほんの少し遅れて付いていくことにした。