第167話【ギゼルSide】

 スラムで人身売買の摘発に成功し功績をあげてから……。


 父上にスラムで協力してくれた奴がいて、もしかしたらそのうちの1人がこの国の貴族の息子で誘拐された存在かもしれないという事情を説明した俺は……。


【そういう事情があるのなら、調べてみるといい】


 と、父上からの許可をもぎ取ることに成功し、アズの手がかりを探るため今まで帝国で起きた事件が事細かに記されている禁書の置かれた部屋へと向かっていた。



 外には騎士が常駐しており、常に鍵のかかったあの部屋はセキュリティも万全だ。


 その道中で、偶然兄上に遭遇した。


「あ、兄上……」


「ギゼルか。……どうした?

 お前が此方の宮にまで来てるのは珍しいな? 何かあったのか?」


「はい。以前話したスラムで暮らす子供のことなんですが、父上からの許可を得ることが出来たので今向かっていた所です」


 兄上から問いかけられて、事情を簡単に説明すれば……。


「あぁ、そう言えばそんなことも前に言っていたな?

 それなら丁度良い。

 あそこの鍵なら俺が今持っているから、お前に渡しておく。

 ……使い終わったら父上に返しておいてくれないか?」


 兄上からそう言われて、あの部屋の鍵を渡されてしまった。


 あの部屋に行くのに許可を出して貰って、父上に鍵を貰おうとした時に……。


【鍵は今、私の手元にはない。行けば多分、開いている筈だ】


 と言われて、不思議に思っていたことが、兄上の発言で一気に氷解する。


 兄上も何か用事があって、あの部屋に行っていたということなのだろう。


「分かりました。俺から父上に鍵は返すことにします。

 それより兄上もあの部屋に用事が? その手に持っている資料と何か関係があるんでしょうか?」


 そこで初めて、兄上の手に、沢山の資料のようなものが抱えられていることを発見し、俺も質問する。


 俺の問いかけに、兄上は、『ああ、これか……』と資料に視線を落としたあとで


「父上から頼まれていた案件だ。

 ……俺も詳しく調べたいと思っていてな」


 と、俺に向かって声を出してくる。


「父上から頼まれていた案件、ですか……」


 普段から兄上が忙しく動いていることは分かっていたけれど。


 もう既に色々と父上から任されていることに、流石兄上だな、と内心で思いながら、オウム返しのように問いかければ……。


「あぁ。

 この間、牢に捕らえられていた囚人が集団で死んだ事件があっただろう?」


 と、兄上から俺の知りたいことに対する答えが明確に返ってきた。


 その言葉を聞いて囚人が死んでしまった事件という物に該当する件が一件あったことを俺は頭の中で思い出していた。

「あぁ、あの事件なら覚えてます。

 でも、あの事件って事件じゃなくて、事故ですよね? ……確か、集団で食中毒になったとか、そういう話じゃありませんでしたっけ?」


 確か2ヶ月ほど前にあった話で。


 朝の朝食で、家族が全員集まっている状況の時に入ってきた知らせだったから、あの事件のことは俺もよく覚えていた。


 父上が事態をより詳しく確認するのに食べかけの朝食をそのままにして、バタバタと忙しそうに仕事をするために席を立ったのも記憶に残ってるし。


 そのあとで母上が何が起きたのかをハーロックに聞いて、あの事件というより、あの事故のあらましを俺たちも聞いたんだよな……。


 でも、どちらにせよ、一度食中毒として処理されて片が付いた案件には間違いない。


 改めて調べるような物でも無いと思うけど、と思っていたら……。


 疑問に思っていたのが表情に出ていたのか、兄上は俺の方を真っ直ぐに見ながら……。


「いや、それが今になって。

 ……事故だった物が事件だった可能性が浮上してきたんだ」


 と、小さく低い声で俺に教えてくれた。


「事故だったものが、事件だった可能性、ですか……」


 それは随分きな臭い話だな、と思いながら、俺は表情を強ばらせる。


 もしも兄上の言っていることが正しいのだとしたら、捕まっていた囚人は誰かに殺されたことになってしまう、だろう。


【一体、誰がそんなことを……?】


 内心でそう思いながら、兄上の方を見て。


「……それで、兄上は父上に頼まれてその事件の再調査を?」


 と、声を出して問いかければ、兄上はこくりと頷いたあとで。


「あぁ。

 ……まだ調べないといけないことも多すぎて詳しいことは話せないが、俺も父上と同様、あの件は事件である可能性の方を疑っている」


 と、俺に教えてくれた。


 兄上も父上もそう言っているのなら、本当に事件である可能性の方が高いのだろう。


 一度は食中毒だということでこの件が片付いていたと思うと、それを偽装出来るだけの手段が必要になってくる筈だ。


【例えば、俺でもパッと直ぐに思いつくのは、“毒”とかそういうものを使った、とかだろうか】


 兄上が手に抱えている資料がどんな物なのかは分からないが、これから犯人や、その動機など詳しく調べるために必要な物なのだろう。


 既にあの事件から日数が大分経過してしまっていることを思うと、痕跡ひとつ探すのにもかなり苦労しそうだな、と思いながら……。


 相変わらずお忙しそうな兄上が、詳しいことは話せないと言っていることからもこれ以上の情報を聞き出すのは得策ではないだろう。


「兄上が父上から色々と任されて、大変そうなのだけは、俺にも理解出来ました」


「そこまで言うほど大変な事でも無い。

 それにこの件だけは、何としてでも解決しなければいけないことだと思っているからな」


「確かに父上から任された案件なら、何を以てしても解決しなければいけませんよね」


「……あぁ、いや……」


 俺の言葉に兄上が虚を衝かれたような表情を浮かべてちょっとだけ濁すように声を出したのが聞こえて来て。


【父上から任された案件だから、絶対に解決しなければいけない案件だと思っていた訳じゃないのだろうか……】


 と、その表情で俺も読み取ることが出来たけど。


 他に何を思って、何としてでも解決しなければいけないと兄上が思っているのかが分からなかった俺は、兄上のその表情の意味を深く考えることもせずに流すことにした。

 それより今は、アズのことを調べるのに集中したいしな。


 俺自身、以前よりも兄上に良い意味で関心を向けるような機会が減ってきたことに自分でも驚いていた。


 前までなら、兄上が父上に頼まれた仕事のことももっとより詳しく聞いていただろうし。


 それを聞いた上で、兄上はやっぱり凄いんだっていう尊敬の念と、自分も早くそこに追いつかなければいけないという思いに苛まれて複雑な気持ちを抱いていたけど。


 今はそこまで、兄上という大きな存在に囚われてしまうようなことも無くなってきているとは、思う。


「お忙しい所、引き留めてしまって申し訳ありません。……そろそろ、行こうと思います」


「あぁ、誘拐されたかもしれない子供のことだったよな? お前がそう言う風に自発的に過去の事件に興味を持って解決に動いて努力しているのを知って、父上も喜んでいると思うぞ」


「あ、ありがとうございます……っ」


 兄上の言葉に、ただ過去の事件に興味を持ったという訳ではなく、もう一度アズとテオドールに会いたいという俺のよこしまな思いからくるものが、あまりにも打算的で。


 褒められたことに、ちょっとだけ複雑な気持ちを抱きながら、俺は兄上と別れて再び禁書の置かれた部屋を目指して歩き始めた。


 目的の部屋には直ぐに辿り着くことが出来て、俺の姿を確認すると、目の前で部屋を守るように立っていた顔見知りの騎士が、此方を見て一瞬だけ驚いたような顔をするのが見えた。


 確か、父上もかなり信を置いている騎士だった筈で、騎士団での地位もそれなりにある実力者の一人だ。


「父上からの許可証だ、通してくれ」


「……ギゼル様、珍しいですね。

 先ほど、ウィリアム様も来られたんですよ」


「あぁ、さっき兄上にはここに来る道中で遭遇したよ。

 ついでに鍵も含めて貰ってきた」


「そうだったんですね。

 許可証、確かに確認いたしました。

 ……どうぞ、お入り下さい」


 父上からの許可証を見せれば、直ぐに扉の前から避けてくれて、俺は兄上から貸して貰った鍵を鍵穴に入れて、くるりと回す。


 他の部屋の扉よりもかなり重厚感のあるその扉を手前に引いて開ければ、初めて入るその部屋の中はそこまで広いとは言えなかったが、棚にぎっしりと本が詰められているのが確認出来た。


 そろそろ棚に入りきらなくて上に重ねて置かれている物すらあって、流石、帝国中の事件を記録している本が置かれている場所なだけある。


【流石にこれを全部読んで、片っ端から調べるのは骨が折れるぞ】


 事件や事故など似通った物が大まかに種類分けされて、どういう事件なのか見やすいようにラベリングされているため、ある程度絞って読むことは出来るだろう。


 内心でそう思いながら、棚にぎっしりと並んでいる本のラベリングを片っ端から確認していく。


 それだけでもかなり時間がかかるかと思ったけれど……。


 幸いなことに知りたい誘拐事件などの記事が書かれた本がまとめて置かれているような棚は、わりと直ぐに見つけることが出来た。


【確か、アズの年齢は10歳前後くらいだったから、今の西暦から、最大でも5年くらい前を見積もれば充分だろう】


 アズがある程度、貴族としての教養を持っていたことを思うと、どんなに早く勉強を始めても4~5歳くらいの年齢の時に勉強し始めたと考えるのが妥当だろう。


 そこから誘拐されたと考えると、恐らく6~10歳くらいの間の時に誘拐されたんじゃないだろうか、という事までは俺にも簡単に絞ることができる。


 逆を言えば、その年代の資料にアズらしき人物が誘拐されたような記事が載っていなかったとしたら……。


 アズの手がかりを調べることは、ほぼ不可能に近くなってしまうだろう。


 まぁ、シュタインベルクで起きた子供が関わる事件についてだけ見ても、結構な件数がありそうだし。


 これを遡って確認するのは、文字通りかなり大変そうだったけど……。


【それでも、アズやテオドールにもう一度会えると思えば苦では無い】


 内心でそう思いながら、目に付いた一冊をとりあえず棚から抜き出してみる。


「……っ、おい、嘘だろ……っ!」


 その瞬間、ドサドサっという大きな音がして、資料が棚の中からこれでもかってくらい落ちてきた……。


【ちゃんと丁寧に棚の中に整頓して入れてればそんなことにはならない筈だろうっ!】


 上に積み重なっていたファイルを一冊一冊、避けることもせずに、下にある本から取った俺も確かに悪いんだけど……。


 内心で恨めしく思いながら、自分の身体にバサバサと連続で強打して落ちてくる本にまみれて咄嗟にバランスが取れずよろけて尻餅をついてしまう。


「ギゼル様、大丈夫ですかっ! 今の音は一体っ!?」


 その音を聞きつけたのか、扉の前にいた騎士が慌てたように部屋の中に入ってきた。


「あぁ、問題ない。

 ちょっとよろけてバランスを崩してしまっただけだから」


 一言、そう声をかければ、『戻すの手伝いましょうか?』という有り難い言葉が返ってきて、俺はその提案に


「あぁ、悪いなっ! 宜しく頼む」


 と、声を出したあとで……。


 自分の身体に落ちてきた本を一冊一冊、とりあえず手に取って避けていく。


【年代別にきちんと置かれてたみたいだから、ちゃんとラベリングを見て戻さなきゃいけないよな】


 手間がひとつ増えてしまったことに内心で溜息を溢しながら、この際、俺の知りたい情報が書かれていそうな本を別に避けて、あとは年代別に綺麗に分けていければいいだろうと思った俺は、本のラベルを一つ一つ確認しながら、それぞれ、きちんと区別して分けて行く。


 その過程で、落ちてきた拍子で偶然開いていた本のページに吸い込まれるように視線が奪われた。


【……これ、アイツのっ、の誘拐事件の時の記事、かっ?】


 そういや、確かにアイツもちょっと前に乗ってた馬車が事故に遭って、誘拐された上に母親が殺されてしまったんだよ、な。


 確かに誘拐事件というのなら、そうなのだろうけど……。


 アイツのことを毛嫌いしていた俺にとっては、ちゃんと事件の内容を詳しいところまでは把握していなかった。


 思わず、本を片づけようとしていたその手を止めて……。


 その本を手に取ったあとで、俺はアイツの事件について書かれた記事の詳細を読み始めた。