翌日、約束通りにジュエリーデザイナーさんがやってきてくれて。
サンプルとして今まで作った作品を見せて貰いながら、私のデビュタントでつけるネックレスとイヤリングをどんな物にするかの案が大方固まってきた。
ビブネックレスだとどうしても豪華なイメージが頭を過ってしまうのだろう。
最初、デザイナーさんのネックレスを確認した時のハーロックはそのシンプルさに驚いていたけれど。
長年、お父様の執事を勤め続けているだけあって、良い物を見極める目をハーロックが持っていることは私にも分かっている。
一目見て、そのシンプルなデザインの、けれど手間を惜しんでいない細かい装飾に、人を惹きこむようなそんな魅力があることに気付いてくれて。
「ビブの概念を根本から覆すようなデザインですが、想像以上でした。
陛下からこのネックレスとイヤリングをお嬢さまが賜る時には、このシンプルさが周囲からは逆に目新しく映って目立つでしょうね」
と、私に向かって力強く頷いてくれた。
一先ずは順調に進んでいることにホッとしながら……。
「これならば陛下も大変満足されるはずです」
と、太鼓判を押してくれたハーロックが、ほくほく顔でデザイナーさんと契約を交わしているのを尻目に私はドレスのことも考える。
……シンプルが故に、どんなドレスにも合うだろうけど。
出来るだけドレスも落ち着いた物にした方が、イヤリングもネックレスもより、引き立つ、かな。
ハーロックが既に明日という急な日程で、マダムジェルメールと約束を取り付けてくれているらしいから、ジュエリーとの兼ね合いも含めて、そちらも相談出来るに越したことはないだろう。
【約束を取り付けようとした時、お嬢さまのことをお伝えしたら二つ返事で了承を頂けました】
と、ハーロックに言われて。
全てが急なお願いだったのに、嫌な態度も出さず、こうして直ぐに来てくれようとしてくれるだけでも有り難いと本当に思う。
それにしても、巻き戻し前の軸の私は、結局お父様にデビュタントを開いて貰えることはなかったから、ここまで、“自分主催”で行うパーティーの準備が大変だとは予想もしていなかった。
未だにハーロックがくれた書類には全く目を通せていないし、大変だけど『頑張らないといけないなぁ』とは、改めて思うのだけど。
書類を見てその日、一日の流れを頭の中に叩き込んで、ダンスの練習に、ドレスをどんなものにするのかの相談。
後は膨大なリストにある招待客をほんの少しずつでも覚えていかなきゃいけないだろう。
【当日、私に挨拶にやってくるであろう貴族の人が沢山いることを考えると今から頭が痛い】
……その人達が、誰を支持しているのかなども。
今後見極めていかなきゃいけないと分かってる。
とりあえず、魔女狩り信仰派の貴族の人と、私を上手いこと操りたいと思ってるタイプの人には気をつけなきゃいけないとは思うけど。
困ったことに、誰がどういう思想を持っているのかなどが全く覚えられてなくて、私は小さく溜息を溢した。
【巻き戻し前の軸でもう少しちゃんと確認しておくんだったな……】
頭の中で、そう思いながらも、覚えていないものはどうにもならない。
それでも、お母様が亡くなってから、積極的に此方に関わろうとしてきた人達には何人か覚えがある。
その人達のことを思い出して、頭の中で気をつけなければいけないリストに入れていた私は、ジュエリーデザイナーさんとハーロックが契約を交わし終えて、固い握手をしている場面を見て、一気に現実に引き戻された。
それから……。
ハーロックとジュエリーデザイナーさんが来客用に使っている部屋から退出したあとで、私は、ベッドのあるいつも使っている自分の部屋へと戻ってきていた。
ここ数日、勉強をしていたり、ルーカスさんとダンスの練習をしていたり、お父様と食事をすることになったり、スラムに行ったりと。
色々と予定があって忙しく、バタバタと慌ただしい毎日を送っていたせいか。
久しぶりにゆっくりと落ち着ける時間を持てたことに、ほんの少し安堵しながら椅子に腰掛ける。
といっても、やっぱり書類には目を通さなきゃいけないし、なんだかんだで、考えなくちゃいけないことも多くて、本当に落ち着ける時間がくるまでは私のデビュタントを無事に執り行うことが出来てからになるだろうから、もう少し時間がかかってしまうだろうけど。
昨日の疲れが残ってて、面倒くさいなぁ、とは思ったけど。
後回しにしていたら、していた分だけ後々の自分に返ってくるのは分かってる。
巻き戻し前の軸の失敗を、もう二度と繰り返さないと決意を固めながら、ハーロックが用意してくれたその書類に目を通そうとすれば。
「姫さん、流石に今日はゆっくり休んだ方がいいんじゃないか?」
と、セオドアが心配して声をかけてくれた。
「ありがとう、セオドア。……でも私、物覚え悪いから、ちょっとでも進めてないと後々痛い目にあう気がして」
素直に、目の前の分厚い書類を少しでも読み進めていないと。
物覚えの悪い私では『大変なことになりそうだなぁ』と思っていることをありのまま伝えれば、セオドアはほんの少し眉を顰めたあとで。
「あぁ、確かにやらなきゃいけないってのは分かってるけど。
……でもな、休憩出来る時はちゃんと休憩してくれ。
昨日だって能力を使ったあとで体調崩したんだし、まだ、顔色がちゃんと元に戻ってないことくらい、俺にも分かる。
それでまた、この間みたいに能力関係なしにぶっ倒れたりしないとも限らねぇんだ」
と、真剣な表情を浮かべながらそう言ってくれて。
私はセオドアのその真剣な表情に、目を見開いたあとで、大人しくその言葉に従ってこくりと頷いた。
【どうして、いつも何も言ってないのにセオドアには私のこと、分かるんだろう……】
「……うん、ありがとう。じゃぁ、今日はちゃんと休憩するね」
「出来たら、椅子に座ってじゃなくて、ベッドに直行して欲しいんだが」
「……う、うん、でも、まだお昼すぎだし、ずっとベッドの中で過ごすっていうのもっ」
「姫さんが行かねぇなら、問答無用で連れてくぞ」
「……うぅっ、ごめんなさい、すぐに行きます……」
こっちに近づいてこようとしてくれたセオドアに急に気恥ずかしい気持ちに襲われて、私は自分で椅子から降りて、ベッドに直行した。
ずっとあのままでいたら、多分抱え上げられて、本当に問答無用でベッドに連れていかれてただろう。
私が大人しくベッドに座ったあとブランケットをお腹部分までかければ、それで、一先ずは納得してくれたらしいセオドアが。
「飲み物は?
何か侍女さんに持ってきて貰おうか?」
と、声をかけてくれる。
心配して色々と気遣ってくれて、至れり尽くせりのその状況に……。
「ううん、ありがとう、大丈夫……」
と、私がそう言った瞬間……。
コンコンと、扉を叩くノックの音がして。
「アリス、僕だ。今いいか?」
と、アルの声が聞こえて来た。
【そういえば、アルと一緒に精霊達の様子を見に古の森に行く日程も、どうするか、考えないといけなかったのに結局まだその話も出来てないな】
頭の中で、そんなことを思いながらも、扉越しにアルに『うん、どうしたの?』と声をかければ。
「なんだ、アリス。……これから、昼寝でもするのか?」
と、ベッドに座ったままの私に、部屋に入ってきてくれたアルが驚いたように声をかけてきた。
「いや、まだ昨日の疲れが抜けきってねぇのにも関わらず、書類に目を通そうとしていたから。
俺が姫さんを無理矢理ベッドに直行させたんだ」
そうして、私の代わりにセオドアがアルに向かって声を出してくれれば、アルはそれで合点がいったように。
「うむ、お前は少し休んだ方がいいだろう。
……なら、僕の話はまた今度にしようか?」
と、言ってくれた。
「ううん、大丈夫だよアル」
アルがセオドアの言葉を聞いて配慮してくれたのは凄く嬉しかったけど。
誰かとこうして話すくらいは、全然問題ない。
その言葉がどういう意味なのか直ぐに思い当たらなかった私が、首を傾げて、アルに続きを促せば。
「前に図書館でお前が見つけてきた“黒の本”について、少し進展した事があったから話そうと思ってな」
と、声をかけてくれた。
そう言えば、図書館で見つけた黒の本については、アルが、色々と調べるって言ってくれてそのままになっていたな。
解析してくれるって言ってたから、なんとなくもう少し時間がかかってしまうものなのかと思っていたけど。
私がアルに視線を向けると、アルは手に持っていた黒の本を私に手渡してきてくれた。
視線で促されて本のページを捲ってびっくりする。
「アル、これ……」
「うむ、恐らく
そこに書かれていたのは、白紙ではなく、私が最初に見た時と全く同じ。
色々な魔女の能力について詳しく書かれているものになっていた。
アルとセオドアにも見やすいように本を私の膝の上に置いて、三人で、顔をつきあわせて、その本を覗き込む。
「確かに、私が見たのと全く同じ状態になってるよ」
「やはり、そうか……」
「オイ、アルフレッド。
魔女の能力ってこんなにも種類があるのかよ?
これに書かれているのが、もしも事実なら、この本、とんでもなくヤバい代物じゃねぇか。
……それで? お前が調べていた魔力の
「いや……。それが、どうにも奇妙、でな」
「うん? アル、奇妙って、一体どういう、こと……?」
三人での会話の遣り取りのあと、セオドアの問いかけに対してアルがそう答えたのを聞いて、私はアルに質問する。
珍しく、眉を寄せて、苦い表情を浮かべながら、アルは、私とセオドアの方を向いた。
「途中までは確かに誰かの魔力の残滓、痕跡を追うことが出来るのだがな。
……ある一定の所まで到達すると、霧がかかったように掻き消えてしまうんだ。
まるで、そこから先の痕跡を一切追わせないようにしているかのように、な」
「……“お前”でも辿れないものなのかよ?」
「時間をかけて調べることが出来れば、もっと詳しく分かるとは思う。
だが、奇妙なのはそれだけじゃない」
「どういう意味だ?」
「この本は、
アルの言葉に驚いて、私は……。
「精霊と契約した魔女にしか……?」
と声を出した。
私のその言葉に頷いて、アルは『うむ』と、肯定してくれたあとで『だがな……』と、言葉を続ける。
「その割に、魔女が本を開いたその数分の間に、本の中身が全て魔女関連のことから白紙のページへと書き換わるように設計されているのだ」
その言葉に、私が目を見開けば、セオドアが。
「それって、意味があるのか?」
と、アルに向かって問いかけてくれた。
そこで私にも、アルがこの本を“奇妙”という表現をしたのが理解出来た。
【この本を作った人は、特定の人間にしか見えない細工をかなり入念にしておきながら。
その本を作った人が、見て貰いたいであろう特定の人間、つまり
――それって、結局、誰にも、この本を最初から最後まで見ることは出来ないってことだよね?
この本が、見せたい人間にしか見えないように細工をされていたのにも関わらず。
かけた労力や手間に見合わない、見せたい人間ですらちょっとしか見ることが出来ない本。
不思議に思いながら、アルの方を見れば、セオドアの言葉を聞いたあとで、何かを考え込むように深く思案した様子のアルが。
「……意味ならばある、と思う」
と、声に出した。
普段から断言した物言いが多くて、知識の宝庫であるアルにしては珍しく。
どこか戸惑ったような言葉を出したアルの、その曖昧な表現に私がアルの方へと真っ直ぐに視線を向ければ。
「だが、それはかなり“限定的”な状況でしか起こり得ないものだ」
と、アルが私達に向かって、慎重に言葉をだしていく。
「限定的な状況……?」
「あぁ、
そうなったら、今、お前達が見ることが出来ているように、この本が魔女について詳しく書かれている本なのだと全員が今、きちんと見えているだろう?」
「……あっ、」
アルのその言葉に、私はこくりと頷いた。
……確かにアルの言うとおり。
今、私達がこうやってこの本を見ることが出来ているのはアルのおかげだ。
「だが、僕のようにこの本を解析することが出来る存在が、この世の中にどれほど存在するか。
……ましてや、“精霊”と契約した“魔女”にしか確認出来ないようになっているということと、この国の図書館にあったということ。
……それらを考えれば、この本は
そうして、アルから降ってきたその言葉に私は驚いて目を見開いた。