それから、どれくらい時間が経っただろう。
暇をしている子供たちに、何かしてあげられることがないかと、立ち上がるには、まだ、ふらふらしているけど、大分回復した私は、近くに落ちていた木の棒を手に持って、簡単にこの国の言語や数字を地面に書いて、それがどういう意味があるものなのかを、子供たちに当てて貰うゲームをすることにした。
「これは、数字の1、これは、数字の2……あ、分かったよ、アズっ! これは、数字の3でしょっ!」
「うん、正解だよっ! よく分かったね?」
数字や簡単な言葉さえ文字で覚えられれば、この子達が、文字を見てもその言葉の意味が理解出来て、不用意に騙されたりすることも減るだろう。
文字が読めないことで、口頭で上手いこと丸めこまれて、騙されてしまうことなんかも、事前に防げる筈だ。
「ねぇ、アズ!
次は僕の4番を表す数字は? どう書くのっ!?」
「あ、狡いぞっ! 俺の5番も教えて欲しいっ!」
「ええっと、ちょっと待ってね?
順番に今、書いてあげるから」
「……アズ、お前、凄い人気だなっ?
というか、文字とか数字とか、言葉としては分かるけど、読めない人間も多いのに。……お前どこでそんなの、習ったんだ」
「色々と事情がありまして……」
お兄さまの言葉に苦笑しながら声を溢せば、言わなくても何かがあるのだと察してくれたのだろう。
お兄さまも、私の生い立ちのことを、それ以上詳しく聞くのはやめてくれた。
――
昔、捕まえられた事があるって、言っちゃったし。
やけに、貴族の屋敷のこととかに詳しかったり、普通、スラムで暮らしていたら勉強しないであろう一般教養を何故か覚えているし。
【お兄さまの中での、想像上の私の生い立ち、凄いことになってそうだなぁ……】
と、思いながらも、色々と勘違いしてくれている分には有り難いから、私はそのまま子供たちに勉強を教えるのを再開させることにした。
即席で作ったゲーム感覚の勉強会は、思った以上に子供たちには大好評だった。
特に数字に対しては食いつきがすごくて、ついでに、簡単な足し算と引き算のやり方を子供たちに教えれば、吸収力がスポンジみたいに柔らかな頭をしている彼らはみるみるうちに覚えていってくれた。
1から10までの数字さえ覚えれば、その先の単位も、増えていくことを理解してくれたし。
やがて、簡単な計算を覚えた彼らがまず、声に出したのが。
「最悪だっ、アズ……っ! 俺っ、この前、スラムでお金騙しとられてるっ!」
「本当だっ!
ゴミとかガラクタを集めて一生懸命稼いだお金、きっちり、貰えてなかったみたい!」
「うわぁ、気付かなきゃよかったっ!
ちょろまかされてんじゃんっ! デルタのクソ野郎っ!」
ということで……。
今日会ったばかりの名前が子供たちから出たことに思わずびっくりしながらも、子供たちのその反応に、やっぱりスラムって、生きて行くには本当に大変な所なんだな、と内心で思う。
「なんだ、そのデルタって奴! 最低だなっ!」
子供たちの言葉に反応して、お兄さまが子供たちと一緒になって怒っているのを聞きながら。
「スラムは食うか食われるかの弱肉強食が激しいところだからな。
騙し、騙されなんて、日常茶飯事だし、“無知”であればあるほどにカモにされる。
それでも、そういう場所で生き抜いていれば、気付いたら知恵ってのがつくものだ。
まぁ、知恵は知恵でも、その大半は悪知恵だけどな……」
と、セオドアがスラムについて、詳しく教えてくれた。
「でもさ、テオドール。
それで子供たちが優先的にカモにされる仕組みなのは、俺は納得がいかないっていうか。
弱い奴から、食われていくのは、なんていうか……そのっ」
「……アンタの言いたいことは分かる。
でもな? それは明日食うのに困った事がねぇ人間だからこそ、言える台詞だ。
スラムじゃ、今日一日の食の確保すら困難な場合があるし、誰も弱い立場の人間を気にかけるような余裕なんてないんだよ。
……みんな、自分が今日生きぬくことに必死だ」
「……っ、!」
「スラムじゃ、誰も助けてはくれねぇし。
残念ながら、騙す方じゃなくて騙される奴の方が悪くなる構図が出来上がる」
――自分の身を自分で守ることが出来ねぇ奴から、淘汰されていくしかない。
セオドアのその言葉にお兄さまがぐっと息を呑みこんだのが見える。
セオドアの言い方は厳しいようでいて、どこまでも、この世の真理をついたような物なのだろう。
実際、そういう場所で暮らしてきたからこそ、分かることが、セオドアには沢山あるんだと思う。
「……だから。
……アズみたいな存在は、本当に貴重、なんだ」
「? ……う、ん……?」
そうして、セオドアから降ってきたその言葉に、首を傾げて、どういう意味なのか、分からなくて問い返せば。
「目の前にいる人間が、今どんな助けを必要としているのかを瞬時に理解して。
1番欲しいときに、ソイツがかけて欲しい言葉を嘘偽りなく本心でかけてくれたり。
常に自分に何か出来ることはないかって探して……、今だって、特に自分の得になることでもねぇのに、率先して無償で勉強を教えてくれてるだろ?」
ふわっと、セオドアからかかったその言葉に。
「え、? そ、そうかな?
何も考えてないというか、殆ど無意識、だし。
そんな風に、褒められるようなものじゃないと思うんだけど……」
唐突に、全く自分が意識していないところで、褒められたことに、戸惑いながら、私は声を出した。
何なら、自分には出来ないことの方が多すぎて……。
今日だって、セオドアやお兄さまに戦闘面などでは頼りすぎているし。
今も、自分に出来ることが、それくらいしか無いからちょっとでもこれから先の子供たちの役に立てないかなって思ったくらいで……。
そこまで、褒められるようなことでもないと思うんだけど。
「いや。……誰にでも出来ることじゃねぇよ」
セオドアのその一言に、お兄さまが
「まぁなっ。確かに俺も、アズがもの凄く優しい奴だってのは感じてるよ!」
と、声をかけてくれる。
何とも思っていなかったけど、思わぬ所で褒めて貰えて、恥ずかしいな、と思いながら『あ、ありがとうございます……っ』と、照れてたら。
一階に続く階段のある扉の先から、何か叩くような音がガンガンと鳴り響いているのが聞こえて来て、私達は顔を見合わせた。
……見合わせた、といっても、私とセオドアは仮面なんだけど……。
「帝国の騎士だっ。……思ったより、早かったな」
お兄さまの言葉で、さっきまで地面に書かれていた文字を見て勉強していた子供たちが一斉に私の近くまで駆け寄ってきて。
恐がって、ビクビクしながらも、外の様子を揃って、確認するように遠巻きに見ているのが見えた。
私の位置からじゃ、通路の奥の扉はほんの少ししか確認出来ないけど。
斧のような物か何かで、扉を破壊してくれているのだろう。
ガッ、ガッ、という刃物が木製の扉に突き刺さって、その周辺からぼろぼろと、扉が壊れていくのが此方からでも視認出来た。
「……ギゼル様ー! ギゼル様っ、ご無事ですかっ!!」
そうして、遠くから声がお兄さまを呼ぶ声が聞こえてきて。
「あぁ! 俺は無事だっ!
子供たちもここに全員いるしっ!
見張りも全員、俺たちで倒した!」
それが、今日お兄さまと一緒に来ていたお兄さまの騎士の人の声だと言うことに、お兄さまが返事を返してくれたあとで、私もほんの少し遅れて気付く。
「……アズ、立てるか?」
セオドアに耳元でそう言われて、私はこくりと頷き返す。
ちょっと、ふらっとするけれど、立てない感じではなくて……、足に力をいれて、立ち上がると、セオドアが私の背後に立ってくれて、私の身体を支えてくれていた。
「あ、ありがとう……」
「いや、寧ろこれくらいしか出来なくて悪い。
その体調も、本来なら直ぐにアルフレッドに見せたいくらいなのに……」
小声で、私にそう声をかけてくれるセオドアにふるりと私は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。……気にかけてくれて、ありがとう」
私が立ち上がると、周囲にいた子供たちも合わせて、立ち上がってくれる。
そのうち、完全に壊された扉から帝国の騎士が何人もガチャガチャと音を立てて物々しい雰囲気で此方へとやってくるのが見えた。
「……それより、そのっ、お兄ちゃん、あの中に知ってる人、いる……?」
「あぁ……。何人かは、な。
顔を見たことも、手合わせしたこともある」
「どうしよう、バレないかな……?」
「どちらにせよ、あまり長居はしたくねぇな」
私達が小声でお互いにしか聞こえないように、さらっと手早く言葉を交わして遣り取りをしている間に。
「お前達、こっちに来てくれ。
見張りは全員で四人いる。
檻の中に捕まえているから、コイツらをそのまま連れて行ってくれ!
それから、子供たちはこの後、騎士団で一時的に保護して、温かいご飯と水を与えるつもりだ。
毛布とかは、持ってきてくれているか?
無いなら、王宮に帰って速やかに手配するように伝えてくれ」
お兄さまが、やってきた帝国の騎士に向かって、キビキビと指示を出すのが聞こえてきた。
その言葉を聞きながら、私は子供たちの方を向いて、ほんの少し不安そうな表情を浮かべている子供たちへと喋りかける。
「今日は、このあと美味しいご飯と水が貰えるみたいだし。
今日だけじゃなくて、あのお兄ちゃん達に保護して貰ったら、教会とかでみんなが無事に暮らせるよう手配して貰えるみたいだから、もう大丈夫だよ」
ゆっくりと。
語り聞かせるように話しかければ、私のその言葉に、納得してくれたのだろう。
子供たちも戸惑いながら、こくりと、頷いてくれる。
「ねぇ、アズはっ……? 一緒に、来ないのっ?」
「うん、僕はいけない。……でも、みんなが教会で暮らせるようになったら、またみんなの様子を見に行ってもいいかな?」
「本当っ? ……来てくれるっ?」
「……うんっ」
「やったっ! 約束だよっ!」
「絶対、来てくれよっ、アズ! 俺たち待ってるから」
ちょっとしか、話してないのに。
こんな風に、子供たちにそう言って貰えるのは嬉しくて、私はこくりと頷いた。
お兄さまが、お父様の伝手を使って教会を斡旋してくれるのなら、私も、普通に外に出るよりは、この子達に会いに行きやすいだろう。
【慈善活動をするのは、悪いことじゃないし。
今ならお父様との仲もそこまで悪い訳じゃ無いから、教会に寄付するとか、そういう名目で行くことは許してくれそうだな】
とは、思う。
ただ、そうなったときに、この子達と会えるのは、あくまでもアズとしてではなく皇女としてになるかもしれないけど。
【その時、この子達に今と同じように受け入れて貰えるかは分からない】
……それでも、一度関わった以上は。
せめて、この子達が大きくなるまでは、放置することはせずに、どんな形であれ、きちんと見届けたい気持ちがあった。
「お前達、お腹が空いているだろ?
今日はこれから温かいご飯を食べようなっ!
とりあえず、一人、一人、順番にここから出よう。……あの騎士についていってくれっ!
後から、俺も必ず行くから、安心してくれていいぞっ」
お兄さまに声をかけられて、頷いた子供たちが、私の傍から離れて、壊された扉の方へと駆け寄っていく。
やってきてくれた騎士に誘導されて、子供たちが外に出たあとで、此方に駆け寄ってきてくれたお兄さまに、セオドアが、持っていた檻の鍵を渡してくれるのがみえた。
「……お前達も、お疲れだったなっ!
協力してくれて、本当に助かったよ」
そうして、お兄さまが声をかけてくれるのに、私はふるりと首を横に振って。
「いえ。僕達も、子供たちを救って貰えて良かったです」
と、声を出したあと。
「このあと、お前達も外に出て貰って構わねぇよっ!
後は、アイツらを捕まえるだけだし」
「分かりました。では、そうさせて、貰いますね」
私とセオドアは、お兄さまの言葉に従って、外に出た。
外は、太陽が照りつけていて明るく、今日、ちょっとの間しか地下にいなかった自分たちからしても、久しぶりに光を感じるような錯覚を覚えたくらいだったから。
長く地下に閉じ込められていた子供たちからしたら、もっと気が遠くなる程の感覚だっただろう。
屋敷の中も、外も、帝国の騎士が何人も行き交っていて、慌ただしそうに、動きまわってる。
周囲を見渡せば、子供たちはもう何処にもいなくて、お兄さまが保護をする、と言っていた言葉の通り、子供たちのことを最優先にして、王宮へと連れていってくれたのだろう。
そうして……、誰も私達に構っている余裕など無く、忙しそうにする中で。
――私とセオドアは二人で顔を見合わせた。