第132話 執着の理由

 見取り図に従って廊下を通って、扉を開ければ、屋敷の裏手側にあるキッチンへと出ることが出来た。


 セオドアが一階には人の気配がないと言っていた通り、ここに来るまでの間に誰かに遭遇することもなく、スムーズに歩いてきた私たちは、キッチンの近くに設置された地下への入り口である階段を見つけた。


 古びて色々なところが軋み、補強されていた箇所が長年放置されていたことにより、土で少しずつ埋まっていったのか……。


 入り口は人が一人、通れるかどうかの狭さで、蝋燭ろうそくすらも灯っていない中は、薄暗さを通りこして、真っ暗闇で。


 まるで、今にもこの中へと飲み込まれてしまいそうな、そんな錯覚すら覚えさせる。


「……灯りが灯ってないと、こんなにも真っ暗なのかよ」


「普通は、要所要所に、蝋燭台が置いてあって、灯りがつけれるようになっている筈ですよね? もしかしたら近くに、蝋燭の残りがあるかも……」


 お兄様の言葉に、頷いたあと、きょろきょろと、キッチンの棚を開けて、蝋燭があるかどうかを探し始めれば、目当ての蝋燭は直ぐ近くに置いてあった棚の中から、簡単に見つけ出すことができた。


「とりあえず、これに火を灯して下に降りるか」


 私からそれを受け取ってくれたセオドアがそう言ってくれるのを聞いて頷く私とは反対に。

「あぁ、だけど、火なんてどこに……?」


 と、お兄様が困ったように声をあげる。


「ここは厨房だから、こういう所には必ずアレがある筈だ」


「……あれって、一体何だよ……?」


「……あぁ、ほら、やっぱりあった。火打ち石と火打ち金だよ」


 お兄様の質問にあっさりとそう答えたあとで、手慣れた様子でセオドアがそれを打ち合わせて、発火を起こしてくれた。


 瞬間的に、パチっ、パチっと火の粉が飛んで、蝋燭に灯りがつくのを見た後で、お兄様が『おぉっ!』と驚いたように声をあげるのが聞こえてくる。


「テオドール、お前、本当にこういうのに手慣れてるのな?」


「まぁ……。伊達に外での暮らしが長い訳じゃないからな」


「それよりも直ぐに蝋燭と、火をおこせる道具が見つかって良かったよな?

 もしも無かったら、ここまで来て滅茶苦茶困るところだったし……」


「子供を捕まえてきて地下に入れてるんなら、連中にとっても下に降りるのに蝋燭や火をおこせる物は必要になってくるだろうし。

 手が届く範囲にあるのは不思議じゃねぇよ」


「……うっ、確かにそうだよな」


「ていうか、アンタ達も一応捕縛用のロープとか準備はしてきたみたいだけど。

 それでも、この場所に踏み込むには、まだまだ準備不足だったんじゃねぇの?

 敵の人数も屋敷の内部も碌に把握しないまま、三人で乗り込もうとするのは、無茶を通り越して無謀にも近いだろ?」


「……あぁ、そのっ……今は、ほんの少し反省はしてるよ。

 テオドールとアズが協力してくれて、情報も流してくれなきゃこんなにスムーズにはいってなかったと思うし。……本当にありがとな?」


「いえ、協力するのは僕達にも目的があってしてることですし、構わないんですが。

 ……第二皇子様は、どうしてそんなにも一生懸命になって、スラムでの犯罪を取り締まろうとしてたんですか?」


 セオドアに痛い所を突かれてほんの少し落ち込むような素振りを見せながら、お兄様が言葉に詰まりながら私たちに声をだしてくるのを聞いて。


 私はツヴァイのお爺さんから、お兄様が躍起になってスラムでの犯罪を取り締まろうとしていたと聞いたことを思い出して、お兄様に問いかける。


「いや、まぁ、何て言うか。……そのっ、」


「第二皇子様?」


 私の問いかけに、もごもごと途端に口ごもったお兄様が何を言っているのか聞き取れなくて、お兄様の方へと耳を傾ければ……。


「今のお前と同じくらいの、10歳の時だった」


 と、何の脈絡もなく、謎の返答が戻ってきて私は首を傾げた。


「えっと、? 10歳、の時、ですか……?」


 主語がないため、オウム返しのようにお兄様の言葉をそのまま問いかける私に。


 お兄様が、はぁ、っと小さくため息を吐いたあとで、自嘲するような笑みを向けてくるのが見える。


「兄上が、騎士団から入団試験に合格出来るって太鼓判を押された時の年齢だ」


「……あぁ、えっと、第一皇子様、が?」


 ギゼルお兄様のその言葉に、首を傾げたまま、10歳の時にウィリアムお兄様が騎士団の入団試験に合格出来るっていう風にいわれていたことすら、知らなかった私は、10歳の時って、今の私と同じ歳でそんな風に言われていたお兄様にただ驚くことしか出来ない。


 でも、その一方で、ウィリアムお兄様ならそんな風に言われたとしても全然不思議じゃないなと、心の中では、納得もしていた。


「シュタインベルクの騎士の入団試験は他国と比べてみても合格へのボーダーラインが、かなり厳しいって、有名なんだ。

 なのに、忖度なんて欠片もなく、兄上は10歳の時にはもう騎士の入団試験に合格出来るだけの強さを持っていた」


 そう言えば、セオドアも前にシュタインベルクの騎士団の入団試験が厳しいものだって言ってたなぁ、と思い出しながら、私はが、ギゼルお兄様がスラムで犯罪を取り締まろうとしていたことと、どう繋がるのかが分からなくて、相づちを打ちながら、お兄様の話に耳を傾けるしか出来ない。


「……兄上はずっと神童だって言われてきたんだ。

 俺は、ずっと何でも出来る兄上に憧れて色々と勉強も運動も、人並み以上には出来るくらいには努力してきた。

 ……でも、人並み以上じゃ駄目なんだっ!

 どんなに努力しても、手を伸ばしてみても、決して届かない場所を兄上はいつも軽々と歩いている。

 俺が息切れしながら、追いつこうと努力して、やっと肩を並べられたかもしれないと思っても。……その時にはもう、姿なんて欠片も見えないほど遠い場所にいる」


「……っ、」


「それに、13歳で、俺と同じ歳の時には既に、兄上は書類上の不備を見破って貴族の着服問題で摘発もして手柄をあげていたんだ。

 ……俺は、父上に認めて貰うためにも、兄上と同じように目に見えて分かるような成果を出さないといけなくてっ」


【あぁ、そっか……】


 吐き出すようなギゼルお兄様のその言葉は、偽ることもなく全てが本音なのだろう。


 13歳の時にウィリアムお兄様が手柄を上げたから、自分も何か認めて貰うような手柄を上げなきゃいけない。


 ウィリアムお兄様が残してきた功績の跡を眺めながら、自分もそこに追いつかないといけないと焦るような、そんな気持ちは、私にも痛い程に理解出来た。


【ギゼル様にだって、そうだよ。

 殿下は自分で何でも出来るからちょっと人に対しても厳しい面があるでしょ?

 どんなに頑張ったって、そこに辿り着けない人もいるんだってこと分かってあげないと。

 そして、些細な事だろうが何だろうが出来た時はいっぱい褒めてあげる。これ、基本だからね?】


 いつだったか……。


 ルーカスさんがウィリアムお兄様に言っていた言葉が、頭の中を過った。


「……その気持ちは僕にもほんの少しですが分かります。

 誰かと比べられて、生きていると、時々急に不安な気持ちに苛まれて。

 どうして自分には、出来ないんだろうって、何が違うんだろう、って、苦しくなったりしますよね?

 一生懸命努力したって、自分には到底、到達出来ないような場所があるんだって思い知らされるだけ、で……」


 私は目の前のお兄様に、ふわりとあまり重くならない程度に軽やかに声をかける。


【……いつも、お兄様2人と比べられて過ごして来た】


 私もそうならば、ギゼルお兄様もウィリアムお兄様に対してそうだったのだろう。


 その苦悩みたいなものは、私が誰よりも一番近いところで知っている分、きっと私とギゼルお兄様は似ている部分があるのだと思う。


 それでも、ウィリアムお兄様が軽々と越えてきたそれらを。


 羨ましいと見つめても、何にもならないし。


 今、どうしようもなくギゼルお兄様が苦しい思いをしているのは多分、ウィリアムお兄様が越えてきたそれらが、ウィリアムお兄様の努力で成り立っている部分もあると知っているからだ。


 その生き方は、尊敬も出来るし、私たちから見れば非の打ち所なんて無いように見えて……。


【……好きだからこそ、苦しい】


 きっと、多分、そういうことなんだと思う。


 私は最近になって、ウィリアムお兄様の優しさに気づけたから、今、自分がギゼルお兄様のその感情とか思いとかを、どこまでしっかりくみ取れてるかまでは分からないけれど。


 ルーカスさんが、ギゼルお兄様はウィリアムお兄様のこと一番だって思ってるって言ってたし……。


 少なからず、私もお兄様2人に対して思うことがあったように、ギゼルお兄様にだって、ウィリアムお兄様に対して色々と複雑な気持ちを抱いていても可笑しくはないと思う。


 多分、とか。


 そういうもの、全てひっくるめて。


 ……ほんの少し前ならば、お兄様に対してきっと家族としての色々な感情が邪魔になって、こんなことを素直に、ましてや微笑みながら言うことなんて、出来なかっただろう。


「でも、どんなに頑張って誰かになろうとしても、僕達はその人じゃないから、丸々その人の人生を生きることは出来ない。

 憧れて、その人に寄せてみても、それはありのままの自分ではないし。

 僕が僕であることしか出来ないように、ギゼル様もきっとギゼル様でしかいられないんです。

 誰かを目指す必要も、何かになる必要もないと思う。

 ありのままの自分を好きだって言ってくれる人がいるから」


 今の私には、ありのままの自分を思ってくれる人がいるから。


 ……それは、お兄様に言っているようで、自分自身が腑に落ちるように出した自分に言い聞かせるための言葉だったかもしれない。


 比べられたって、努力したって、


 それでも今の私を、大切に思ってくれる人達がいるから。


 何も着飾る必要すらなかったのだと、そう思えるようにはなれた。


「ギゼル様は、第一皇子様の功績の跡を同じようになぞる必要なんてないんですよ。

 ギゼル様にしか出来ないことがきっとあるはずですし、そういうのをこれから探していけばいいと思います」


 6年後の未来……。


 ウィリアムお兄様を支えるために、ギゼルお兄様の剣の腕がみるみる上達していて、誰からも褒められるようなものになっていると、私だけが知っている。


【それで、私は、6年後、刺されてしまうんだけど……】


 内心で自虐のようなことを思いながらも、ちょっとだけ、今のギゼルお兄様よりも私の方が長く生きている分、こういう話を普通に聞けるくらいには、優しくなれていると思う。


 今の自分が皇女としてお兄様の義理の妹としてではなくて、スラムの少年のアズだからっていうのも、勿論あるかもしれないけど。


 ギゼルお兄様に向かってふわりと笑みを溢しながら、そう言えば。


「アズ……っ」


 と、お兄様が、感極まったような表情を浮かべるのが見えた。


 その表情に、ギゼルお兄様は、ころころと色々と感情の変化が激しいし。


 喜怒哀楽が、滅茶苦茶、表情に出てて分かりやすいなぁ、と思う。


 片目が義眼だっていう事情があるにせよウィリアムお兄様とは本当に性格とかもひっくるめて正反対だと思うし。


 良い意味で、ウィリアムお兄様の後を追う必要なんてないのになぁ、って、頭の中でぼんやりと考えていたら、何故かぎゅっと、お兄様に手を握られて。


「やっぱり、お前は俺の大親友だ。……色々、聞いてくれてありがとなっ」


 と、ちょっと照れくさそうに、へへっと笑いながら。


 気付いたら、いつのまにか親友の立場から大親友へと格上げされていた。


「……あっ、えっと、その、でも僕達、今日出会ったばっかり、で……」


「時間なんて関係ないってっ! 俺がお前のことをそうだって決めたんだから、そうなんだよっ」


【……親友だって言って貰えるのは有り難いんだけど、正体を秘密にしてしまっている分、なんていうか騙しているようでもの凄く罪悪感が湧いてくるっ】


 お兄様のその発言に、どう答えれば正解なのか分からず、困惑していたら。


 セオドアが、こっちをみながら……。


「オイ、アンタ。

 アズが困ってるから、手を離してやってくれ。

 ……とりあえず、話はそれくらいにして、下に降りるぞ?」


 と、助け船を出してくれた。


 セオドアのことを、すっかり、私に対する過保護な兄認定しているお兄様は、特にそれを不思議に思うこともなかったのか。


 その言葉を聞きながら……。


「あぁ、そうだよなっ。話に夢中になってて悪かった」


 と、声をあげて、私から手を離すと改めて地下の階段の方へと視線を向けた。