第131話 探索

 気絶してロープでぐるぐる巻きにされた見張りの人2人を、その場に置いたまま。


 私たちは細心の注意を払って玄関口まで来ていた。


 本当なら、裏側の勝手口から入れればそれに越したことはなかったんだろうけど。


 裏口は鍵がかかっていて入れなかった、とセオドアが見張りの人を倒してくれた時に調べてくれていた。


『ギィ……』


 という扉が軋む古びた音さえも、今は体感的に大きな音として聞こえてくる。


 一階の扉が開いても、そこで直ぐに戦闘が始まる訳ではなく……。


 玄関ホールは、誰かがいる気配も感じられず、シン、と静まり返っていて、屋敷の中は光も殆ど入らないのか、太陽が出て明るい外とは真逆で、まだお昼前だというのに薄暗く不気味な雰囲気を漂わせている。


「このまま、先に進むぞ」


 セオドアが小声で、指示を出してくれて、私たちはそのまま、大広間に続く扉を開けて部屋の中に入った。


【……本当に、ここに子供たちが捕まえられていて、人も存在するのだろうか……?】


 と、思うくらいに誰もいない。


 人気ひとけのない、部屋の中は、とてもお世辞にも“改装”して綺麗になったとは言い難く。


 せいぜい、適当に持ち寄った布の切れ端で窓を塞いだりとか、積み荷用の木箱をテーブル代わりに使っているとか。


 ……そういうことしかされていなかった。


【ゼックスさんが、改装してるって言ってたから、もっとちゃんと部屋の中自体は綺麗になっているものなんだと、すっかり思い込んでいたけれど】


 私基準で、改装という物事を考えてしまっていたことに、改めてここはスラムなんだと、自分の中で言い聞かせる。


 それでも、この部屋の中を見れば、誰かがここで暮らしているのであろう痕跡は直ぐに発見出来た。


 例えば、木箱の上に置かれている食べかけのパンの残りだとか。


 乱雑に置かれた、コップ代わりに使っていたのだろう容器からは、飲みかけのまま水が放置されていたりだとか。


 特に、木箱周辺にそういったゴミの痕跡が多いことからも、誰かがここで頻繁に食事を摂っていたのだということが見受けられた。


「掃除も碌にしていない酷い有様ですね。

 一階で食事を摂って、二階を自分たちのねぐらに、地下に子供たち……でしょう、か?」


 こういう貴族の屋敷では、大体一階は客人が来るために広くホールや大広間などに場所が取られていて、二階に、主人や家族が過ごす部屋があり、地下が使用人のための作業スペースとして使われている事が多い。


 だから、お兄様の騎士がこの部屋を見渡しながら、私たちに向かってそう言ってくるのは不思議なことではなかった。


 一般的な貴族の屋敷の二階が寝室などに使用されていることが多いことからも、もしも、ある程度そのまま設備が揃っているのだとしたら、ここに奴隷商の移民が暮らすにあたって、一番快適に過ごしやすい二階を自分たちの住居にして。


 一階は、共同で食事を摂るのに使用し、地下に子供たちを置いている可能性は多いに考えられる。


「……あっ、これは……?」


 色々とこの部屋の中を探索してくれていたお兄様の騎士の人に倣って、部屋の中を調べるためにきょろきょろと見渡していたら、木箱の下に散らばった食べかすやゴミの山から、明らかにそれだけ他のゴミとは違う紙を見つけて……。


 私はそっとそれを拾い上げた。


「数字……?

 A、B、C、D……?

 良好、不良、良好、不安定……っ?

 何だろう? 何かのリストかな……?」


 紙には、同じ数字が記入されている横に、雑な文字でAとかBとかアルファベットが書いてある。


 その更に横に、良好、とか、不良とか、文字が書かれているのを読み上げていたら、お兄様が慌ててこっちに寄ってきた。


「オイ、アズ……っ!

 それってまさかっ、ここに捕まえられている子供のことじゃねぇかっ?」


「……っ、!」

 お兄様の言葉に、びくりと肩を震わせて。

 お兄様の言葉でこの部屋を探索していた騎士の2人もセオドアも、近くに集まってきてくれたから、みんなで、その紙をぐるっと囲んで見てみれば。


「確かに、第二皇子の言う通りかもしれねぇな。

 アルファベットの横にある数字が日付なんだとしたら、殆どが、“明後日”の日付になっている」


 セオドアがアルファベットの横に書かれている数字に視線を向けて声をかけてくれた。


 私はセオドアのその言葉に、自分の手元にある紙へともう一度視線を向け直したあとで、こくりと、頷き返す。


【これはあくまで此方の推測でしかないが、これまでの奴らの周期を考えると。

 このまま放っておいたら、“明後日”にはまた、他国に子供が流れるようになっていた】


 さっき、この屋敷に来る道すがら、ゼックスさんが私たちに向かって話してくれた事が頭をよぎった。


 ツヴァイのお爺さんが予測していた周期と、完全に一致する日付が今ここに書かれていることは間違いなく。


 これを、偶然の一致ですませてしまってはいけないことだけは確かだった。


「“明後日”か……、それなら、俺たちも知っているぞ。

 確か、子供の取引が行われる可能性のある日だよな?」


 セオドアの言葉にお兄様が深く考え込んだような素振りを見せたあと、私たちに向かって声をかけてくれる。


【そういえば、お兄様達にも今日か明日には動いて貰うために。

 分かりやすいように情報を流していたってゼックスさんが言っていたな】


「もしも、これが子供のことを書いているものなのだとしたら。

 捕まえられている子供はFまでだから、全員で、6人っていうことになるんでしょうか?

 不思議なのは、1人……、5番目のEに割り振られた子だけ、日付が書かれていないこと、ですよね?」


 ……どうして、この子だけ。


 アルファベットの横に日付が書かれていないんだろうと、声を出した私に、お兄様が、そっと顔を横に背けたのが見えて、私は首を傾げた。


「あの、っ……第二皇子様?」


「いやっ、もしかしたらだけど、アズ……。

 その子供は、日付を書く必要すら無くなってる可能性があるってことかもしれないぞ」


「……えぇ、残念ですが。6人の子供は全員救い出せることはないかもしれませんね。

 Eにあたる人間には、良好とも不良とも不安定ともしるされていません。

 これが子供の健康状態を表しているものなのだとしたら、5人は確実に生存はしているのでしょうが、もしかしたら、この子供は……」


 お兄様の言葉を聞いて、騎士の人がそっと目を伏せるのが見えた。


 ……そこで初めて私にもここに書かれている6人の子供のうち、1人の子供の生存がもしかしたら、危ういのかもしれないと思い知る。


【そんな……っ】


 思わず、ショックを受けて固まってしまった私に。


「……まぁ、でも、ここに書かれてないだけで生きてる可能性もあるだろう。

 衰弱しきっていて、商品としては出せないとかな。

 そっち方面の可能性はまだあるから、そんなに気落ちしなくても大丈夫だ、アズ。

 とりあえず、救い出せる命は、全力で俺たちの手で救いだそう」


 と、セオドアが声をかけてくれて、私はハッとする。


 ……私たちがこうしている間にも辛い思いをしている子達はいるはずで、こんなところで、私がショックを受けている場合ではないと改めて思い知る。


「うん、ありがとう、お兄ちゃん。……もう大丈夫」


 仮面の下で表情は見えない筈なのに、セオドアには何も言わなくても、私の気持ちがバレてしまってるなぁ、と思いながら、私は顔を上げた。


「目に見えて分かるような、めぼしい物はそれくらいか。あと、一階にあるのは……」


「応接室と、居間だったよね。あとは、裏手側にキッチンが。

 地下室に繋がる通路は、本来は使用人が出入りするためだけに使うものだろうからキッチンにあったはず」


【……あぁ、そっか。だからこそ裏手側にも見張りの人が一人いたのかな】


 セオドアの言葉に、見取り図を思い出して、内部の構造を自分で声に出している内に、一人で納得してしまった。


 万が一にも子供たちが脱走を図った時でも大丈夫なように、あっちの扉側にも一人立っていたのだろう。


「アズ、お前……っ。

 俺たちにとっては普通なことだけど、貴族の屋敷の構造なんか、何でそんなに詳しいんだよ?」


「え……っ?」


「いやっ、こういう貴族の屋敷で一般に地下は、洗濯室とか、使用人ホールとか。

 この家には当てはまらないけど、厨房とかがメインにあって。

 使用人しか出入りしない場所だってことは、俺等、上流階級の人間からしたら常識だけど。

 スラム暮らしのお前が詳しく知っているのって、何て言うか滅茶苦茶不思議っていうか……」


 突然かけられたお兄様のその言葉に、内心でドキリとしつつ。


 私は、今日何度目か、本当に、ツヴァイのお爺さんに仮面を貰っていて良かったと心から思いながら。


「……僕は情報屋なのでっ。

 そういう知識にも詳しくないとスラム内を生きていけないんです」


 と、努めて冷静に声を出した。


 内心は思いっきり心臓がばくばくしていたけれど。


 仮面のお陰で表情が表に出ない分、私の表情の変化は声色でしか判断出来ない筈だろうから、多分声さえ堂々としていれば大丈夫と、お兄様の方を向けば。


 お兄様が……。


「そうなのかよ? 情報屋業って滅茶苦茶大変そうだな?」

 

 と、言いながら、私に向かって労るような声を出してくれた。


【うぅ……っ、その優しさが今は色々と痛い……っ】


「っていうか、あなたたち本当にどこかの貴族の屋敷に忍び込んで悪さを働いていたりしませんよね?

 本当に信じていいんですよね?」


【そして、あらぬ疑いをかけられてしまった……っ】


 騎士の一人にそう言われて、私は慌てて首を横にふるふると振ってそれを否定する。


「そ、そんなことは絶対にしてませんっ」


「以下同文。……この国じゃ、したことはねぇな」


「……他国ではあるんですかっ!?」


「……まぁ。仕事内容は明かせねぇけど。

 傭兵とかやってた頃、色々と一人で動いてた時に情報を盗んでくる仕事はしたことがある」


「……あなた、それっ、犯罪ですよ」


「あー、他国の王族からの直々の仕事だったから。

 どっちかっていうなら表には出せねぇ秘密裏の“合法”な案件だったけどな」


「……藪蛇になりそうなのでこれ以上は聞かないでおきます」


「あぁ、そうしてくれ。

 アンタ達も、他国の国家機密に迂闊には関わりたくねぇだろ?」


「あー、あーっ! それ以上は、言わないでいいですって。

 無理に聞かそうとしてこないでくださいっ!」


 悪そうな声色で、楽しげに声を出すセオドアにお兄様の騎士の一人がそれを制止するように声をあげる。


 セオドアも本気でその内容を話そうとはしてないみたいで、多分これは、お兄様に不思議に思われて私が中心になっていた話を上手く逸らしてくれただけなんだと思う。


 セオドアがシュタインベルクに来るまでにどんな暮らしをしていたのか、私は詳しく知らないけど。


 もしかしたら、前にソマリアで傭兵の仕事をしていたことがあるって言ってたから、その時のことだったりするのかな?


 国家の仕事を請け負っていた、影のようなことをしていたんだろうか……?


 人の過去のことって、それが決して忘れることの出来ない傷の場合もあるから。


 こういう時、どういう風に過ごしていたのか、迂闊には踏み込んで聞けなかったりする。


【私が、そうだから……、そう思うのかもしれないけど】


「それより、どうしますか? 一応残っている居間と、応接室の方も全員で探索しましょうか?」


「いや、そっちにも人の気配は感じないし、多分、最初はなっから使ってすらいないだろう。

 子供を攫うにも、積み荷に紛れさせて馬車で子供を他国に流すにしても。

 どちらにせよ、夜の方が動きやすいだろうから、昼間は見張り2人を外に残して殆どが上で寝てる可能性も高い」


「あぁ、そっか。

 っていうことは、多くて10人だとすれば、2人は既に倒したから、残りの最大人数は8人だよな?

 なぁ、テオドール。……もしかしたら、全員が上にいる可能性もあるのか?」


「いや。……子供が地下に閉じ込められているなら、見張りとして1人か2人は地下にいるだろう。

 どちらにせよ、複数人ずつで別れている可能性もある。

 ちょっと集中して探ってみたけど、上にも下にも人の気配がありそうだ」


 そうして、セオドアのその言葉に。


「では、私たちはこれでお三方とは別れた方が良さそうですね?」


 と、騎士の人が声をかけてくれた。


 二階に繋がる階段は、玄関ホールに入ってすぐの場所にあったから、来た道を戻って、二階に行ってくれるのだろう。


「あぁ、そうだな。

 一応、お互いに何かあるといけねぇから、最終目的地は大広間ここだ。

 屋敷の中を見た感じ、3時間もあれば多分どちらにせよ戦って戻っては来れるだろう。

 ……もしも、3時間経ってもこの場所にどちらかが、戻ってこないようだったら深追いはせず、スラムから出て、王宮に増援を呼びに行ってくれ。

 とくに、地下の方俺たちが行く方は、罠が張り巡らされてる可能性もある」


「……なるほど。

 完全に音沙汰すらない状況になっていたら、あなたたちが、何かで閉じ込められたりしている可能性も視野に、念には念をいれるということですね?」


「あぁ、俺たちには皇子がいるし。

 ……アンタ達は帝国の騎士だからな、一応念のための手段は用意しておいた方が、万が一、俺等が落ち合えなかった時の指針にはなるだろう」


「了解しました。……ギゼル様も、あなたたちもご武運を」


 はっきりとそう言ってくれるセオドアにこくりと頷いてくれたあとで、騎士の2人が来た道を引き返していく。


 残った私たちはその場で目配せをしあって、キッチンへと続く方へと歩を進めた。