「……??」
お兄様の言葉がどういう意図で放たれたものなのか、理解出来なくて。
困惑した表情を浮かべた私に……。
「……俺は、ずっと……世間を欺いていた。
世間、だけじゃない、お前のことも、ずっと……っ!」
と、お兄様が声を上げる。
お兄様にしては珍しく、荒げるような、その口調に……。
……今まで、お兄様がどれだけ苦労してきたのかが、それだけで伝わってくる。
「……あのっ、よく分からないんですけ、ど……っ。
ずっと、黙っていたということは、……今まで、真実を言えないでいたってこと、ですよね? それって、凄く辛いことじゃ、ない、ですか……?」
「……っ、!」
「それは……。おにいさまの意思で、隠していたこと、なんですか?」
「……いやっ、生まれて直ぐに、赤を持って生まれてきたのが、分かって。
片目を、強制的に捨てることになって以降はっ、そうして、生きるしかなかった……」
私の問いかけに少しだけ、躊躇ったあと、お兄様が伝えてくるその言葉は真実なのだろう。
生まれながらに赤を持っていたことを、隠してきたこと。
お兄様が、完全なる金を持って生まれてきたと、偽ってきたこと。
【赤を持って生まれた人間が、どういう風に世間から思われるのか】
――私自身が、身を以て知っている。
それを、今の今まで隠し通してきたということは、きっと自分自身を否定して生きてきたのと同じこと、だ。
どんな思いで、今までその事実を隠してきたのだろう。
……それを、私には想像することも、出来ないけど。
「……私と、お兄様は違う、から。……私にはお兄様の気持ちは分かりません。
でも、“赤”を持っていることで、謂われの無い言葉を受ける辛さは多分、誰よりも分かると思います。
……だから、それを、“事前に”対処しようとするのは決して悪いことじゃない、と思っ……っ、ひ、ぁ、っ、」
――悪い事じゃないと思います
と、伝えようとしたところで。
急に腕を掴まれたことに……、驚いて、上を見上げれば……。
「……っ、アリ、スっ……、」
お兄様の片目が、動揺したように揺れていて……。
――あっ……、ほんと、だ……。
よく見ればこんなにも、違うことが分かるのにっ……。
なんで、今まで気付かなかったんだろう……、とお兄様を見つめながら、頭の中でぼんやりと考えていたら。
背後から、ぱしり、と……。
私の腕を掴んでいるお兄様のその手を、セオドアが掴んでいた。
「……ストップって言った方がいいか? それともアンタには、“待て”って言った方が分かりやすいか?」
「……はっ、犬はお前の方だろう? “お座り”して、そこで待っていろ」
「……アンタが、姫さんの腕から、その手、離したら考えてやるよ」
……呆れたような視線で言葉を交わし合う2人に、唐突に、置いてけぼりにされた私は。
お互いに口は悪いのに、どこか、通じ合っているような、そんな2人の遣り取りに。
「……よく分からないけど、2人とも、急に、仲良し、だね、?」
と、疎外感を感じて声をかければ……。
2人が一斉に私の方を向いて。
「……冗談じゃねぇ、よ。誰がこんな奴と……」
「駄犬、が。そっくりそのまま、その言葉を返してやる」
と、息ぴったりに否定の言葉が返ってくる。
「……??」
「いいか、姫さん。この野郎はとんでもねぇ、悪党だ。信用しちゃ、ダメだぞ」
「おい、犬っころ。どさくさに紛れて何を巫山戯た事を言っている?」
「……あぁ? 優しい方だろう、俺は。
姫さんが優しいから、姫さんの言葉にどうしようもなく
でもな、それとこれとは別問題だ。……アンタ今、姫さんの腕を掴んで、何、言おうとした?」
「……っ。はっ、別にそんな大したことじゃ、ない。
それより俺はお前の存在の方が、アリスにとっては危険だと思うけどな?
お前のその身体能力があれば、しようと思えば何でも出来るだろう、?
……どうせ、アリスには“その力”大して見せてすらいないんだろう?」
「はっ、当たり前だろ。
姫さんは、そもそも俺の主人であって、護るべき対象だからな。……敵じゃねぇのに、わざわざ恐がらせる必要、どこにもねぇだろ?」
「それで、大人しくて忠実な犬を演じきっているつもりか?」
「“わん、わん”って言えば、満足か? お兄様?」
「……お前にお兄様なんて、言われる筋合いはない」
「……? えっと、あの、っ……おにいさ、ま? セオドア……?」
何を言っているのか、いよいよ、よく分からなくなって、2人の言葉の応酬についていけなくて、ひとり、こんがらがる私に。
……2人の視線が一斉に、私の方を向いたあとで。
「……っ、! ひめさんっ」
セオドアの瞳と目が合ったと、思った時には、私はセオドアの腕の中にいた。
……お兄様とは反対の腕を掴まれて、私が引き寄せられたのを、お兄様が鋭い視線で、セオドアに
「……オイ、お前、一体、何をやって……っ!」
と、言いかけるその口を、セオドアの鋭い瞳がそれを、制した。
「……シっ! ……だれか、いる……っ」
私たちにだけ、聞こえる音量でセオドアがそう、声に出して。
ちらり、と一度、視線だけで、廊下の奥の方へと目を配る。
……それと同時に2人から掴まれていた私の腕も、そっと離される。
セオドアの言葉を聞いた瞬間、さっきまでセオドアと軽快なテンポで言葉を交わし合っていたお兄様も、一気に緊迫感を増したような雰囲気に変わった。
「……っ、」
びっくりして、ちらり、とセオドアの腕の中で、隙間からそっちの方を恐々とみてみたけど。
……暗がりに続いていく廊下の先に本当に人がいるのかすら、私には分からなくて。
そこに、誰がいるのかも予想がつかなかった。
「一応、聞いておく、けど。
アンタ、こんな夜更けに心配して着いてくる従者か、子飼いでもいるのか……?」
「“お前”じゃあるまいし、俺にそんな存在がいる訳ないだろう? 誰かここからじゃ、判別は不可能か?」
「……あぁ。残念ながら……。俺の、知ってる気配、じゃねぇな」
セオドアとお兄様の遣り取りを聞きながら。
私はどうしようもなく、不安な気持ちに襲われる。
……前にセオドアがお兄様に剣を向けたという噂も。
誰かの手によって、意図的に流されているような感じだって、ルーカスさんが言っていたのを思い出したから。
「あ、あの……っ。偶然、通りがかっただけにしても、不自然、ですよね?
私の部屋って、ほぼ一番奥にあるようなものだし、私の部屋に出入りする人も、数少ないのに、こんな夜更けに……っ。
それに、もしも、今の話を、聞かれてたらっ……、」
もしも、今、お兄様が話していたお兄様の秘密が、誰かに聞かれていたのだとしたら。
それが噂として流されたら、マズイんじゃないか、と……。
ひとりで、オロオロとしてしまう、私に、セオドアが安心させてくれるように。
ふわり、と穏やかに笑ってくる。
「……姫さん、心配しなくても大丈夫、だ。
多分、よっぽど、耳がいい人間でもねぇ限り、俺等の話は聞こえてはねぇよ」
「……遠いのか?」
「あぁ。……向こうも俺等に気付かれてるとは思ってねぇだろうけど。
俺が、追うにも、逃げられそうな距離、だな……っ」
『一応、相手を探るのに追いかけることは出来るけど、どうする?』
と、セオドアに聞かれて、私はふるり、と首を横に振った。
「……ううん、できるだけ、危険な真似はして欲しくない……っ」
私の一言を聞いて、お兄様が驚いたような表情を浮かべるのが見えて首を傾げる。
「……あの、私、何か変なこと……?」
「……いや。姫さんは、いつだってそのままでいてくれ」
ふわり、と頭を撫でられて、セオドアにそう言われれば。
お兄様が呆れたような視線に変わって、セオドアの方を見たあとで。
「こっちに来るような気配はあるのか?」
と、声をあげる……。
「いや、来る気配はねぇな。……だが、動く気配もない」
『どうすっかな』と、困った様なセオドアのその一言に、思いついて。
「あ、じゃぁ、もし良かったら、このあとは、私の部屋に入って話しますか?
もしも、何か私たちの話を聞くのが目的だったなら、部屋に入ったことで、近くまで来てくれるかも、しれないし……。
そこを、3人で、取り押さえればっ」
おずおずと、そう提案すると……。
顔を見合わせたあとで、お兄様とセオドアが頷いてくれるのが見えた。
「2人で充分だ、アリス。……寧ろこの男なら多分、1人でも充分だろう?」
「まぁそれについては、否定はしねぇ、けどな。
で、姫さんはそもそも、俺等の頭数には入らねぇからな? 急に無茶しようとすんのだけはやめてくれ」
そうして、苦笑しながら2人にそう言われて……。
私は、仲間はずれにされて、ちょっと寂しい気持ちになりながら……。
2人を案内するように、自分の部屋の扉を開けた……。