それから、暫く……。
ルーカスさんの「ワン、ツー」という掛け声に合わせて、どの曲にもよく使われているという基本的なワルツの振り付けを、何度か一緒に、練習させてもらったあとで。
「デビュタントの前くらいには、完璧に踊れるようになってたらいいけど。
お姫様って確か、まだ社交界にデビューはしてないんだよね?
殿下の時は、丁度お姫様くらいの歳の頃にやってた覚えがあるから、多分、もうそろそろでしょ?
いつが、予定なの?」
と、ルーカスさんに問いかけられて、思わずその場で固まってしまった私は……。
「……あ、えっと、それ、は。……私にも分からない、んです」
「……うん? なんで?」
と、私に聞きながらも、不思議そうな表情を浮かべてくるルーカスさんに苦い笑みを溢しながら、巻き戻し前の軸、自分の社交界デビューが、散々なものだったことを思い出した。
――というか、正確に言うのなら、私の社交界デビューなんてなかったと言った方がいいだろうか。
『デビュタント』といえば、一般的には、成人した貴族の令嬢が初めて社交界にデビューするのを指すことが殆どだけど、それは、貴族の場合であって、この国の皇族の場合は少しその意味合いが異なってくる。
『女性の場合の皇族のデビュタント』若しくは『男性の場合の皇族のデビュー』に関しては、その日の主役として皇帝陛下主催のパーティーが開かれて、お披露目するというのが通例だ。
そして、貴族のデビューが十六歳の成人を迎えてからなのに対し、皇族のデビュー時の年齢は、十歳前後と、かなり若い。
皇族主催のパーティーに、小さい時から否応なく出席しなければいけないことも多いし、侯爵家などの国内の有力な貴族との接点を幼い頃から持っておくべきだという理由もある。
勿論、年齢が小さい時は、父親か母親、いれば成人済みの兄弟の同伴などのもと、貴族の顔を覚えるのに出席するような形になるし。
デビューさえ一度経験しておけば、普通にいけば、皇帝陛下直々にお披露目されたあと、貴族から社交界へのお誘いの手紙なども格段に増えることになるんだけど。
――巻き戻し前の軸。
私も、当然、妹として、二人の兄のデビューの時には、形式的に参加させてもらったし……。
式典とかだけなら、他の貴族がいる前での顔出しを、これまでにも何度か経験したことがあるものの。
だけど、結局、十六歳の成人を迎えてギゼルお兄様に殺されてしまうまで、私
式典や、上二人の兄のデビューの時を除けば、どうしても出なければいけないと言われた、貴族主催のパーティーに『出席した』のが最初だったから……。
「……私、自分のためのデビュタントのパーティーを、お父様に開いてもらえるんでしょうか?」
そもそも、上二人の兄の、デビューのパーティーがどんなものだったのかさえ、小さい時の話だったから、あまり覚えてもいないんだけど。
(今なら、お父様との仲もそこまで悪くないから、もしかしたら慎ましくでも開いてもらえるかもしれないなぁ……)
と、ぼんやりと、僅かな可能性について頭の中で考えていたら、ぽつりと溢した私の声を拾って、ルーカスさんが。
「いや、絶対に、陛下はお姫様のパーティーを開くつもりでいるでしょっ。
……だって、心配だからって俺にわざわざ殿下をつけてまで、その動向を監視してくるような人だよ?
お姫様のパーティーを開かないっていう方がおかしいからねっ⁉」
と、此方に向かって、力説してきてくれる。
突然の謎の理論を用いて説明してくれるルーカスさんが、どうして、そこまでお父様が私のためのパーティーを開くことに確信を持っているのかよく分からないけど。
そう言ってくれる分には、有り難いことなので、私は……。
(そうなのかな……?)
と、内心で疑問に思いながらも、ルーカスさんが此方に向かって出してくれる言葉に、自信があまりないながらも、こくりと頷き返した。
「……っていうか、殿下も、その話が決まっているんなら、ちゃんと伝えるべきだと思うよ、俺。
陛下も、殿下も何も言わないから、お姫様がこんなにも不安になるんじゃないっ?」
そうして、その上で、ルーカスさんがウィリアムお兄様に向かって、注意するようにそう言ってくれると。
「……まだ、日取りも何もかもが決まっていないんだから、言いようがないだろう?」
と、お兄様が難しい表情を浮かべながら、そう言ってくるのが聞こえてきて、私自身もその言葉には、特にショックを受けることもなく『……やっぱり、そうだよね』と、納得する。
セオドアやアルはお兄様の言葉を聞いて、目に見えて眉を寄せ、険しい表情を浮かべて怒ってくれている様子だったものの、私自身はハッキリ言って、本当に何の期待もしていなかった分だけ、その事実を正面から受け入れることが出来たんだけど。
「……えっ? 冗談でしょっ?」
「事実だ。
だが、父上も、何も考えていない訳じゃないだろう。
……どこかのタイミングで執り行えるように、調整はしているはずだ」
と、逆に、お兄様から続けて降ってきたその言葉には、驚いて目を瞬かせてしまった。
(お父様が、どこかのタイミングで執り行えるように、調整してくれている?)
巻き戻し前の軸ではあり得なかったことを言うお兄様に、一人、動揺してしまっている私をおいて、ルーカスさんもどこか納得したような素振りで頷いたあと。
「あぁ、なるほど……。
まぁ、ちょっと前まで、お姫様は療養してたからおかしいことではないか」
と、声を出してくる。
(そう言えば、ロイが診断書を書いてくれていたから、私はずっと療養していることになってたんだ)
巻き戻し前の軸の時はそれが解除されたあとでも、私のためのデビュタントのパーティーだなんて開いてもらえなかったと思うけど、あの時は単純に、お父様の私への評価が酷いものだったから仕方がなかったのかな?
でも、だとすると……。
「もうすぐ、私のデビュタントが開かれる、ってことです、よね?」
お兄様の言っていることが正しいのなら、近々、そうなる可能性の方が高いのだろうと感じながら、おずおずと出した言葉は、今の私の不安を表すような声色になってしまった。
……どうしようっ?
――全然、ダンスなんて出来ないのに……。
『その日の主役』なんていうものに担ぎ上げられて、みんなの前で披露しなければいけなくなる日が、いつか近いうちにやってきてしまう……っ。
今回はもしかしたら、私のデビュタントを慎ましくでも開いてもらえるもしれないとか、僅かな可能性だと思って、そんなことを考えている場合じゃなかった。
そうなったら、慎ましくだろうが、
それも多分、ホールのど真ん中で……。
じわじわと、パーティーが開かれる意味に気づいて、私の表情が引きつっていく。
「……あ、あの、お兄様……っ。
そのっ……、お父様は大体、今からどれくらいの期間で、パーティーを開くおつもりなのかご存知……、ですか?」
私の問いかけに、目の前に立ってくれていたお兄様がふいっと、視線を逸らすのが見えた。
「もしも、仮に知っていたのだとしたら、今ここでお前に教えている」
――そう、ですよね……っ!
さっきルーカスさんと話していた遣り取りで、分かってはいたけれど、実際にそう言われてしまうと、もう言葉も出てこない。
「だが、そう遅くはならないだろう。
俺も
そう考えるならば、お前のデビュタントは既に遅いくらいだから、この先、いつ行うと、父上からの発表があっても可笑しくはない」
私が一人戸惑いの表情を浮かべていたのを、もの凄く不憫に思ってくれたのか、次いでお兄様からそう言われて、私はくらり、と目眩がしそうになってしまった。
そうなったら、パーティーで流れる曲のリストも知らなきゃいけないし。
踊るダンスの曲くらいは、きちんとしておかなければいけないだろう……。
「……あのっ、こういう時のダンスって、一曲覚えれば何とかなりますか……?」
今からは、どんなに頑張っても二曲以上は踊れる自信が全くない。
震える声でお兄様にそう、問いかけると……。
「……あぁ、一曲踊ることさえ出来れば大丈夫なはずだ。
俺の時は剣の授与で、そもそもダンス自体がなかったが、お前はそういう訳にもいかないだろう。
デビュタントのダンスの相手は順当にいけば、ギゼルになるだろうな。」
という言葉が返ってきた。
「っ、ぁ、ギゼル、おにいさま……」
(どうしよう……っ)
私の相手が
元々、私のダンスの相手については、朧気ながらも、セオドアは護衛騎士という立場だからきっと、無理だろうなと思うことくらいしかしていなくて、ダンスのパートナーになってくれる人も探さなければいけないだろうと、漠然としか、考えられていなかったから……。
ギゼルお兄様相手だと、どう考えても波乱しか待っていないであろうことが、容易く想像出来てしまい。
思わず、口ごもった私を見て……。
分かりやすく困っていることが、伝わってしまったのか、珍しくウィリアムお兄様が此方に向けてくる視線に同情の色が浮かんでいた。
「あ、あのっ……ギゼルお兄様とだと、わたし、きっと踊れないんじゃ……?
寧ろ、ギゼルお兄様の方が嫌がるのではないかと、思います……」
「あぁ。
お前との身長的な釣り合いだと、アイツが一番適任なのは間違いないが。
アレは、お前とは、踊りたがらないだろう。……分かった。父上には俺から話を通しておく」
この場で引きつった声を出す私に、お兄様がそう言ってくれて、内心でホッとする。
「だとしたら、お前の相手は、必然的に俺になると思うが……」
一言そう言ったあとで、お兄様がまじまじと私の方へとその瞳を向けてきた。
「……お前は、それで、大丈夫なのか?」
その上で、突然そう聞かれて、その意図が分からず私は首を横に傾ける。
(第二皇子であるギゼルお兄様ならまだしも、どうしてウィリアムお兄様と踊るのに私が嫌だと思ったんだろう……?)
そこまで考えて、ハッとした。
あ、れ……? そういえば、私……。
――あれだけ苦手だと思っていたのに、ウィリアムお兄様のことは、今はそこまで苦手じゃなくなっているな……。
今までにも何度か助けてもらったから、苦手意識がちょっとだけ薄れたんだろうか……?
それより、ルーカスさんの存在が、お兄様の雰囲気を和らげているからそう思うようになったのかな……?
「私と踊ってもらえるだけで有り難いことなので、大丈夫です。……寧ろ、お兄様の方は、私と踊るの嫌じゃありませんか?」
どちらにせよ、パーティーでパートナーになってくれて、私と踊ってくれる人がいるだけでも貴重なことだし。
寧ろ、その役回りをお兄様に押しつけてしまうことになる方が、ちょっとだけ気が引けて、そう、問いかければ……。
「……別に、嫌ではない」
と、返ってきて、私はホッと胸を撫で下ろした。