ティーゲルの呟きによって一時中断したものの、その後五分ほどでファリエの手料理は完成した。
「家にあるもので作ったから、あまり凝った料理ではないんですが……偉そうにお誘いしたのに、ごめんなさい」
少し照れくさそうにそう言って、半熟卵とベーコンの載った、葉野菜のサラダをテーブルに置く。ティーゲルも配膳を手伝い、パスタの鎮座する丸皿やスープカップを並べた。
夕食はサラダ以外に、ナスとトマトと鶏肉のパスタ、軽く炙って焦げ目のついたバゲット、そしてジャガイモのミルクスープだった。
スープは昨日作った分の残り物を温めただけなので手抜きだ、というのが彼女の主張なのだが。
「いやいや、十分凝っているし、旨そうだよ」
一品作ってもらえれば十分だと思っていたので、まさかサラダやスープまで付いてくるとは想定もしていなかった。食欲をそそる見目と香りに、ティーゲルは
(これはせめて、食材費と手間賃を支払うべきだろうな)
と考えつつ空腹を覚えた。胃が動く感覚を、久しぶりに思い出せたかもしれない。
彼の言葉に恐縮したように、ファリエは両手を合わせて指をこねる。
「見た目通りお口に合えばいいんですが、もしまずかったらごめんなさい……あ、でも、栄養はありますから! はい!」
妙なところに自信たっぷりで力いっぱいうなずくものだから、ティーゲルもつられて笑う。
「そうか、それは楽しみだ。それじゃあ、いただきます」
「はい。えっと、召し上がれ」
はにかむ彼女に見守られながら、パスタをフォークに絡ませる。シリルから以前、サラダを先に食べる方が糖質の吸収を抑えられて体にいい云々……と聞いた記憶があるような気もするが、ティーゲルは温かい主役を最初に食べる主義だった。どうせ最近、ろくな栄養を摂っていないのだから、糖質だろうが何だろうが少しぐらい摂り過ぎた方がいいだろう。
そして大きな口でぱくり、と頬張る。
パスタには唐辛子も使われており、程よい辛さが鶏肉と野菜の旨みを引き立ててくれていた。麺もごくわずかに芯の残る、丁度いい硬さだ。
ティーゲルは料理にそれほど頓着しない人間なので、たとえ少々失敗作であろうとも、身の危険を感じない味なら褒めて完食する所存だった。が――
「うまいっ!」
お世辞抜きで、思わず声を張ってしまった。次いで自分の声が馬鹿でかいと評判であることと、ファリエの家がアパートの一室かつ、時刻はすでに二十時半を過ぎていることも思い出した。思わず隣室との間にある壁を見て、耳を澄ませる。
幸いにして隣からは、騒音への苦情を示すアクションは聞こえてこない。自分が黙りこくれば、シンと
ティーゲルは、万が一怒鳴り込まれたら平身低頭で謝るつもりだったので、壁を見つめて安堵の息を吐いた。ファリエがその様子を眺め、口元に手を当てて微笑む。
「お隣は今ちょうど空き家だったと思うので、たぶん大丈夫なはずですよ」
「そ、そうか……よかった」
こちらの焦る内面が丸見えだったようで、気まずさから口調が少しぎこちなくなる。
だがファリエは優しい笑顔のまま、ゆるゆると首を振った。
「こちらこそ、お口に合ってよかったです」
なんとも優しく、そして可愛らしい笑顔だった。食事中であることも忘れて、つい見惚れてしまう。
(これはもう……無理だ。弱っている時にここまで甘やかされて、笑いかけられたら惚れても仕方ない。今まで部下として……そう部下として、いい子だと思っていたんだ。だからむしろ、ここは恋に落ちてしまう方が当然の流れだろう、うん)
なのでティーゲルは諦めた。本人に言わず、私情を挟まずに業務を遂行すれば問題ないだろう、想うだけなら自由だ、と半ば投げやりに結論付ける。人の
無論ファリエも満更でもなさそうなら、ガンガン押す所存ではあるものの、彼女からすれば腹を空かせた野良猫にご飯を恵んでいるような心境かもしれない。だって眼前の笑顔には、慈悲の心しか見えないのだ。色恋じみた欲はまるでなさそうである。
もしくはこの無警戒さは、ティーゲルを男というより「親戚のお兄さん」辺りにカテゴライズしているからかもしれない。せめて「おじさん」でないことを祈ろう。
あくまで上司の姿勢を崩さないよう、気持ちを切り替えて食事を再開した。パスタ以外もパクパクと口に運ぶ。
サラダにはレモンの果汁を用いたドレッシングが使われているようで、とても爽やかな風味がする。その一方でミルクスープは、塩分も控えめで優しい味わいとなっていた。舌触りもいいので、おそらく茹でたジャガイモを一度
しばらく夢中で、久しぶりの温かで健康的な料理を堪能した。
「君は人間の料理の、作り方にも詳しいんだな。本当にうまいよ」
そしてティーゲルのこの賞賛にも、色恋の絡んだ思惑は皆無だ。好きだからこそなのかもしれないが、自分にとって不必要なものをここまで極めようと思った志には尊敬の念しかなかった。
人間である自分が、目玉焼きすらまともに作れない体たらくなので、余計に平伏したくなる。
「おかげで地元では、変わり者扱いされてましたね」
ファリエも自分のパスタ――ティーゲルの三分の一ほどの量だった――をフォークに巻きつけ、華奢な肩を一つすくめる。
「でも、そう言ってもらえると嬉しいです」
次いでふにゃり、と日向でまどろむ子ウサギのように目を細めた。
(とんでもなく可愛いんだが、どうしたらいいんだ)
どうにかこうにか笑い返しつつ、内心で頭を抱える羽目となった。