「ここで降ろして!」
「はーい」
「ありがと!」
車を降りて周りを見渡すと、駅前のベンチに座ってスマホを見ている侑希が目に入った。
「侑希!!」
思わず声を上げて走って駆け寄ると、侑希もこちら気づいたらしく、ニコッと笑ってベンチから立ち上がった。その体に、走っている勢いのまま思いっきり抱きつく。侑希は少しバランスを崩して、ベンチに後ろ手をついた。
「ちょ、ちょっと」
「侑希!!」
「もう、犬じゃないんだから」
私の背中を撫でながら困ったように笑う侑希。ハグをしただけなのに、私はどうしようもない幸福感に包まれていた。私に尻尾がついていたら、きっと千切れるくらいにブンブンと振り回してるんだろう。犬じゃなくて良かった。
「凛、目立っちゃうから」
「んー、帽子かぶってるから大丈夫」
「大丈夫じゃないの」
無理やり引き剥がされたので、私は仕返しに侑希の手を取る。今度は拒否されることなく受け入れてくれた。
「さ、行こっか」
「うん」
侑希が行ってみたいと言っていた新しくできたクレープ屋さんに行ったり、ウィンドウショッピングをしたり、久しぶりに会ったのもあって話が途切れることは無かった。デパートの中の休憩スペースに2人で座って、おしゃべりに夢中になっているうちに、外がだんだん暗くなってきた。
「え、もう7時?」
「ほんとだ」
「お腹空いたね〜」
「うん。凛は夜、予定ある?」
「ううん、今日は何もないよ。どっかで一緒に食べよっか」
「うん、そうする」
侑希は嬉しそうに返事をしてくれて、私たちは近くのファミレスに入った。
「侑希は大学生になったら一人暮らしするの?」
「うん、そのつもり」
「えー、いいなぁ」
「凛はどうするの?」
「多分、今のままだね。事務所も近いし、特に不便なところはないし。でも、侑希と離れるのは嫌だな」
「離れるって言っても、電車で1時間くらいじゃない」
「それでも遠いって。今みたいに頻繁に会えなくなる」
「確かに、そうね」
その時、ポケットに入れているスマホが震えた。着信があったらしい。また後で出ればいいやと思い無視していると、またバイブレーションが鳴った。
「凛、スマホ鳴ってる?」
「あぁ、うん。そうみたい」
「別に、出ていいわよ?」
「じゃあ、ちょっとごめん。出てくるね」
「うん」
席を外して、私はトイレの方へ向かった。スマホを確認すると着信はナツさんからで、仕事関係だったのかと慌ててかけ直す。
「もしもし」
[蒼さん、ごめんなさい何度も。今、お時間大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
[こないだのリーフミュージックの件なんですけど]
「うん」
[無しになりました…]
「え?な、なんで」
[詳しい理由は分からないのですが、とにかく急に白紙に戻したいとのことで…]
「そう、なんだ…。分かった」
[蒼さんのせいじゃないので、どうかあまり気を落とさないでください。また色んな機会があると思いますし]
「うん、ありがと」
[はい、では失礼します]
電話が切れた。せっかくやる気になっていたのに、理由もなく無しになるなんて。もしかして、私が女の子だってことがバレたのか?でも、どこから…。
突然言い渡された現実に、頭が真っ白になった。
さっきのテーブルに戻ると、侑希がパッと顔を上げた。
「あ、凛。何の話だった?」
「仕事の話。大したことじゃないよ」
「そっか。あ、さっきの話の続きなんだけどさ…」
どうしてだろう、色々と引っかかる。こんな大きな契約が、簡単に無くなることがあるんだろうか。もしも私が女の子という事がバレたとして、これ以上悪い方向に進まなければ良いんだけど。
「凛、聞いてる?」
「ん。え、あぁ、ごめん」
「どうかした?」
「えーっと。何でもないよ」
「そっか。食べ終わったしそろそろ帰る?」
「うん。そうする」
会計を済まして2人で電車に乗って、あっという間にいつもの駅に着いた。侑希はその間中、ずっと話を振ってくれていたけど、私は頭がパンクしそうになっていて、生半可な返事しかできなかった。
「ずっと会えなかったから、会えて嬉しい」
いつもの私なら飛び跳ねて喜ぶはずの、侑希からの甘えた言葉も、今の私には全く響かなかった。適当に相槌を打って、駅から家までの道のりを早足で歩いていく。
私の様子がおかしいのに気づいてから、少し不安そうな声で、それでも健気に、会えなかった期間の私への想いを一生懸命に言葉にしてくれている侑希。
いつもの別れ道まで来くると、侑希は私の手を取ってそっと私の顔を覗き込んだ。
「もう、帰っちゃう?」
「んー、帰って寝ようかな」
そう言ったのに、なかなか手を離そうとせずもじもじしている侑希に苛立ちが募っていく。
「ごめん今日マジで疲れてるから」
「え?」
「だるいから、手離して」
侑希にこんな風に当たったのは初めてだった。私の言葉を聞いた侑希は目をまんまるくした後、パッと一瞬で手を離すと、一歩下がって私から距離を取った。
「そ、そうだよね。ごめん。今日は帰るね」
侑希はそう言って自分の家の方へ走っていった。すぐに追いかければ良かったのに、あの話の事でイライラしていた私は彼女を追いかける気にもならなくて、誰もいない道でひとり、舌打ちをした。
家に帰って服を脱いで、お風呂にも入らずにベッドに飛び込んだ。そうしてタオルケットを頭まで被ると、なんだか悔しくて涙が出てきた。この仕事を始めてから、大変な時期はたくさんあったけど、こんな風に挫折を経験したことは一度もなかった。全てがうまく行くわけじゃないとは分かっていても、初めて経験した失敗の味は、思っていた以上に苦くて苦しかった。理由が分からないのだから、なおさらだ。
気分が沈んでいる時は寝て忘れよう。そう思って目を瞑ると、疲れていたのかすぐに意識を手放してしまった。