「やべ、遥香待たせてるんだった」
鏡の前で立ってる場合じゃない。私は急いで階段を駆け上がった。教室がある4階まで上がると、みんなとっくに帰っていて人の気配は無かった。
1番奥から3番目。自分の教室まで廊下を早歩きで進んでいく。スマホを取り出してみると、ちょっと前に送ったメッセージには既読がついていなかった。
ようやく自分の教室が見えてきた。後ろのドアが空いていて、私はそこから顔を出して中にいるであろう遥香に声をかけようとした。
「遥香、一緒にかえ…」
教卓のあたりに遥香ともう1人、クラスの男子がいるのが見えて、私は驚いて体を廊下に引っ込めた。何もやましいことなんてないのに、隠れてしまって余計気まずくなる。チラッと遥香と目が合った気がしたけど、幸い、私の声は前の方にいる2人には聞こえてないみたいだった。
確かあの男子は、クラスで1番イケメンと言われている、サッカー部の子だった気がする。気さくで優しくて、いつもクラスの中心にいる明るい子。でも気遣いもできて、隣の席になった時にはすごく話しやすかった印象。こんな時間に教室で2人きり、何が起きてるのかはだいたい想像がつく。
「付き合って欲しい」
「ごめんなさい」
うわっ、まじか。男の子の告白のすぐ後に、遥香が断る声が聞こえてきて私まで気まずくなる。でもまぁ、これもいつものことだ。遥香は可愛くてすごくモテるのに、告白を受けた事は私が知っている限り一度もない。もちろん、彼氏が出来たこともないはずだ。
「なんで?涼風さん、別に今誰とも付き合ってないじゃん」
まさか自分が振られると思っていなかったのか、男の子の不満げな声が聞こえてきた。
「ごめん。好きな人がいるの」
「え?そ、そうなの」
「うん。だから、ごめん」
「分かった。こっちも、ごめん」
男の子がリュックを掴む音が聞こえて、私はあわてて廊下の窪んだところにある影に隠れた。このまますぐに出ていったら、聞いていたことが遥香にバレてしまう。少ししてから何も知らなかった風を装って教室に入ろうと思ってたのに、教室の中から遥香の声が聞こえてきた。
「りんりん、出てきていいよ」
ありゃ、やっぱりあの時目合ってたよね。私はのそのそと前のドアから顔を出した。
「ば、ばれて、た?笑」
「うん。ばればれ笑」
遥香はバッグを持つとこっちに歩いてきて、私たちは一緒に学校を出た。
「いやー、やっぱ遥香は相変わらずモテるね」
「そんなことないよ」
「だって、今年に入って何回目よ」
「知らない。数えてないし」
「モテる女は違いますわ」
私が茶化すようにそう言うと、遥香に肘で小突かれた。
2人で駅までの道のりを歩いて行く。さっきのことがあったからか、なんとなく今日は話がぎこちない感じがする。遥香はあんまり恋愛系の話を好まないイメージがあるから、そろそろ話題を変えた方がいいかもしれない。私は信号待ちのタイミングで、次のテストの話をしようと思って遥香に話しかけた。
「そういえば、」
「ねぇ、りんりん」
私の言葉は、遥香に遮られた。
「ん?」
「さっきの聞いてたんでしょ?好きな人、誰とか聞かないの?」
遥香はいつも女の子らしい可愛い声をしているのに、横からいつになく真剣な声が聞こえて驚いた。あたりは暗くなってきていて遥香の表情を読み取る事はできないけど、きっと真面目な顔をしてるんだろう。
「なんか、さっきの盗み聞きだったし、聞いちゃダメかなって」
「りんりんって変なとこで真面目だよね」
信号が青になった。横断歩道を渡りきったところで、遥香がいつもとは違う道を指差した。
「ちょっとさ、寄り道してもいい?」
「え、うん。いいけど」
ちょうど今日は配信もレッスンもなかった。私は二つ返事でオッケーして、2人で遥香が指差した方の道へ歩いていった。
何か大事な話があると思っていたのに、遥香が話すのは普段と何ひとつ変わらないものばかりだった。登校中に可愛い子猫を見つけたとか、妹と久しぶりに喧嘩をしてもう3日も口を聞いてないとか。いつも通りの遥香の様子に私も安心して、特に何かを聞き出すような事はしなかった。
そうしているうちに、少しだけ遠回りした道もあっという間に終わってしまい、私たちがいつもバイバイするところまで来ていた。
遥香はその場所に近づくに連れてどんどん元気がなくなっていった気がした。そんな彼女の様子にほんの少しだけ違和感があったから、私はバイバイを言わずにいると、やっぱり彼女も何も言わなくて、私たちはその場で止まった。
街灯があるところだけど、遥香は俯いてしまっていてその顔が見えない。
「帰りたく、ない感じ?」
遥香は首を振った。どうしたんだろう。いつも元気な遥香の、こういうところを見るのは初めてだった。心配になってきて、彼女の手を握ろうと思って手を伸ばしたところで、遥香は顔を上げた。無理して笑ってるような顔を浮かべている彼女に、私は不安な気持ちでいっぱいになる。
「あのさ、さっきの話なんだけど」
「さっき?」
「その、好きな人、のこと…」
「うん。話してくれるの?」
「あのね、その…」
口ごもってしまった遥香。私は再び手を伸ばすと、その手を取った。いつもスキンシップをとってくるのは遥香の方からだったからか、彼女は驚いた顔でこっちを見た。
「無理して話さなくていいよ」
「………」
「話したかったら、話してくれてもいいし」
「今言わなきゃ、言えなくなっちゃうから…」
遥香は震える声でそう言った。
しばらく手を握っていると、遥香はふぅっと息を吐いて、覚悟を決めたように話し始めた。
「あのね、もしも、これから私がどんな話をしても、友達でいてくれる?」
「うん。当たり前だよ」
「あのね、その、、えっとね」
「うん」
「私、りんりんのことが、ずっと好きで…」
「……えっ」
突然呼ばれた自分の名前に、私は驚いて目の前の遥香をじっと見つめた。
好き?え、好きって?私のこと、好きってこと?
何も返せず固まってしまった私に、遥香はまた苦しそうに笑った。
「りんりんと、付き合いたかった…」
そう吐き出した遥香。過去形なのはきっと、無理だと分かっているからなんだろう。一緒に過ごしてきたこの数年間、遥香がどんな気持ちで私のそばにいたのか考えると、グッと胸を押しつぶされそうな感覚に襲われた。
でも、私は…。彼女の希望には応えられない。
「遥香のことは好きだよ。でもそれは多分、遥香が私に思ってくれてる好きとは、違うと、思う…」
「うん。うん…」
「ごめんね、遥香。伝えてくれて、ありがとね」
「りんりんは、優しいからっ、うぅっ…」
泣きながら震えてる体を、私はただ抱きしめてあげることしかできなかった。もしかすると、こうやって抱き締められることすら、遥香にとっては辛いのかもしれない。でも、これは自己満足でしかないんだろうけど、目の前で泣いてる親友を放っておく事はできなかった。
さっきの道をもう一周しているうちに、泣き止んだ遥香。また別れ道まで来ると、目を赤くした彼女は鼻を啜りながら、恥ずかしそうに笑った。
「ごめんね、変なこと言って」
「ううん」
「これからも、友達でいてくれる?」
「もちろんだよ」
「ありがとね、りんりん。じゃあね」
「うん。バイバイ」
手を振って別れた。後ろを振り返ったけど、いつもは振り返って手を振ってくれる遥香が、今日は振り返らなかった。しょうがないって分かっていても、今までと同じであることを願っても、変わってしまうものは確かにある。それがどうしようもなく寂しくて、悲しかった。