自分が誘拐されたきっかけを持ち出され、深良は無意識に顔をこわばらせた。
一歩左にずれ、典都は彼女を背に庇う。
「勘違いしているようだが、護花隊はただの民間組織だ。嘆願書を託されたところで、何の権限もない。それに、藤田氏と彼の子息は不仲だ。たとえ子息の手に渡っても、そこで立ち消えるのがオチだ。仮に藤田氏が受け取ったところで、破り捨てられるだけだろうが」
淡々と、読経のようにまくし立てられる現実に、モヒカンたちは色を失う。
ただ、と典都は真顔のまま続けた。
「護花隊全体の意見としては、政策には反対している。ただでさえ現状、低所得者層の集まる地区は獣人の比率も、犯罪発生率も高い。隔離政策が施行されれば、地区のスラム化が進むだけだ。俺個人としても、偏見を増長させるだけの悪法だと考えている」
うなだれるモヒカンたちの顔が、分かりやすく明るくなった。
「声高に意見したいなら、反対活動にでも参加しろ。活動を率いている団体は、獣人と鳥人が運営している」
おそらく深良や友人が署名に参加した団体と、同じものだろう。獣人と鳥人の二人組が、真倉瀬大学でチラシを配っている姿も見たことがあるのだ。
「でもそういうのって、役所行かねぇと分かんねぇだろ?」
「だよな……役所って、なんか怖いし……」
モヒカンは揃ってもじもじした。
こめかみのひびを撫で、典都は嘆息。
「護花隊本部なら、通い慣れてるだろ」
「うん、不本意ながら……」
「捕まえるこっちの方が不本意だ。本部の受付の女性に、活動のことを訊いてみろ。彼女も参加しているはずだ」
「受付って、あの、おにぎりみたいなオバちゃん?」
「……お前、殺されるぞ」
あけすけな感想に、典都はたまらず眉をひそめた。しかし、「分からんでもないが」と小さく呟いたのを、深良は聞き逃さなかった。
「それより、万引きなんてくだらないことは止めろ。お前たちの悪さを拡大解釈して、獣人全体を差別する馬鹿もいる。弱みを自ら作るな」
口調は厳しいが思いやりも見える言葉に、モヒカンたちは素直に頷いた。
「サンキュー、ブロッケン」
典都はまた、苦み走った顔になった。
「まとめてブレーンクローするぞ、お前ら……もういいか。さっさと帰れ」
が、途中で面倒くさくなったのか、雑に顎をしゃくって退散を促す。
ほっと顔をほころばせ、モヒカンコンビもそそくさと立ち上がった。しかし案外礼儀正しく、典都へ深々とお辞儀。
続いて少し向きを正し、深良にも頭を下げた。特に何もしていないのに、と思いつつ、深良も会釈を返す。
「あの、あたしも、政策には反対です。だって、典都さんと一緒に暮らせなくなるかも、しれないし」
何もしていないが、わざわざ大学まで来て自分を探した二人の手間を、どうにか労いたくて。頭を持ち上げながらつい、言葉も添える。
モヒカンは腰を曲げた体勢のまま、顔だけ深良へ向け、きょとんとする。
そんな顔にまじまじ見つめられ、途端に気恥ずかしさが大きくなる。つい俯いた。
「すみません、理由が個人的で……」
我に返った二人は、慌てた様子で首と、ついでに両手も振った。
「いやいや! ぜんぜんっ! 個人的にアリです! 普通にアリです!」
「だよな! うん!」
何故か上ずった声で、勢い激しく同意を示す。今度は深良が面食らう番だった。
驚き固まる彼女へ時折視線を巡らせ、二人はにやけた顔で何故か頷き合った。
「やっぱ、ブロッケン使いはすげぇな」
「マジでヤバいな。すげぇさらっと
「のろっ?」
己のセリフを脳内で再生し、二人の言わんとしている意味を見つける。
──違うの! そうじゃなくて! 一人じゃ生きていけないから困るっていう意味なの! そりゃあ寂しいのも理由だけど、さっきのはそういう意味じゃ!
鉄砲水のように、言い訳が喉まで押し寄せたが。
現実の深良に出来たのは、真っ赤な顔で口をはくはくと、無音のまま開閉させることだけだった。
「あれはブロッケンも落ちるな」
「落ちるな、ベルリンの壁より早く落ちるよな」
無駄に小洒落た言い回しを挟みつつ、二人はしみじみと語り合いながら、裏門の方向へ消えた。
「確かに、陥落した」
斜め前に立った典都が、前を向いたまま、低い声で藪から棒に言ったので。
深良は赤い顔で、びくりと飛び跳ねた。
顔が見えないので、典都の真意が伺えない。喜んでいるのか、困っているのか、からかっているのか。
そして額に汗をかくほど狼狽している彼女は、彼の表情を覗きこむ勇気も見失っていた。思わず通学カバンを抱きしめ、息まで殺してただ、彼の動きを伺う。
「結婚指輪だが、結晶人の間で用いられる意匠を選んだ」
が、その次の一手が急激な話題転換であったため、深良は思わぬ肩透かしを食らった。
ぽかん、となりつつ、どうにか首だけで頷く。
彼女の相槌を気配で察したのか、それとも相槌を求めていなかったのか、典都は変わらず前を向いたまま続けた。
「あの意匠の由来を知っているか?」
今度は間違いなく、深良に意見を求めていた。
「知らない、です」
しかし相変わらず思惑が読めないので、深良は身構えたまま返した。
彼の言葉は
「結晶人の男性が、意中の女性へ家の鍵を贈り、求婚した風習が起源だ。意味は、『自分の帰るべき場所になって欲しい』だと聞いている」
素敵な風習だ、と深良は感じた。少し顔も緩む。
「女の人は、どう答えるんですか? 剣を贈るんです、よね?」
典都の指輪のデザインを思い出し、尋ねた。
「剣ではなく、小さなナイフでも構わないが、『あなたの帰りを待っているから、自分を守る剣になって欲しい』という願いを込めて、刃物を贈り返す」
「奥ゆかしいんですね」
「まどろっこしいだけだ」
あんまりな言い草に、思わず笑った。ちろりと振り返った典都も、薄く笑っている。
「帰るか」
「はい」
「腹も減ったな。今日は外食にするか」
「いいの?」
「君も俺も病み上がりだ。たまには楽をしても良いだろう」
それもそうだ。
ミートボールパスタは明日にしよう、と考えながら一つ頷く。
「お言葉に甘えます。ありがとうございます」
「行きたい場所はあるか?」
「うーん。和食……?」
「茶ノ庵で良いか?」
「はい!」
大きなだし巻き卵と、はんなり美人の優枝を思い出し、深良は弾んだ声を出す。
はしゃぐ彼女を、典都はしげしげと見下ろす。
「深良」
名前を呼ばれると同時に、手を取られた。そのまま、優しく握りしめられる。
「どうしたの?」
「今後何があっても君を守るから、俺の傍にいて欲しい」
「はぅっ」
爆発しかねない勢いで、深良の顔は赤くなった。
成功した不意打ちに、典都は喉を鳴らして笑う。くつくつと、そのまま深良の手を引き駐車場へと歩く。
「ずる、い」
いつもより狭い歩幅の典都に引かれながら、深良は恨めし気な目で仰いだ。
「男の照れ隠しだ。許してくれ」
そう言いながらニヤリと笑うので、今一つ、信用できなかった。