彼女の姿が視界から消えた瞬間、全身を裂き走る傷の痛みに膝がくじけた。
その場に片膝をついたまま、痛みがわずかでも薄れるのを待つ。
熱をはらみ、気道をふさごうとする力に逆らい、無理矢理喉を押し開いて呼吸をつなげた。
早く追わなくては。
ぼたぼたと血が塊となって落ちる腹部の傷を手でふさいで、レンジュは立ち上がる。
切り結びあう音と足音が近付き、仕切り布のすぐ向こうまできたと思ったら、仕切り布を引き裂いて盗賊の一人が倒れこんできた。
「なんだ。いきなり消えたと思ったら、ここにいたのか。
どうだ、お目当ての彼女は見つかったか?」
レンジュの足元で事切れている盗賊の背中をばっさり割った剣を壁に向かって振り切り、付着していた血を飛ばしながらハリが言う。
「! おまえ、その傷!」
「……馬、借りるぞ」
穴のそばにくくりつけてある自分の馬をとりに行っている余裕はない。傷だらけの体を引きずり、横を抜けようとするレンジュに、ハリは血相を変えた。
「借りるって、まさかその体で馬に乗る気か!?」
おいと肩を掴まれた衝撃が傷口に伝わって、レンジュは声もなく岩壁に身を寄せる。
「乗れるわけないだろっ。ただでさえひどい傷だってのに、そんなことしたらますます傷口が広がるじゃないかっ」
気を抜けば瞬時に意識を失ってしまいそうな激痛を噛み殺すレンジュに、ハリがまくしたてる。
腸がこぼれるぞ、とはおどしだろうが、まんざら嘘でもない。
レンジュにもわかっている。けれど、どうしても行かないわけにはいかなかった。
イルクは彼女を凌辱しようとしていた。空を飛んだことから察するに、やはり彼は人ではないのだろう。彼女と同じ言語を話していたようだから、彼女と同じ世界の者かもしれない。
それなら万一のことがあっても命に別状はないだろうが、それは、命さえ助かればどんな目にあってもかまわないというわけではない。
泣きながら、かけ寄ってきた。気丈な彼女が、あんなにも震えて……彼女を傷つけかねない自分にすがりつかねばならないほど窮迫していたのだ。
当座の危険がなくなれば、やつはまた彼女を追い詰めようとするに決まっている。
「……首領のイルクが、逃げた。彼女を連れて……。
北東の、方角だ」
痛みをこらえ、レンジュは壁に支え手をついて歩き出す。
腹部の傷は深い。痛みは警鐘だ。生命をおびやかすものに対して発動し、危機的状態であればあるほど体力を消耗し、休むことを命じる。
今のレンジュの肉体では、本当なら意識を奪い、動くことさえできないくらいの警鐘が鳴り響いているはずだった。事実、歩くたびにこぼれる血塊は、決して少ないとは言えない量と化している。
「よせ! 首魁が逃げたんなら隊長に言って、動ける者全員で捜索に出る! おまえは怪我人と一緒に隊へ戻って安静にしてろ!」
視界が揺れてる自覚があるのかないのか。半分気を失いかけているように、ふらつきながら馬に手を伸ばしたレンジュの先回りをして手綱を引掴み、ハリは怒鳴りつけた。
なんだってこいつは、彼女のことになるとすぐ暴走ばっかりしようとするんだ?
それが愛情によるものだとわかってはいても、自分の命を軽んじるレンジュの行為は、彼を案じるハリにとって腹立たしい。もっともっと言ってやろうと人差し指をつきつけ、口を開けたハリの前で、レンジュはその場に崩折れた。
もはや悲鳴すら、上げられない。
「レンジュ!!」
ハリは目を瞠り、幾度も彼の名を呼んだが、レンジュの目が開くことはなかった。