「オレは他意バリバリで、こんなの作ったのに。アンタはそうじゃないんだ?」
ヘザーが持つバスケットの中には、大量の焼き菓子があった。
修道院時代、バザーの目玉商品として門外不出のレシピで作られていた、クッキーやパウンドケーキやマフィンである。もちろん彼女のお手製だ。
本来は夕食時のデザートとして一品作る予定だったのだが、おひとり様時間を思いがけず大量に獲得したため、興に乗ってあれもこれもと作っていたのだ。
「あ、いや、それは」
「アンタ、甘いもん苦手だろ。だからわざわざ、砂糖の代わりにハチミツ使ったり、甘さ控えめにしたのにな。他意があったから、めっちゃ頑張ったのにな。あーあ」
罪悪感を刺激する声音だが、そうやって責める彼女の頬もほんのり赤らんでいた。
標準装備の根暗顔を倍増で暗くしたクライヴだったが、その紅潮と潤んだ瞳に励まされ、やがて観念した。
「……他意はあった。噓を言ってすまなかった。だから、クッキーを食わせてくれ」
ガラも悪く、ヘザーは舌打ちを一つ。
「最初からそう言えよ。変な見栄、張りやがって」
「勢い
「いや、迷惑に思うクチならそもそも、アンタとココに来てねぇし。ってかチューリップ、めっちゃ可愛いし。普通に感謝しかねぇんだけど?」
胸をそらしつつ、ずい、と彼へバスケットを差し出す。いや、押し付けた。
「それもそう、ですよね……はい」
何故か敬語で答えたクライヴは、ためらいがちにココアクッキーを手に取ると、一口かじった。
「旨いな」
「おう。修道院でみっちり仕込まれたからな」
得意げにほほ笑むヘザーを見つめ、クライヴの表情も緩む。
「よかった。本当に元修道女なのだと、今初めて実感出来た」
「はぁ? どう見ても真面目な美少女シスター様だろうが」
「いいか。寝言は入眠中だけにとどめるように」
「寝言じゃねぇし、
「君はたまに、小難しい言い回しをするんだな」
小馬鹿半分、感心半分といった体のまま、クライヴはもぐもぐとナッツクッキーにも手を伸ばす。旨いという感想は真言であるらしい。
なおも口汚く反論しようか、と臨戦態勢に入るヘザーだったが、視線を束の間キッチンに流した。そこに一時保管してる花束のことを思い出したのか、すぐに肩をすくめる。
「まあ、もういいよ。花の礼にこれ、やる。ただし食べ過ぎんなよ?」
「ありがとう。子供じゃないんだから、それぐらい自制する」
陰気顔を少し明るくして、クライヴはバスケットを両手で受け取った。
しばしほくほく顔でバスケットを見つめていたが、ややあって、
「あのな、ヘザー」
ためらいがちに、そう切り出す。
「なんだよ」
いぶかしげな彼女へ少し身をかがめて、続けた。
「また、花を贈っても問題ないだろうか?」
至近距離での、少し思いつめたような真剣な端正顔からのこの問いかけは、破壊力抜群であった。
ぶわり、とヘザーの顔が真っ赤になる。
「いっ、いちいち訊くなよ! 花瓶に空きがありゃ、受け取るに決まってんだろ!」
「よかった。ありがとう」
けんか腰であるものの、これだけ赤くなれば
内心でそんな彼女を微笑ましく思いつつ、温かな達成感を覚えたクライヴは、ふと自分の机を見た。
そこには一枚のメモがあり、書かれているのはヘザーの、少し荒っぽい直線的な文字だった。
書かれている内容は、明日の十時に依頼人が来るというものだった。
「誰か来たのか?」
メモを取りつつ尋ねると、ああ、とヘザーが顔をあおぎつつ答える。
「来るのは明日。その前に電話かけてくれたから、面会時間も決めといた。絵のことで相談したいんだって」
「絵? 俺に芸術の素養はないぞ」
困惑気味に眉をひそめたクライヴは、わずかに首もひねった。
一方のヘザーは、あっけらかんと笑う。
「ちげぇよ。親戚から形見分けで貰った絵に、幽霊が取り憑いてるっぽいんだとよ」
「……え」
クライヴの声音と顔色と表情が、一気に氷点下まで下がった。
「何故、そんな依頼が……?」
わななく声にも、ヘザーはのんびりした姿勢を崩さない。
「おお。ほら、ココの三階にバーあるじゃん? そこのマスターからアンタの話、聞いたんだって。実家に取り憑いてた悪魔を払ったって話」
クライヴは、声なき悲鳴を上げた。
「俺はそんな話、一切
「だろうな。だからオレが広めといた」
肩をすくめる彼女に、震えるクライヴが詰め寄る。
「なんでっ、広めたの!」
色々キャパオーバーなのか、子供じみた口調になっていた。実際問題、涙目だ。
「アンタも
なんともドライなヘザーのビジネス観に、クライヴの全身が一層強く震えた。
「他にもあるだろう、俺の個性は!」
そんな雇用主の悲痛な叫びを、ヘザーは平常心の極みのような
「オバケぶち殺すよりヤベェ個性が、アンタにあんの?」
「……」
こんな問いをされたら、沈黙以外の回答をひねり出せるはずもない。
ショック死寸前の面持ちで黙りこくった彼の広い肩を、ヘザーは優しくポンと叩いた。
「ほらな、ないだろ? いいじゃん、適材適所で」
「俺は! まだ、幽霊が怖いんだ!」
「実家じゃ悪魔相手に、覚悟ガン決まりで暴れてたじゃん」
「あれはっ……い、命の危機が、あったから、開き直っただけで!」
クライヴは赤くなったり、青くなったりしながら口ごもる。
――言えない。自身の恋心を自覚したから腹をくくれたなど、言えるわけもない。
そんな彼の
ヘザーは満面の笑みで、元気いっぱい朗らかにサムズアップ。
「よし、それじゃあ今回も死にかけようぜ!」
「何も! 一切! よくないんだが!」
地団駄を踏みかねないクライヴであったが、その後は口に突っ込まれたマフィンによって黙らされ、結局明日の予定を覆せず仕舞いとなる。
こうして大層不本意に、霊媒探偵としての彼のキャリアは始まったのであった。