「シャンタル! 病院の検査の結果が出たんだろ?」
ボクはそう言って病院から帰ってきたシャンタルを出迎えた。
本当なら、一緒に行ってやりたがったが人形技師の仕事を、今はいくつか抱えてしまっている。
「……」
シャンタルは暗い顔をして何も言わない。
無理にでも、町医者ではなくこのグランヴィル市で一番大きなメイユール病院へと行かせたのだが、この顔を見る限りあまり良い結果ではないようだ。
「ダメ…… だったのか?」
ボクがそう言うと、シャンタルはゆっくりと俯きながら頷いた。
しばらくシャンタルは黙ったが、やがて、
「お手上げだって…… どうしょうもないって…… そもそも人の体がガラス化すること自体、お医者様は信じられないってさ」
と、消え入りそうな声でそういった。
「そんな…… メイユール病院でも……」
この市でもっとも大きな病院でもそう診断されたことで、シャンタルのほうも精神的に参ってしまっているのかもしれない。
一縷の望みで大きな病院へ行かせてみたが、今思うと失敗だったかもしれない。
「もういいよ」
と、シャンタルは顔を上げ無理に笑顔を作りそう言った。
「良くないだろ? 諦めないでくれ……」
諦めて欲しくない。
ボクは、キミに生きていて欲しいんだ。
だが、シャンタルは既に諦めてしまったかのように、
「そんなことよりも、一緒にいて、ね? だって、治らないんだよ。この病気に罹った人は老若男女問わず、皆、死んじゃうんだよ。死ぬまで一緒にいてくれるって約束したでしょう?」
と、少し不安そうに、消え入りそうな声でそういった。
シャンタルは…… 既に覚悟が決まっていて二人の時間を大事にしたいと、そう考えているのかもしれない。
本当にヴィトリフィエ病が治らないというのなら、確かにそうなのかもしれない。
けど、ボクはまだ治療を諦めたわけじゃない。
シャンタル、キミをそんな簡単にあきらめることなんてできないんだ。
「ああ、それはもちろんだよ。でも、ボクはキミに、生きて欲しんだよ」
シャンタルの目を見てそのことを告げる。
けど、
「私はもう諦めてる…… この病気のいいところは神経が先にガラス化していくから痛みがないことだよ。段々体の感覚がゆっくり失っていくんだよ。最後は眠るように、苦しまずに死ねるんだってさ」
と、シャンタルはヴィトリフィエ病のことを教えてくれる。
そんな病気なのか、自分でも調べたがどれも眉唾物の噂話しか聞けなかった。
「神経がガラス化って…… それは動けるものなのか? いや、逆に動いて大丈夫なのか?」
神経がガラス化するなんて、どういう病なんだ。
奇病と言われるだけのことはある。
けど、そんなことになるなら、まともに動けなさそうだけども?
「とりあえず痛みはないよ。右手の感覚も、もうだいぶないけどね。今のところはまだ右手も動くよ。結晶部分は増えちゃったけども……」
結晶部分が増えた?
あの痛々しい二の腕以外にも?
それに、シャンタルの右手の感覚はもうない…… のか?
だから、よりヴィトリフィエ病を実感してしまっているのか?
「二の腕以外にもあの結晶が?」
「右手の肘のあたりにもでき始めた……」
シャンタルはそう言って左手で右肘のあたりを抑えた。
「見ても……?」
悪いとは思いつつも興味本位でボクは聞いてしまう。
ボクがそれを見て何かできるわけではないが、それでも見ておきたいと強く思ってしまう。
「良いけど…… ちょっとメトレスに見らるのはちょっと嫌だな」
そう言ってシャンタルは顔をそむけた。
「どうして?」
と、聞き返しつつ、ボクは自分が如何に無神経な男だと理解していた。
きっとシャンタル自身、それを気持ち悪いと思っているのかもしれない。
ただ、痛々しいとは思えるけど、それでボクがシャンタルを気持ち悪がったりなんて思うわけはない。
「あんまり綺麗ちゃないし、気味が悪いもの……」
シャンタルは顔をそむけたまま、バツが悪そうに言った。
「そんなことないよ」
そんなことはない。
例え、キミがすべてガラスになっても、ボクがキミを嫌う理由にはならない。
ボクは何があっても、キミを諦めたりするわけない。
そんなことはボクにはできない。
「なら…… いいけど……」
まっすぐにシャンタルの目を見ながらそう言うと、シャンタルは恥ずかしそうに服の袖をめくった。
前に見たときよりも結晶の色が濃く色鮮やかになっている。
生えている結晶は、まだ完全には肘にはかかっていない。
だから、シャンタルの肘もまだ動くのかもしれない。
「色味が増している?」
シャンタルの肘の辺りから生えている結晶は以前見せてもらった時よりも、明らかに色濃く鮮やかになっている。
それにしても、確かに痛々しい。
生きた人間から結晶が生えているその姿は非常に痛々しい。
なのに、ボクはどこか、その結晶が美しいとさえ思えてしまった。
普段から人形という人型の無機物に触れているからだろうか。
ボクにはそれが美しいと、そう思えてしまった。
それこそ、見惚れるほどに。
「最終的には半透明の深い緑になるんだって、宝石みたいよね。そうなるんだってさ。本当に宝石なら良かったのに」
どこか…… 自分が普段仕事で加工しているネールガラスのようだ。
そんなことをボクは不謹慎と分かりながらも思ってしまう。
「エメラルドみたいな?」
まず翡翠が思いついたけど、あの石は透明ではない。
「さあ? 私は本物のエメラルドなんて見たことないもの。お医者様がそう言ってたよ」
「……」
シャンタルの話を上の空で聞いてボクは、シャンタルから生えている結晶に見惚れていた。
やはり、この結晶は美しい。
緑がかった透明な水晶はどこか幻想的で、柔らかい彼女の肉から生えているのが信じられない。
「なに? じっと見て……」
と、ボクがあまりにも凝視しすぎていたせいだろうか、シャンタルは不思議そうに聞き返してきた。
「いや、確かに宝石みたいだなって……」
確かに岩から飛び出た宝石の原石、そんな感じもする。
それよりは透明で澄んでいて、既に磨かれた宝石のような。
それがシャンタルの柔らかい皮膚から生えているのは、何とも言えない神秘をボクに感じさせる。
「本当?」
シャンタルは宝石と言われたことが嬉しかったのか、笑顔でそう聞き返してきた。
強がりの笑顔ではない。
いつもの、心からのシャンタルの笑顔だ。
「ああ、とても綺麗だよ。少し痛々しいけどね」
ボクは思ったことを言葉にする。
たしかに痛々しいけど、とても綺麗で神秘的だ。
その言葉は嘘なんかじゃない。ボクの本心だよ。
「ありがとう…… でいいのかな? 後、この病気はうつらないらしいけど、あんまり触らないで。万が一があったら……」
そう言われたボクはそれも悪くない、そう思えた。
死後もガラス化が進むというヴィトリフィエ病。
なら、キミの隣で眠れたら、、ボクはキミと、それこそ永遠に一つになれるかもしれない。
「キミが死んだらボクは生きている意味はないよ、ボクも……」
それにそうだ。
シャンタル、キミが死んでしまったらボクに生きる価値も意味もない。
ないんだ。
「それはダメよ。聖サクレ教では自殺は厳禁よ? 私の分まで生きてね?」
そう言えば、シャンタルは聖サクレ教の熱心な信者だったね。
自殺はダメか。
そうか……
「そんなこと言わないでくれ。ボクはキミと違って、そこまで熱心な聖サクレ教徒ではないよ」
ボクも信徒は信徒だよ。この国の国教だからね。
少しは信じているさ。
でも、神がいるなら、なんでシャンタルにそんな試練を課した?
彼女が何か悪いことをしたとでもいうのか?
それこそが、神がいない証明じゃないか。
「私は教会のおかげで市庁の職員になれたようなものだから」
早くに両親を亡くしたシャンタルは教会の世話になることが多かったんだっけ。
そして、教会の伝で市庁の職員にもなれた。
彼女が教会を信じるのは当たり前だ。
だが、その仕事も彼女は辞めなければならない。
「仕事は? いつまで?」
「明後日まで。明日、送別会を開いてくれるけど、本当にお別れだからね」
シャンタルは悲しそうに笑いながら言った。
彼女が市庁の職員になれた時、ものすごく喜んでいたのをボクは思い出す。
あんまりにも彼女が喜ぶから、ボクも自分のことのように嬉しくなってしまったっけ。
「頼むから、そんなこと、言わないでくれ……」
「なら、メトレスも死ぬだなんて言わないで? 私の代わりに長生きしてね? 約束よ?」
そう言ってシャンタルはじっとボクを見つめる。
藍色の瞳で、ボクを見続ける。
「わかった、わかったから……」
ボクは訳も分からなく泣いてしまった。
涙が溢れ出て止まらなかった。
ボクはシャンタルを失うのが怖い。
「あなたが泣かないでよ」
シャンタルは少し困ったように、でも、なぜか嬉しそうに笑いながらそう言った。