リリ・バーラント相手に恥ずかしい告白をした日の夜、オレは改めてリリに手紙を書いて本人から聞いた住所に遣いを出した。
ノクト家の信頼の置ける使用人で、確か元平民の男だ。
貴族の男は彼女の家族に余計な警戒心を抱かせてしまうかもしれないので最初は女性の方がいいかもしれないと思ったけれど、夜に女性を一人で遣いに出すのは非常識だろうからやめた。
手紙の内容は簡単で、「学校に休学届を出す」ことと、その休学届けを「家族にノクト家の侍女になる事にしたため」と言い訳を付けること。
それから、侍女になる理由に「最低一年程度はエリスと共に勉強旅行に行くため」という事にして許可をもらうようにして欲しいと書いた。
エリスは奨学生らしいが休学をすれば奨学金は停止されてしまうので、最後の一年は当然ノクト家が学費をもつことにする。
そして、旅行中の諸費用もまたノクト家が負担し、侍女としてエリスに仕えている間の給金は勿論支払うこととした。
勉強旅行は、留学と同義だ。
普通は家を継ぐ予定のある嫡男嫡女が他国の事を知るために数ヶ月の勉強旅行や数年間の留学に出る事もあるというが、多分侍女を連れて卒業後に勉強旅行に出る貴族令嬢は異例だろう。
だから一応、リリには家族に「エリスがリリの頭の良さに感銘を受けた」という事にしてもらっている。
勿論それは間違いではないし、ダミアンを負かしたのはスカッとした、とも。
まぁそれは表向きの、彼女の家族向けの手紙だ。
実際にはダミアンがリリへの怒りを収めるために一年ほど逃げるということ、そして同じ理由で王都を離れるエリスが彼女を庇護しようと思っていると、リリには話してある。
本来はエリスがすべきことではないけれどリリは魔女かもしれないし、そうではないかもしれないのだ。
ダミアンが元婚約者だからというのもあるが、何よりもリリの安全を守ってやりたくてこういう理由付けをした。
折角の奨学金を失う事になるのだからリリの両親は承知しないかもしれないとは思ったが、ダミアンに目をつけられたままではどのみちリリは真っ当に学校に通い続ける事はできないだろう。
ダミアンは今年卒業するが、ダミアンの腰巾着の中の何人かはまだ学院には居るのだ。
リリがこちらの申し出を蹴って学院に残ったとしても、腰巾着どもが居る限りは安心なんか出来ない。
リリはきっとその危険性を理解しているだろう。
あとは、彼女の両親が少しでも受け入れやすくする口実作りでしかない。
そんな理由を考えてくれたのは、実はアレンシール兄様だ。
どうやってリリを連れ出せばいいかと悩んで彼に相談をした時に「それならこうしよう」とスラスラと決めてくれたのには本当に助かった。
流石は貴族家の長男様だ……彼が事情を知ってくれている事をひたすら神に感謝する。
幸いにしてリリはオレの提案を受け入れてくれた。
最初に「一緒に行こう」と言った時には戸惑っていたようだったけれど、ダミアンについては思う所もあったのか「ダミアンがターゲットを外すまで」という約束で受け入れてくれたのは幸いだった。
実際にリリが魔女かそうでないかは、後で考えればいい。
あの夢の段階ではリリはまだ「魔女疑い」でしかない状態だから、決定づけて考えない方がいいような気がする。
彼女が魔女であればこのままエリスに魔女の手ほどきを受ければいいし、そうでないならエリスの侍女として一時避難をさせればいい。
一年でダミアンが落ち着くかはわからないが、流石に婚約破棄をしてまでくっついた愛しの男爵令嬢と結婚をすればどんな馬鹿でも落ち着いてくれるだろう。
もしも落ち着かなかったら、王都からは格落ちするがどこか別のアカデミーに転校をする手伝いをしてやればいい。
ダミアンの尻拭いは業腹だが、リリのためにこのくらいはしてやりたかった。
もしも彼女が魔女として覚醒し、学院に戻らないのならばそれはそれでいい。
その時には、エリスの弟子として沢山の魔術を教え、自衛が出来るように手解きをしてやるだけのことだ。
リリのためには魔女でない方がいいのかもしれないが、オレとしては正直どっちでもいいと思っていた。
あの夢が当たらなければそれでいい。
リリやアレンシールが生きていてくれさえすれば、オレにはもう他の事はどうでもいいのだ。
問題は、いつ、どのようにして王都を出るか、だ。
「父上と母上に知られれば二人に止められてしまうかもしれないからね。人が入り乱れている時がいいだろう」
「人が、入り乱れている時?」
「卒業式さ」
朝になってフラウに支度を手伝ってもらってからアレンシールの所でコソコソと作戦会議をしていると、アレンシールがにっこり笑顔でちょっと威圧感のある事を言った。
父上と母上という人とはまだ遭遇したことはないが、アレンシールが「止められてしまうかも」と判断をしているならばきっとそうなのだろう。
フラウが言うには「婚約破棄の際には二人揃ってレンバス家に直接出向いて抗議した」というから、きっとエリスにとってはいい両親であることには間違いないが、それでも旅立ちを止められるのはちょっと困る。
愛されているからこそ止めるのかもしれないけれど、今のオレの目的は「赤い月の7日の惨劇を止めること」だ。
この王都に留め置かれてしまったら、リリやアレンシールと共に同じ悲劇を繰り返してしまう可能性が高い。
アレを回避するためには、とにかくダミアンから逃げることが重要なのだと、オレは思っていた。
魔女の首魁であるエリスであればもしかしたら7日になる前にダミアンを殺せるかもしれない、なんて思ったりもしたけれど、そんなの今までのエリスが絶対に試しているだろう。
試した上で駄目だったから、エリスはオレの力を必要としたのだ。
オレと、エリスの未来のために。
「卒業式に出ない、という事ですか?」
「そうだよ。父上と母上も式には参列するだろうからね。君は学校に行ってリリさんと一緒に式の前に抜け出しておくれ。私はその間にリリさんのご両親に挨拶をして、王都を出た所に馬車を用意させておくから」
「……兄様も巻き込むなんて」
「どちらにせよ王都に残れば私も危ないかもしれないんだ。それなら可愛い妹といっしょに居たほうがいいじゃないか」
「それは、そうなのですけど」
「これでも剣はジークレインに教わってきているんだよ。足手まといにはならないつもりだ」
にっこりと、美しいながらも有無を言わさぬ微笑みを浮かべるアレンシールに、オレは何かを言うことをやめた。
アレンシールの言う事は間違いじゃない。
オレの夢に出てきた中で彼だけここに残せば、対エリスの人質として使われる可能性だってあるのだ。
身体が弱いという彼の事は正直心配ではあるけれど、この世界で女二人旅をするより男性が居る方がいいのは間違いない。
何より、オレはこの世界にあまり詳しくはないのだ。
多分、王都を出たことがない平民のリリも同じはずだから、少しでも世界に詳しい人は居るべきだ。
もしかしたら殺されてしまうかもしれない彼の身を案じてやきもきしているよりも、近くに置いておく方がずっと安心出来るというのもある。
「お兄様……本当にごめんなさい」
「君が謝ることじゃないんだよ、エリス」
ぎゅうと抱きしめてくれる腕の温かさが、とても嬉しい。
思い返せばオレは今までこんな風に抱きしめてもらった事なんてほとんどなかったんじゃないかと思う。
幼稚園受験から始まった受験戦争で、両親はいつだってオレに厳しかった。親の言う事を聞いていればいい学校に入れる、いい学校に入ればいい仕事にも就けるし絶対幸せになれると、そう断言していた両親は本当にそれを疑っていなかったみたいで。
両親にしてみれば親の期待を裏切った出来損ないの息子かもしれないけれど、そこに至るまでだってどんなに頑張っても抱っこも抱擁もしてくれなかったように思う。
弟にはしていたかどうかはわからないが、兄弟喧嘩をした時にはいつもオレが怒られていたから弟という立場は少なからず兄よりも強かったのは間違いない。
悔しいなぁ、と思うけれど、今はもうどうでもいい。
オレにとって大事なのはこの世界で生き抜く事で、この兄と、リリを生かす事だ。
この世界のこととかは結構どうでもよくて、とにかく二人のことだけを考えて生きていたいと思う。
今のオレには、それが精一杯の「出来ること」だった。