「もう一度おっしゃって? ヘイミン、という名前の方が今ここにいらっしゃるの?」
にっこりと微笑みながら明らかに貴族の令嬢と思われる女子たちを見渡せば、令嬢たちはコソコソとなにかを言いながら一歩身を引いた。
エリスは侯爵家第一位の家系。
そして第二位はダミアンの家で彼には女兄弟は居ないはずだからここに居る令嬢たちはみんなそれ以下の家系の子たちなわけだ。
髪もサラサラお肌もすべすべの明らかに愛されて育っているそんな令嬢たちが、まさか自分よりも上の家格のエリスに反論出来るわけもないだろう。
いやーなんていうか、なんていうか、現代日本ではまずありえない家のレベルっていうのはこういう世界では滅茶苦茶に効いてくるものなんだなとちょっと自分でも浮かれているのがわかる。
日本ではまず平民だとか貴族だとか、そういうのが有り得ない。
たまにエリートの家系だとか旧華族がどうのとかそういうのを気にする人は居るし、ウチの両親みたいな学歴第一の親だって勿論居るけれど、この世界では何よりも家格が大事なんだなと実感する。
令嬢たちは水を打ったように静まり返り、頭も俯いたまま上げようともしない。
たった一言口を挟んだだけでこれなんだから、口喧嘩になんかなりようもないだろう。
漫画やなんかにある上の家格の悪役令嬢に反論する令嬢というのは、どうやらこの世界には居ないらしい。
少なくともここには、だけども。
「エ、エリアスティール様! わたくしたちは、その、バーラントさんに指導を……」
「指導? ドレスがないからと罵倒するのが指導ですの?」
「罵倒だなんて……」
「そんなつもりは……」
「そもそも、卒業式のドレス文化は貴族が勝手に始めたもの。本来は制服での参加が推奨されているのです。それをお忘れ?」
なんでフラウがアカデミーに行くときに扇子を渡してきたんだろうかと思っていたけれど、こういう時に開いて威圧するためのものだったのか。
なんて、バサッと扇子を開きながら思う。
扇子は、これ一本でもそこそこのお値段がするのは間違いないだろう一品だ。
日本でも高級な扇子には香りがついていたり手触りが違ったりしたが、これは布の面からまず違う。
ふらっと軽い力で仰いでも風がたっぷり送られてくるのは勿論、その香りもまたいい香りなのだ。
色は一見すれば派手派手しく見えるものの、布の面のツヤのないシックな雰囲気とエリスとの親和性もあって全然どぎつく見えない。
でも装飾はたっぷりついてて女の子らしさもあって、その扇子を仰ぐと令嬢たちがたじろぐのがわかる。
あの子の髪についているアクセサリーとこの扇子なら、一体どっちが高いんだろうか。
あの宝石はくすんでいてどうにも高く見えないし、多分この扇子の方が高い、と思う。
だって持ち手に宝石ついてるし、角度を変えるとキラキラ光るし。
見せびらかすために仰いでるわけじゃないけど、これだけ似合うんだから多分エリスは日常的にこれを持ち歩いていたんだろうなと何となく分かる。
なんでなのかはちょっとわからないけど、確か中世ヨーロッパが舞台の映画でもレディたちが扇子を持ち歩いたりしていたからきっとそういうもんなんだろう。
何より、似合うし。
「わたくしたち貴族はこの国のすべての民の上に立ち、庇護する事で今の地位にいるのです。皆様、それをお忘れなく」
「……はい」
「はい、エリアスティール様……」
「申し訳御座いません……」
扇子をひらひらしながら少し待っても頭を上げられる事はなさそうだったので「この話はもうおしまい」と言葉を切れば、令嬢たちがぽそりぽそりと謝罪をしてくるのが違和感だった。
彼女たちが謝っているのは、今エリスの後ろでオロオロしている少女に向けてじゃない。
あくまでも目上の存在であるエリスに謝罪をしているのだと思うと「貴族ってどうしてこうなんだ」ってついつい思わずにはいられない。
中央に立っている令嬢に至ってはスカートをぎゅっと握りしめた手がプルプルしていて、明らかに悔しい様子。
彼女が誰で、家格がどのくらいかは知らないけれど、どうやら彼女は納得をしていないんだろう。
でもこの場では自分が不利だとわかっているから反撃をしてこないだけで、きっと内心ではこちらを罵倒しているに違いない。
これはもう、オレがエリスになっていなかったら絶対に関わりたく無いタイプの騒動だ。
オレは彼女たちに軽く手をひらりとしてやってから、後ろで待っていた少女の手を引いてこの場を去った。
正直、これ以上関わるのが嫌だったから逃げたのだと言われても仕方がない逃げ方だ。
だって嫌だったんだもん。
もしあの中央の女の子が泣いたり騒いだりしたら絶対に今よりも厄介な事になるに決まっているし、ただリリ・バーラントを探すためだけにここに来たオレには無駄な時間過ぎる。
卒業を前に変な噂をひっかぶるのも嫌だ。
ここは相手がおとなしい間にこの場を去るのが最適解。
そそくさと中庭を出て、少しでも人気のない所を探して歩く。
あの女子たちに追いかけられてはたまったもんじゃない。
「あ、あの……」
「はいっ」
「あ、すみません……エリアスティール……ノクト侯爵令嬢」
「あ、はい……」
我ながらなんて間抜けな返事だろうか。
歩くことに必死になっていたオレは、不意に後ろからかけられた声に上手く反応が出来ずにまごまごと返事をしてしまった。
さっきのがエリスなら、今はナオだ。
恥ずかしい。
そもそもオレは今まで彼女以外の女の子とあまり会話らしい会話をしてきていないから、よくもまぁあんな風に女子たちの前で大見得を切れたなと自分で思ってしまう。
アレはエリスだったからだ。
今更、自分に言い聞かせて心臓を落ち着ける。
「あの……ありがとうございました! エリアスティール様のような方に、あんな風に言って頂けるなんて……」
「い、いえ。いいのよ。だって、さっきのは酷かったもの」
「エリアスティール様……」
キラキラとした目が、痛い。
さっきあの令嬢たちの中から君を救い出したのはオレじゃなくてエリスなんだ、と言ってやりたいけれど、きっと言った所で混乱させてしまうだろうから勿論言葉にはしない。
オレに向けられている緑色の瞳が輝いていて、なんだかとても綺麗で、エリスとは違う素朴な可愛らしさのその少女にちょっとだけ胸がドキッとするのは止められなかった。
さっきの貴族令嬢たちとは明らかに違う可愛さだ。
可憐、と言うのが正しいのだろうか。
まだ少し幼さは残っているその顔にはエリスのような大人の美しさはないけれど、明らかにこれから美しくなる片鱗が見える。
「あなた……リリ・バーラントさんでよろしかったかしら」
「わ、私のことをご存知なんですか?」
「えぇ。わたくし、あなたを探していましたの」
にっこりと微笑みつつ頷くと、リリはポッと頬を赤らめて俯く。
可愛いな。
こんな素直な反応をされたら、日本に居た頃のオレなら何かを勘違いしてしまいそうだ。
なんて考えていたオレは、しかしすぐにハッとして黙り込んだ。
――これ、何て言えばいいんだ?
君に魔女の見込みがあるかもしれないから探してましたー、なんて、素直に言うのか?
明らかに変人だろう、それじゃあ。
でも、じゃあ何で彼女を探していたのかって話になる。
正直に「今すぐ私と逃げましょう」なんて言うわけにもいかないし……でも、それなら一体なんで探してたんだ? って話で。
ど、どうしよう。
「エリアスティール様?」
「えぇと、ごめんなさい……あの、あなた、ダミアン・レンバスに目を付けられているって本当かしら?」
「あっ……」
当たり障りのない事、当たり障りのない事、と考えつつぽろっとこぼした言葉は、どうやら彼女にはクリティカルな話題であったらしくリリの表情が強張ってさっきとは違う俯き方をしてしまう。
やらかした。
平民の女の子が侯爵家の嫡男に目をつけられているとなったら怖いのは当然なのに、なんてデリカシーのない聞き方をしちまったんだろうか。
あー、なんて思ってももう遅い。
オレは、一つ咳払いをするとビクッと震えるリリの肩にソッと手を置いた。
「バーラントさん。わたくし、あなたを助けたいの」
「たす……け……?」
「あの男は今少しおかしいの。このまま放置しておけば、あなたの身が危ないかもしれない」
「それは……どういう」
「……卒業式の日、あの男が何かを企んでいるかもしれないという情報を得たの。あなたは、それに巻き込まれてしまうかもしれないわ」
ターゲットは、きっとわたくし。
すべてを話す事はせず、けれどすべてを隠すこともせず。
それでもハッキリと断言すれば、リリの表情は強張ったまま理解の色を帯びた。
リリはきっと、エリスとダミアンの関係の破綻を聞いていたのだろう。
そうじゃなければ、「何故婚約者のあなたが?」とかそれに類する言葉が出てきたはずだ。
その言葉がないという事は、リリはエリスとダミアンの婚約破棄を知っているということ。
全く恥ずかしい。
たった数日でこんな子まで知っているだなんて、ダミアンが婚約破棄を吹聴して回ったんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
リリの緑色の瞳は一瞬涙で潤んだように見えたけれど、真っ直ぐにエリスに向けられてしっかりとこちらを見返している。
唇を噛み締めて、まるでエリスの婚約破棄を彼女が怒っているかのような、そんな表情。
その瞳からはエリスの言葉をしっかりと聞こうという意思も感じ取れて、なんだか不思議だった。
エリスは【魔女】だ。
だから、何となくリリの感情を汲み取れているのかもしれない。
エリスの能力がどういうものであるのかはオレはまだハッキリとはわかっていないけれど、でも、何となくそんな感じがして彼女の凄さを改めて思い知る。
魔女の首魁。
その言葉の意味する所を理解しきる事はまだ出来ていない。
でも、こうしてエリアスティールとして過ごしているだけで滲み出るものなのだろう。
と考えると、よくもまぁ今まで隠し通せてきたなって感じだ。
これ以上オレが学園生活を続けたらきっとボロを出してしまったに違いない。もうすぐ卒業で良かった。
「バーラントさん。もしあなたがよろしければ、少しの間わたくしと逃避行でもいかがかしら?」
だからってこの誘い方はないだろうとは思う。
思うけども、他に最適な言葉を見つける事は今のオレにはどうにも難しかった。