第4話 死と懺悔

 いつものように見舞いに訪れると、晴希の病室前が騒然としていた。看護師が何人か出入口を囲んでいて、中を見守っていた。やがて、白衣を着た男性――医師が出てきた。病室から男女の慟哭が聞こえてくる。晴希の両親の声だ。

「後はよろしく」

 看護師に声を掛けた医師が壮真の脇を通り過ぎていく。その顔に特別な感情は見られなかった。

「……………………」

 流石に、何が起きたのかを理解した。信じられないとか、嘘だ、とか、そんな言葉も浮かんでこない。思考は完全に停止していた。頭が真っ白になるというのはこういうことなのだろう。

 桜ヶ丘実業高校の制服を着て、よれたスクールバッグを提げた少年は、廊下に立ち尽くしていた。

「壮真君?」

 呆然としていると、背後から女性の声がした。ブリーチした上にピンクブラウンを乗せた長い髪をして、スタイルの良い体を膝丈のスカートスーツで包んでいる。晴希の姉の紗希さきだ。

 常に自信に満ちた表情をしている彼女が、今日は目を伏せている。

「紗希さん……学校は」

 放課後とはいえ、仕事は終わっていなかっただろう。もう察している、訊くまでもない質問をしてしまった。

「ちょっと、呼び出されてね……駄目だったみたいね」

 病室から、晴希の両親が出てきた。泣き続けている二人に、壮真は目礼をした。紗希は彼等と一緒に病室を離れて行く。

 一人残った壮真は、片付けをしている看護師に声を掛けた。

「あの……」

「藤原君……彼に会っていく?」

「はい……」

 半年間訪れていた為に、看護師にも顔と名前を覚えられていた。中に入ると、数多のコードや管を抜かれた、すっきりとした状態の晴希が寝ていた。毎日見ていた時と寸分変わらない顔で――否。

 寝顔の『表情』は何一つ違わない。

 けれど、明らかに何かが違っていた。

         何か、抜けている。

         何が――

(魂だ)

 直感みたいなものだった。ただ、そう“感じた”。

         魂が、抜けている。

(だったら、今までは……)

 涙が溢れてくる。

 彼は――晴希は、確かに其処に居たのだ。其の器の中に、留まっていたのだ。

「晴希……お前、聴こえてたのか? 俺の声、聴こえてたのか? いつか目覚めた時に、また一緒に学校に行こうって……受験に困らないように授業を……」

 提げていたバッグが床に落ちる。すとんと膝を曲げ、座り込む。体から力が抜けた。

 話し掛けても、無駄だ。彼はもう、“此処”には居ないのだ。

「どう思って聴いてたんだ……? 俺の話を、どう思って……こうなる原因を作った俺の話を……」

「……今、何て……?」

 病室の出入口から声がした。紗希が、赤く塗った唇を震わせている。

「原因を作った……? 晴希が死んだのは、壮真君の所為なの……?」

 覚束ない足取りで、彼女は病室に入ってきた。晴希の顔に痛ましい目を送り、壮真に向き直る。

「壮真君は、何をしたの……?」

 答えられなかった。だらりと床に付けていた両手を、強く握る。

「晴希を、殺したの……?」

 紗希の職業は教師だ。学校は異なっているが、彼女は壮真には教師然とした態度を崩さなかった。一定の距離感を崩さなかった。だが、今はその全てを取り払っていた。

「答えて!!」

「俺は……」

 声が掠れる。話すしかないと思った。これ以上は逃げられなかった。

(逃げられない……?)

 ああそうか、と気付いた。自分はずっと逃げていたのだ。もしかしたら、晴希に毎日会いに来ていたのも。日々の出来事や授業内容を話して聴かせていたのも。目が覚めた後の夢を語っていたのも。

 逃げていただけなのかもしれない。

 話すしかない、ではないのだ。

 初めから、話すべきだった。

「俺は……俺が、晴希にボールをぶつけて……それで、よろけて……」

 看護師達が、ストレッチャ―を運んできた。邪魔にならないように、壮真はよろよろと病室を出た。紗希が無言で付いてくる。

 廊下で足を止め、振り向く。彼女に、頭を下げる。

「ごめんなさい……」

 相手は、こちらを直視しようとしなかった。横を通り、壮真から離れていく。


 葬儀の場所は、サッカー部の監督が教えてくれた。事故直後に退部届を出していた壮真を、未だに部員として扱ってくれていたのだ。

「あれは藤原の所為じゃない。お前の目標を無視して、チームの駒として使おうとした俺が悪かった。お前は気に病まなくていい」

 この時に初めて、監督の後悔を知った。葬儀場に行くと、参列者の対応をしていた晴希の父親に先を阻まれた。

「おじさん……」

「どの面下げてここに来た? 今日も、これまでも……よく私達に顔を見せられたな?」

 彼の目には、強い怒りと憎しみが宿っていた。

「中に入れるわけにはいかん。帰ってくれ」

 離れた場所で、晴希の母親がこちらを見て泣いている。返す言葉は無く、壮真は帰るしかなかった。

 それから一カ月半が経過し、納骨を終えた松浦家の墓を参るようになった。それ以外に、償う方法が思いつかなかった。

 もし霊というものがいるのなら。

 晴希はどう思っているだろうか。

 会いたくないから来るな、と憤っているだろうか――


  □■□■


「お前の学校から行けるのか? その……キオク図書館……とかいう場所に……」

「ああ、屋上から行ける」

 喫茶店を出て前を歩く慧が、振り返ることなく答える。全てを話した壮真に、彼は死者の想いを知る方法があると言った。人の生涯が記録された本が所蔵された、別次元にある図書館――キオク図書館に行けば良いと――そうして、そこの『管理者』とやらに連絡したのだ。

 非現実的で、空想としか思えない話だ。

 だが、壮真には一つの後悔があった。慧とは中学まで同じ学校で、関わりは殆ど持ったことが無い。しかし、小学校の時に彼は妙な訴えをしていた。

「お前、子供の頃、人に近付くと体が痛いとか言ってたな」

「……覚えてるのか」

「あれは、本当だったのか?」

「…………」

 慧は何も答えなかったが、沈黙を暫く続けた後に「ああ」と言った。

「そうか……」

 それが、壮真の後悔だった。人の感情を痛みとして受け取るという体質が真実だったのなら。

「お前の言葉を信じて会いに行ってたら、晴希の感情が読み取れてたかもしれないんだよな……」

「……どうだろうな」

 墓地で再会した時から、慧の態度はどこか硬く、そっけなかった。だが、思っていたよりは話しやすい印象がある。

「俺は喜怒哀楽の『喜』と『楽』は感じられない。分かるのはマイナスの感情だけだ」

「だから、その能力で……」

「松浦が『負』を抱いていなかったら、何も感じない。だが、それで藤原の声が届いていたのか、聞こえていなかったかの判断は出来ない。でも、まあ……届いていたなら、悪く思っていなかったという証明には成るか」

「……お前は、晴希が俺の見舞いを歓迎してたと……そう考えてるのか?」

 慧は何も答えない。無言のまま歩き、そして立ち止まった。

「……?」

 前方に、高校生くらいの少女が立っている。何かの店のショーウィンドウを見詰めているようだ。

 看板に『神谷ドール』とある。そういえば、あの喫茶店は近所だと言っていた。

 ここが、慧の家なのだ。