「クナル!」
「マサ? どうした?」
「治療、したい。報告の邪魔しないから」
目を丸くするクナルは困った様子でいる。困らせるなんて本当はしたくない。でも、不安は広がっていく。もう、大丈夫なんて根拠のない事で誰かを失うなんて、嫌なんだ。
「マサも入っていいぞ」
「え?」
扉が突然開いて、中からデレクがヌッと出てくる。ニッと笑った彼はクナルと俺を中に入れてくれて、ソファーに座らせてくれた。
「クナル、報告は後でもいいから治療先にしろよ。魔物の傷は舐めてると怖いって分かってるだろ」
呆れ顔のデレクが側に来て、徐にクナルの服を脱がしていく。それはもうテキパキと、だがまったくもって色気とかはなくて追い剥ぎみたいに上着を脱がせてはポイ。中の服を脱がせてはポイだ。クナルの方が「ぎゃぁぁ!」と言って抵抗している。
なんだろう、この光景。一気に緊張感が……。
なんて思っていた俺は上半身裸にされたクナルを見てゾクリと背中が寒くなった。
傷を負ったのは左上腕だった。でもあのモヤはそこから更に広がって彼の肩に纏わり付いていた。それが染みついていきそうだったんだ。
「大した傷じゃないんですよ」
「それにしては深く貰ってるだろ」
「庇ったせいで爪でひっかけられたんだ。痛みも引けてるから平気だ」
「平気じゃない!」
駆け寄って肩にタオルを掛けてその上から聖水をかけていく。それでもモヤが完全には取れない。ゆらゆらっと上に上がっていくけれど、また新しいのが傷から出てきてしまう。
「マサ? 肩はなんでもないぞ?」
「でも、黒いものがこびり付いて」
「黒いものだ?」
もしかして、見えていない?
デレクまで怪訝な顔をしている。二人とも分かっていないんだ。
「……リデル呼んでくる。クナル、お前少し横になれ。マサ、頼むぞ」
俺の焦りようが伝わったのか、デレクが出ていって室内が静かになる。俺はワタワタしながらクナルを横に寝かせて、残っている聖水を傷口にかけた。まだ、赤黒いものが出てくる。
「いや、大丈夫だから」
「大丈夫じゃない! こんな……血も止まってないし」
「騎士なんてやってればこのくらいの傷は日常だって」
「だからって!」
確かに料理をしていれば最初は指を切ったり火傷したりする。慣れてきて、あまり焦らなくなる。これが騎士であるクナルの慣れなんだとしても、俺は見過ごせない。
手を、ギュッと握った。傷ついた方の指先が冷たくなってる気がする。温めるようにして包んだら、クナルは目尻を下げて笑った。
「あんた、温かいな」
「クナルの指が冷たい」
「血が足んないんだろうよ」
笑って、ちょっと落ち着いてきたクナルは静かになる。そこでリデルが来てくれた。
「侵蝕が深いようですね。クナル、聖水飲んで入院です」
改めて治療をした結果、リデルはそう診断を下した。直ぐに聖水を飲まされ、今は少しぐったりしている。診察中に熱が上がったんだ。
「マサが見ていた黒いのは瘴気かもな」
「え?」
瘴気って、昨日説明された?
「聖女召喚に巻き込まれたお前にも、何かしらのスキルや能力があるんだろう。瘴気を視覚で捕らえられるのは凄いな」
「あの、クナルは大丈夫ですよね?」
隣に立つデレクを見ると、彼はなんとも言えない顔をした。
「大丈夫だとは思うけどな。侮れんのがこの瘴気だ。魔物の傷には大抵あるが、深くなけりゃ聖水とかで払える。が、稀に傷が浅くても侵蝕が深くて体の内側から犯されていく場合がある。そうなると厄介なんだよ」
「どう……」
「……最悪、死ぬんだ」
「っ!」
『死』という言葉に、俺の心臓は痛くなった。
目の前のクナルはさっきの元気もなくなってきて、ぐったりしている。このまま死んでしまったら?
「いや、だ」
怖くなった俺は飛び出すようにクナルの手を握った。冷たく感じる手が弱く俺の手を握る。
「んな顔するなよ、マサ。少し休めば大丈夫だって」
「でも!」
大丈夫じゃないときだってある。本人も分からないまま、突然だってある。どうすることもできないまま大事な人がいなくなってしまうなんて、ある事なんだ。
嫌だ、どうして。助けて。
手を握ったまま俺はそこに額を押し当てて祈った。同時に、自分の無力さが悔しい。料理が作れても、掃除ができてもこんな時、目の前の人を助ける力がない。また、ただ見ているだけなのか。何もできないまま、失うばかりなのか?
助ける力が欲しい。失わない力が欲しい。クナルを、助けたい。
泣きそうな気持ちでただその思いだけが溢れそうになった、その時だった。
握っている手がふわっと温かい光に包まれて、徐々に大きくなっていく。
「おいおい!」
「!」
なんだか、ほっとする光だった。大丈夫って思えるものだ。それが傷ついたクナルの腕まで覆って、あの黒いモヤを消してくれる。纏わり付いていた分も全部だ。その後は傷口が目の前でゆっくりと閉じていった。
「これは……浄化と回復ですか?」
「分からん。無詠唱なのに加えて両方同時なんて魔法あるか」
「知り得る限りはないのですが……」
俺の背後でデレクとリデルがそんな話をしている。
俺はただ目の前で傷が綺麗になっていくのを見て、握っている手が温かくなっていくのを感じてほっとしている。漠然とあった不安が消えていくのも分かる。
そして強い力が、俺の手を握り返した。
「クナル」
「マサ、お前……本当にとんでもないな」
まだ少し疲れていそうだけれど、浮かべる笑みは力強い。ゆっくり起き上がって左手をにぎにぎしても大丈夫そうだ。
「平気か」
「驚くくらい。さっきまでの頭痛とか気持ち悪さも消えてる」
「聖女様の浄化そのものだな」
全員の視線が俺へと向けられて、俺はタジタジだ。なんせ自分でも何が起こったのか分からないんだから。
「こりゃ、早急に魔力鑑定とスキル鑑定だな」
困ったようにデレクがガシガシと頭をかいた。