翌日、目が覚めた俺は一瞬期待していたのかもしれない。実は昨日のあれやこれやは全部夢で、目が覚めたら見慣れた古い木造の天井と薄っぺらい布団の上なんじゃないかって。
でも、見えたのはいつもより近く感じる白い天井だった。
辛くない。と言えば、多分そうでもない。案外打ちのめされる部分もあるし、一晩経って冷静にもなって、どうして俺達って思う所もある。店とか家、どうなってるんだろう。そもそも俺達はあっちの世界で今、どんな扱いになってるのかな? 失踪? 行方不明? もしかして、最初から存在していないとか? それはなんだか、嫌だな。
上半身だけ起こしてそんな事を考えた俺の手に、グッと力が入った。白い布団が皺になる。その中で動けない俺の耳に、ふとノックの音がした。
「マサ、起きてるか?」
昨日一日で少し聞き慣れた声に俺は顔を上げる。凄く良くしてくれて、面倒をみてくれて、ちょっとほっとする相手。そんな人に出会えただけ、俺は恵まれてると思う。
そう、思う事にした。
答えて着替えて出て行くと、朝からちゃんとしているクナルがいる。相変わらず背が高くてかっこいい。グレーの混じる白い髪や筋肉質な体。薄青い瞳とか、イケメンって実在するんだなって実感する。
でも、可愛いとも思う。先端の丸っこい猫耳が少し忙しく動いて、尻尾が機嫌良く左右に小さく揺れている。体の動きに合わせるみたいに。
そういうのを見ると獣人って、気持ちとか隠せないよなって思えてしまって急に可愛く見えてくるんだ。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない。朝の準備とか、仕事しないとね」
そう、今日から俺は本格的にここ、第二騎士団宿舎の家政夫なんだ。
朝と言えばまずは朝食の準備。思って食堂に行くと既にグエンが朝食の用意をしていた。
「おはようございます」
「おう、おはようマサ。早いな」
「そんな事ないですよ」
腕をまくって朝食の準備を手伝い始める。朝はそれほどガッツリじゃないらしく、草食系獣人用にはサラダと果物、パンとスープだ。
そしてグエンは昨日のレクチャーで基本のパン作りはマスターしたようだった。
「くぅぅ、このふっくらパンが俺でも焼ける日がくるなんて……マサには感謝だな!」
「そんな。俺は本当に基本的な事を教えただけだから」
これ、パイとか教えたらどうなるんだろう。そもそもバターって高いかな? 砂糖とか塩はそうでもないらしいけれど。これは一度市場とか行って、市場調査しないとな。
「そういえば、今日って買い物行くんだっけ?」
調理場からカウンターへと声を掛けると、朝の仕事をしているクナルが軽く顔を上げて頷いた。
「だな。まずは絶対に服が必要だ。他にも必要そうな物とかあれば見繕う」
「必要そうな物か……」
そう言われてもいまいちピンとこない。タオルなんかは必要だと思うけれど。コップとかは基本食堂にあって自由に使える。身支度に必要な物……と言っても、髪も短いから整髪料とかいらないし。匂いがきついものは味が分からなくなるから使わないし。
「気になる所とかないのか?」
「市場で食材見たい!」
「おっ、やっぱ料理する奴は気になるよな!」
これにはグエンが賛同してくれた。太い腕を組んでウンウンと頷く彼は新たな料理作りを楽しみにしているらしいのだ。
俺としては野菜の種類や価格、魚とか、肉とかもどうなっているのか。後は調味料やスパイスだろう。存在していても高かったら遠慮する。
他にも掃除道具とかも見てみたい。聞けば生活を助けてくれる魔道具なる物がそれなりにあるそうなのだ。それらも見たい。
「……一日じゃ足りない気がしてきた」
「別にいいぞ、付き合う。幸い人数も足りてるから、日程表が組み上がれば大丈夫だ。急な事がなければだけどな」
現在クナルが作っているのがそれだ。話によると現在ここにいるのは第二部隊20人。それらをまとめているのが副隊長のクナル。
主に10人ずつで動いていて、午前中に訓練をする人達は午後からは街の見回り。午前中に見回りをしていた人は午後から訓練なんだそうだ。
「洗濯係はシュニとニィか」
「なんか、訓練あるのに悪いよな」
持ち回りで宿舎の掃除や洗濯がくる。でもそれも俺がやれれば本当はいい。そうすれば訓練ちゃんと出来るわけだし。
と、思っている俺にクナルは首を横に振った。
「これも立派な訓練だからいいんだ」
「でも」
「訓練なんだ。主に魔力操作と調整力を身につける事だな。生活魔法でも洗濯は高度だ。昨日、サンズとフリートは得意だったがキリクとキマリは苦手だっただろ?」
「あぁ、確かに」
5年目のサンズとフリートは大きなシーツでも難なく洗濯をしていたけれど、新人のキマリとキリク兄弟は苦戦していた。水球が安定しない感じだった。
「洗濯は一定の魔力を流し続けて水球を安定させつつ、押し潰すように水球の形を変形させて行う。この時、変形させる事を意識しすぎると魔力量の変化が大きくなって水球が破裂する」
「んだ。だからってビビって力を弱めると綺麗にならない。このさじ加減ってのが難しいんだよな」
「そうなんだぁ」
魔法なんて使えない俺にとっては想像が難しい話ではあるが、どうやらそれなりに器量とか慣れが必要なようだ。
「こういう微妙な魔力操作や魔力の調整が上手くなると最低限の魔力で無駄の無い討伐が可能になる。キリクとキマリの魔法は高い出力で大味だから魔物を必要以上に損壊するだけじゃなく、周囲の物も壊しかねない。一方、フリートは魔法が得意だぞ。火魔法の加減が絶妙でな。あいつが魔物仕留めるとちょっと腹の減る匂いがする」
「あぁ……」
こんがり美味しく出来ました! 的な事なんだろうな。
そんな話をしていたからだろう。グエンがニッと笑って自分の指先に小さな火を一つ出して見せる。昨日デレクもやっていたやつだ。
「俺も火魔法は得意だぜ。なんせ料理は火加減が大事だしな」
「グエンは昔から火魔法得意だからな」
「凄いですね!」
「だろ? クナルは水系統が得意だぜ」
「持って生まれた適性だな。だからこそ火は無理だ」
「そうなんだ?」
「属性の相性ってものがあるからな。まぁ、生活魔法の範囲内であれば火も使える。攻撃魔法とかは無理だけどな」
魔法、色々と面白いのかもしれない。なんて、俺は思うのだった。
今日のスープは鶏の骨からダシを取って、クズ野菜なんかも加えたものに塩コショウで味を調え、トロトロに煮込んだ玉ねぎやベーコンも添えてあっさり味にした。
パンには切り込みを入れて、それにソーセージを挟み込んでみた。マヨネーズ……はこの世界になかったので、今度作る。
今回も朝から沢山食べてもらえて、俺とグエンはひっそりグータッチした。