それにしても聖女というのはこの世界ではなくてはならないようだ。デレクの話でも現在、複数の聖女がいるらしいことを言っていた。
そして気になるのは、やっぱり妹のことだった。
「あの、リデルさん。妹に会ったんですよね? あの後って、一体どうなったんですか?」
幸い今は少し時間がある。俺の問いにリデルは真面目な顔で一つ頷いた。
「あの後、スティーブン王子は国王陛下に呼ばれてそれは怒られ、色々な方が招集されてまずは魔力の測定と健康状態を確かめる事となったのです。私はそれで城の侍医長に呼ばれて席を外していたのですよ」
「そうだったんですね。でも、どうして……」
「実は私の先祖に人族がいましてね。人の体について多少詳しいだろうと呼ばれたのです。元は城の侍医団におり、そこの責任者とは旧知の仲でしたから」
「そうなんですね」
確か人族の国は魔物の大群によって滅ぼされ、逃げ延びた人は色んな国に散ってそこで暮らしていたんだっけ。人族は婚姻を重ねる中で消えていって、血を受け継いだ人はいても純粋な人族はいないという事だった。
「聖女様は健康状態も良く、歴代聖女を上回る浄化能力と聖魔法の適性が認められました。折を見て聖女として国民にお披露目されるでしょう」
「そう、ですか」
何だか複雑だ。昨日まで一緒に店で笑い合って、今朝だってお弁当に卵焼き入れてとか言っていた妹が遠くに行ってしまう感じがする。このまま手が届かない場所に行ってしまうのだろうか。
思わず俯いてしまう俺に、リデルが気遣わしい様子で肩を叩いた。
「聖女様はずっとトモマサさんを気にしていました。デレク団長もその場に同席し、儀式の中で貴方も共に召喚された事、スティーブン王子が貴方に乱暴な振る舞いをしたのでこちらで保護したことを陛下に報告し、様子を見る事となりました。今後貴方も魔力測定やスキル鑑定が行われ、その結果によってどのようにしていくかを判断したいそうです」
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
起こった事はあまりに奇天烈で、置かれた状況は決して良いとは言えないだろう。けれど人には恵まれた。もしあの場にデレクがいなければ今頃牢屋に入れられていた。クナルが親切にしてくれなかったら洗濯一つできないまま自分の無力に打ちのめされていた。リデルやグエンがいなければ今日の食事だって満足にできなかっただろう。
悲観しても何も解決しない。落ち込むのは後でだってできるんだ。
「そうそう、スティーブン王子ですがこってりと怒られましたよ」
「え?」
「聖女様の部屋を用意してあると言っておりましたが、調べた所王子の隣室。しかも隠し扉で行き来出来るようになっておりまして」
「え!」
それってつまり、好きに入り放題ってことで。
流石に怒りが湧いて立ち上がった俺をリデルが笑っている。でも兄として高校生の妹になんて事を考えているのかと怒るのは当然で。
「勿論怒られて却下。聖女様はお部屋と侍女の準備ができるまで国賓用の部屋を使ってもらう事になりました。これを知った聖女様は怒り心頭で『マジない! キモ!』と連呼しておりましたが……いまいち伝わらず」
「本当にあり得ない。気持ち悪いって意味ですね」
「なるほど!」
リデルはコロコロと笑い、俺は溜息一つで思い切り力が抜けた。手込めにって、本当だったのかよ。
そうこうしている間に30分。布を取ると生地は一回り大きく膨らんでいた。
「すげーぞマサ! なんだこれ!」
「発酵が成功したんですよ」
生地を取り出すと大きさのわりに軽い。これはガスだから当然だ。
打ち粉をした台の上でこれを折りたたみつつガスを抜いて等分に分けて軽く丸めてまた同じように寝かせる。これにも時間がかかるから、その間にスープを教えた。かなりの量のトマトを湯むきして切って、玉ねぎで涙目になったりもして。
でもグエンはこれだけの大所帯の食事当番らしく包丁の使い方も素早くて綺麗だ。
その間にパン生地はまた一回り大きくなる。しっかり丸く成形をして二次発酵、具材の準備も出来て寸胴鍋に投入。混ぜながらトマトを潰しつつ次の工程に。
スープの味も整えこちらは完成。今度は肉を焼くというので見ていると、大きな鉄板の上に厚さ二センチはあろう肉がジャンジャン焼かれていく。
なんかこういうの、海外のBBQ映像とかで見るよな……という豪快な映像に驚いてしまう。俺の店ではまずやらない調理法だ。
それにしてもやっぱり焼き時間が短い。表面を焼いたくらいで次々バットに入れられていく。牛ステーキならいいけれど、豚や鳥だと怖い調理法だ。
「こんなに生に近いお肉、お腹壊さないんですね」
「んな事で腹壊す繊細な奴はいないぞ?」
「私も腹痛の診察はしたことがありませんね。腹が裂けて縫合頼まれた事はありますが」
「うわ……」
どうしよう、俺が最初の腹痛患者になったら。そんな事も思ってしまうのだった。
何にしても二次発酵が無事に終わって生地はふっくら。これにキッチンばさみで上に十字の切れ込みを入れたら表面に霧吹きをして予熱しておいたオーブンへ。じっくりと焼けるパンの匂いが徐々にし始めると楽しみになってきた。
「いい匂いがします」
「くそ、美味そうだ」
「出来たら味見しましょうか。俺もあまりパンは詳しくないので、ちゃんと出来ているか心配ですし」
「あれで詳しくないのかよ!」
なんせうちは和食中心の小料理屋。煮物や汁物なんかはお手の物だけれどパンは頻度が少ない。主に星那に強請られて作る程度なんだ。