淡いオレンジ色のランプが揺れ、グラスを磨く男の手が止まる。
地の底より響く機械の駆動音……。店の裏口へ視線を寄せ、銃を手にした男は酒瓶が並ぶ戸棚に身を隠し、鋼鉄製の扉をジッと見据えた。
今日は裏口から続く違法エレベーターゲートを利用した客は居ない。麻薬と媚薬を買い、酒を奪おうとした客は居たが、そう言った連中は男が皆始末した。死体は当然家畜の餌に混ぜ、遺跡に続く廃棄穴へ蹴落とし証拠を消す。
「……」
ドアノブが捻られ、扉が開く。
「……ダナンちゃん?」
その先に居たのは重々しい装備を身に纏う青年と見るも美しい一人の少女。ダナンは男を一瞥すると「ライアーズ、邪魔をする」と話し、店内の空いている椅子に腰かけた。
「ダナンちゃんじゃない‼ いやね、エレベーターを使うなら連絡を寄越しなさいって言ってるでしょ⁉ それに」
「……」
「それに誰よこの子‼ んもぅお嬢ちゃんお菓子食べる⁉」
身をくねらせ、濃い化粧をキメた男……ライアーズはダナンの後から椅子に腰かけたイブへ蛍光色の焼菓子を差し出した。
「あ、では頂きま」
「止めておけ」
「どうして?」
「頭が壊れていいのなら食えばいい。だが、
ダナンの鷹のような鋭い瞳がライアーズを射抜き、菓子を戸棚に仕舞った男は紅い口紅が塗られた唇の口角を僅かに上げ「二十万クレジットよ、ダナンちゃんにだけのお買い得価格なんだから」とスキャン装置で青年の首元に刻まれたコードを読み取った。
「はい毎度あり。そうねぇ……先ずは無頼漢の方なんだけれど、貴男が一番気をつけなきゃいけない組織ね。ダモクレスの全身機械義肢がアップグレードされたのと、狂信者狩りと他組織構成員への排除行動が過激化傾向にあるわ」
「……」
「何度か遺跡にも構成員を遣って遺産を探しているみたいだけれど、目立った遺産……それこそ下層街と中層街のパワーバランスを引っ繰り返すモノは見つかっていないみたい。あとはそうね……路地裏の子供集団を取り込んで、そこかしこに草の根を張らせているわ。ダナンちゃん、まだダモクレスに付け狙われているの?」
「あぁ」
「そ、なら頑張りなさいな。あぁ、それと肉欲の坩堝は今まで通りよ。組織の末端が麻薬を売り捌いて、人を拉致して娼館か臓器売買を繰り返す。アェシェマの売女も何を考えているか分かったもんじゃないわね。いえ、もしかしたら何にも考えていないのかしら?」
「そうか」
指先でテーブルを叩いていたダナンは椅子から立ち上がり、店の出入り口へ視線を向ける。
「あら、もう行くの?」
「必要な情報は揃ったからな」
「そう……。ならアタシから一つ聞いてもいいかしら?」
「何だ」
「アンッタ‼ リルスちゃんはどうしたのよ⁉ 何⁉ 浮気ね⁉ 浮気は許さないわよ‼ アタシはあの人からアンタの事頼まれてるんだからね⁉」
「……」
「男ってみんなそうよね⁉ 図星な時は黙るものなのよ‼ それに」
ライアーズの機械眼がぐるりと回り、唖然とするイブを視界に映し。
「……アンタもアンタよ! 名前を言いなさい!」
「い、イブ……です」
「イブちゃんね⁉ はい分かりました! アタシはライアーズ、アンタの相棒の後見人よ!」
両腕を機械義肢に換装し、右目を機械眼に挿げ替えた男、ライアーズは綺麗に整ったモヒカンを手櫛で梳いた。
「全く……暫く姿を見せなかったと思ったら、リルスちゃん以外に女を作ってたなんてね。ダナンちゃん、ちゃんとこの娘の素性は調べたんでしょうね? 自分で調べたなら死者の羅列に金を詰んででも」
「……必要無い」
「必要無いってこたぁないでしょう? あの人も言ってたでしょうに……自分が信用するか否かは下調べあってこそだって。あ、これは別の話しなんだけれど、リルスちゃんに伝言を頼んでもいいかしら?」
「回線番号を知ってるだろう? お前が自分でやればいい」
「あの人に似ないでぶっきら棒な子ねぇ全く。まぁいいわ、女同士で話したいこともあるのよねぇ」
「……お前は男だろ」
「あぁ? 何か言った?」
「別に何も」
ドスの効いた低い声に目を背け、日常に一歩足を踏み入れたダナンは身体に蓄積していた疲労によって気が抜けると同時に椅子に再び腰かけると、顔を覆っていたガスマスクとゴーグルを一思いに脱ぐ。
「ダナン」
「……何だ」
「少し聞きたいのだけれど……この人は誰? 貴男の後見人を語ってるようだけれど」
「自称後見人だ。そんな事実や証拠も無ければ、爺さんが
「そう……。けど、若く見えるけれど、やっぱり」
男よね。白いシャツの下に覗く浅黒い筋肉質の肌と浮き上がる血管。見事なまでに鍛え抜かれた鋼の肉体。ライアーズの身体を観察し、その馬鹿馬鹿しい言動とは裏腹に全く隙を見せない男は新品の飲料水ボトルのキャップを捻り、ジョッキに水を注ぐ。
「男かどうか俺は知らん」
「え?」
「見てくれは確かに男の身体だ。年齢も大層若く見えるだろう。だが、ライアーズは俺がガキの頃から全く見た目が変わっていない……それどころか昔は女だったような気がする。イブ、下層街じゃ子供以外みんな見た目と齢を誤魔化して生きている。外見で相手を判断しない方がいい」
「へぇ……」
じっとりとした、粘つく視線をダナンへ向けたイブは目の前に置かれたジョッキの水を飲む否か悩む。
「ダナン、これは」
「舌先で舐めて、痺れたら毒。指が火照るようなら媚薬入り。何か臭うようなら麻酔薬入りだ。まぁ……ものは試しだ。もし何かあったとしたら、良い経験だと思え」
ゼリーパックのキャップを開け、中のゼリーを一息で飲み下したダナンを一瞥したイブは無色透明の水に指先を浸し、舐め取ってみる。
舌の痺れは無し。生温いせいか指先が少しばかり火照ったような気がしたが、それ程気にする症状でもない。臭いは……何処か金属臭がする。
一秒、二秒、三秒……。身体的異常が現れないと判断した少女はジョッキに満たされた水を飲み干し、勢いよくテーブルに叩き付けると一息ついたとばかりに息を吐き、口の端から垂れる一滴を腕で拭う。
「……イブちゃん」
「何でしょう」
「貴女……少なくとも下層街の人間じゃないわね」
「何故そう思われるのですか?」
「だって、私の店に来る中層街の兵隊さんはみんな
「それは……どういう意味なのでしょう」
「毒物と麻薬、媚薬が入っている。ライアーズはそう言いたいんだろうな」
ゼリーパックの空をゴミ箱へ放り投げたダナンはジョッキの底に残った水一滴を指先に落とし、少しだけ舐め取り顔を顰め。
「……本当に全部入っているなライアーズ。全部盛りとはお前はイブを殺す気か?」
「ちょっとした運試しじゃないダナンちゃん! こんなので死んでいたら下層街じゃ生き残れないでしょう?」
頬に手を当て、手を振ったライアーズへ薄い笑みを向けた。