祖父の稽古場は自宅の庭だ。だから稽古も天気に左右されることがあるが、武術が想定する場面に天気は関係ない。その時の環境で稽古内容が変わるのだ。
ただ、天気は雨の日のほうが少ない。雨天の時は休むこともあるが、特別稽古的な感じで進められることになる。そして普段は鍛錬が中心だった。
再入門後、そんな感じで時が過ぎ、颯玄も12歳になっていた。
小さい頃は直接的に空手と関係なさそうなことばかりやらされ、その意味は分からなかったが、稽古を再開した時からその内容は少しずつ変化していた。
ある日、颯玄は巻き藁を突いていた。正拳を鍛えるには基本的な稽古法になるが、いろいろな拳形を鍛える場合にも用いられる。これまでは戦いの時の主要武器という理解から巻き藁稽古も同じ繰り返しで行なっていたが、この日は
颯玄もやったことが無いわけではないが、重要度については正拳のほうが上という認識だったのでこの指示には意外な気がした。
指示した祖父は颯玄が始めたところでその場を去り、奥へ引っ込んだ。言われたまま黙々と数をこなそうとするが、まだ幼い颯玄の身体はすぐに限界が来た。正拳の場合、幼いころから拳で腕立て伏せをやったり、いろいろなものを叩いていた関係で、多少数をこなしてもそれなりに頑張れたが、背刀の部位にはまだ耐久力は無い。颯玄が想像していたより数がこなせないのだ。
「痛いな。いつまでやれば良いのかな。皮膚が破れ、出血している。でも、ここで弱音を吐いて止めたら今度は本当に教えてもらえなくなるかもしれない」
独り言を心の中でつぶやいた。
やれと言われた以上、止めるように言われなければ続けるつもりでいたが、巻き藁にも血が滲んでいる。
だんだん打つ間隔が開いてきた。
そしてさすがにこれ以上無理だと感じた時点で颯玄は巻き藁稽古を止め、祖父のところに行った。
「いつまでやれば良いの?」
颯玄は祖父に尋ねたが、祖父は「うむ」としか答えなかった。目線も合わせない。颯玄は少し不安になった。止めと言われていないのに稽古を自分の意思で中断したことで、祖父が怒らないか、稽古をつけてもらえなくなるので無いかという不安だった。
稽古再開を認められて以来、祖父の言動には神経をとがらせることが多くなっていたが、不思議と祖父に対する不信感や怒りのような感情は湧いてこなかった。
何も答えない祖父を背に、颯玄は再び庭に戻り、一人で稽古を再開した。