第4話 居住性

 大きな鋼鉄の手が、細身の女をゆっくりと持ち上げる。

 思えば誰かをこうして運んだのは、15年スチーマンを操ってきて初めてかもしれない。柄にもなく、操作レバーを握る手がちょっと汗ばんでしまった。

 一方のサテン・キオンはと言うと、俺を疑うつもりなど微塵もないのか。オールドディガーの胸元まで、黒い長髪を気持ちよさそうになびかせながら持ち上げられてくると、開かれた刺々しい外殻の足場に飛び乗って中を覗き込んできた。


「よっと! へぇ、これがスチーマンの中……意外と広いんだね? もっとギュウギュウかと思ってた」


「ヒヒヒッ! オールドディガーは特別だからなァ。現行機チビ共は狭苦しくていけねェ」


 正しくは、いつの間にか特別になっていた、と言うべきだろう。

 最近のスチーマンといえばどこのメーカーも、都市外作業用の中型機と都市内作業も可能な小型機しかラインナップしていない。というのも、大型機は経済的じゃないからだ。

 だからと言って買い替える気もなければ、そもそもそんな金など逆立ちしても出てこない俺は、結局このオンボロ爺さんを相棒とし続けている。それでこんな変わった女に目を付けられる日が来るとは思いもよらなかったが。

 脇を通れるようにデカい図体を引っ込ませれば、サテン・キオンはふぅんなんて気のない息を吐きながら、コックピットの肘掛けを踏み越えて奥を覗き込んだ。


「おわ、ゴミゴミしてるけど本当に椅子がある。元々2人で動かす機体なの?」


「さぁーなぁー? 俺が作った訳じゃねぇし、改造だとすりゃジジイの趣味じゃねぇのォ?」


「ジジイ?」


「こいつの元持ち主さ。どこ行ったか分かんねぇから聞きようもねぇけどよ」


 へっ、と小さく鼻を鳴らす。

 あの頑固ジジイがどういう使い方をしていたかは知らない。パートナーが居たという話は聞いたことがなかったし、そもそもジジイは身の上話なんて全くと言っていいほどしなかった。

 だが、少なくともこのデカブツは俺1人で十分動かせている。つまり、現状後ろの席は単なるお飾りに過ぎず、乗せる奴も居なかったとなれば、そこがどういう扱いを受けるかは誰でも分かることだろう。

 座席は革が朽ちてボロボロ。余分な空間には荷物入りの鞄が放り込んであって狭く、サテン・キオンが口にした通りゴミゴミしているのだ。

 だからこそ、俺はニヤリと口角を上げる。


「で、どうすんだ? 汚ぇ椅子が嫌なら、考え直してくれてもいいぜ?」


「嫌ってことはないけど、じゃあ1つだけ注文」


 何故だろう。不敵な笑みを浮かべているのは俺だったはずなのに、ニコリと微笑んだこいつに呑まれている気がするのは。


「簡単にでいいから荷物の整理をさせてくれる? このままじゃ流石にお尻が入らないって」


 口元に当てられた人差し指と、まるで何かを試すような口調に、俺は一瞬言葉を失った。

 彼女はそんなこちらの態度を了承と取ったらしい。入らないという尻をこちらへ向けながら、ごそごそと動き始める。


「……そんなにでけぇの?」


「うん? 他の誰かと比べたことはないけど、普通くらいじゃない? 多分」


 無意識に零れ落ちた言葉に、平然と返されて面食らった。

 相手が同性か、或いは人畜無害そうな野郎ならまだしも、お前の後ろに居る俺は自覚付きのアウトローだぞ。まかり間違って市民様のうろつく都市の中層域に足を踏み入れれば、まず間違いなく警察か公安かが声をかけてくるような存在だというのに。

 ため息を1つ。


「俺が言うのもなんだけどよ、お前もうちょっと女としての危機感とか持った方がいいんじゃね?」


「そうかな? 私は別に気にしないけど」


「つくづく変な女だぜ」


「よく言われる」


 まるで他人事のような苦笑が返ってくる。不思議そうにするその面が俺には不思議でならないのだが。


「開き直りやがった……っておい、余計に散らかしてどーすんだヨ!?」


 ガラゴロガランと音を立て、飯盒が上から降ってくる。

 気になって奥を覗き込めば、さっきまで見えていたはずのボロ座席は完全に荷物で埋まっていた。

 そしてまた、首を捻るサテン・キオン。


「うーん、やっぱりそう見える? おっかしいなぁ、一応片づけてるつもりなんだけど……」


「ふざけてんのかお前は。遊んでる時間じゃねぇんだぞ」


「私はずっと真面目だよ? あ、崩れる」


 視界の中から女が消えた。正しくは女の尻か。

 そう思った次の瞬間、ダッフルバッグだの着替えだのランタンだの缶詰だのと、ごちゃごちゃ詰んでいた荷物の雪崩が、俺の視界を埋め尽くした。


「あれ? ヒュージ君、消えた?」


 混沌の後に訪れる沈黙。自分の額に青筋が走るのを、ここまでハッキリ感じたことはこれまでになかったかもしれない。


「あ゜ぁ゜ぁ゜ぁ゜ぁ゜ぁ゜も゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!! そこ代われェ! 俺がやった方が早いわ! どんな手先してんだ!」


 自分に積み重なった荷物を払いのけて叫ぶ。苦手なら苦手と最初に言ってもらいたい。

 しかもあろうことか、拳を握りしめながら睨みを利かせる俺に対し、元凶は何がおかしいのかケラケラと笑う始末。


「あはは、やぁそこまで言われると困るなぁ。私ってそういうとこあるからね」


「何照れてやがる! 褒めてねぇっつーの!」


「でもさ? 信頼関係を築く時って、まずは相手のいい所を探すべきじゃない」


「はったおしてやろうか!?」


 こいつが女じゃなければ、間違いなくぶん殴っていたと思う。いや、それにしたって堪えた自分を褒めてやりたい。

 元々はこれを見て嫌になってくれればと思っていたが、そんな浅はかな考えは吹き飛んだ。何せ自分の手間が増えるだけで終わったのだから。

 結局、頻度良く使わないであろう荷物の大半は、オールドディガーの背中に固定された背負子のコンテナへ放り込み、憎々しい雇い主はすっきりした座席の上へと満足そうに腰を下ろしたのである。

 それもげんなりする俺の後ろでだ。


「……なぁんだって仕事する前からこんなに疲れなきゃならねぇんだヨ」


「まぁまぁ、駅から目的地までの間に休憩すれば大丈夫だって」


 ポンポンと背中を叩かれる。警戒心がないというか、とにかく気安い女だ。


「原因に言われてもナァ。それに、動き出したらチンタラしてらんねぇぞ。蒸気圧はそんなに持たねぇんだ」


「どれくらい?」


「節約しまくって1週間、派手に動くならどんなに長くても3日ってとこだナ。何にもしなくたって、タンクの圧は落ちていくしよ」


 一応、こういう遠征はダウザーとしての仕事にも憑き物であり、それを前提に改造も施している為、オールドディガーの稼働時間は並みの中型スチーマンと比べてもかなり長い方ではある。

 問題は改造の方法だ。大飯喰らいの旧式大型機の稼働時間を伸ばす方法なんて、蒸気タンクを増設する以外にない。

 それをサテン・キオンが察したかは分からないが、ふむと理解したように首を傾けた。


「切れる前に駅へ戻ってこないといけないのか。意外と自由度は低いね」


「往復するのは別に構わねぇが、その分金は積んでもらうぜェ。何せこの図体だ、蒸気代も馬鹿にならねぇんでよ」


「分かってるよ。そこは大丈夫だから。多分、きっと?」


 大きく大きくため息を1つ。


 ――先行き不安な話だぜ。


 全く持って気乗りはしないが、どうせ引き返す道がないのなら、勢いでもなんでもやるのが仕事だ。

 半ばヤケクソ気味にレバーをいくつも操作すれば、オールドディガーは蒸気を吹いて脚のクローラーを地面に押し付ける。

 あとはジワリとペダルを踏んでやれば、モニターに映る瓦礫塗れの大地がゆっくりと後ろへ流れ始めた。