「……これが…… 例の……」
「ええ、それを上手く使うかどうかは貴女の腕次第よ」
「あ、ありがとうございます!」
***
「さすがにもう一緒に居る意味が無いわ。マルティン、貴方とは離婚よ」
そう言って、俺は目の前に書類を突き出された。
そしてでん、と椅子にふんぞり返る彼女の周囲に四人の男達。
一人はどうもある程度の年配だし、眼鏡だし、書類を持ってるし…… 弁護士とかそういう感じだ。
だがその他の三人は誰だ?
やたらときらきらしいんだが、俺には見覚えが無い。
「え…… 何言ってるんだ? エディット、一体」
いや、正直俺は目の前の光景が信じられなかった。
だってそうだろ?
記憶によると、俺マルティン・サンガミンとまだ彼女、エディット・トレイランとは結婚していないはずだ。
しかもちらと見るその書類に書かれている名前は、彼女の姓はトレイランのまま。
つまり俺が彼女の家に婿養子に入ったことになっている。
いやそんなはずはない。
彼女は俺の家に嫁に来るはずの婚約者じゃなかったのか?
だが彼女は容赦無く続ける。
「何言ってるの? 貴方がこの家に嫁いできてもう一年。私はちゃんとこの家の主人の義務として、貴方と吉日に夫婦としての行為をしているわ。だけど一年経っても子供が生まれる兆しはない」
「そ、それは…… 君にも何かしらの身体の問題があるのじゃないか?」
彼女は弁護士らしき男に合図する。
再び書類が持ち出される。
ご覧下さい、とうながされる。
健康診断書、とある。
「見て判る通り、私には全く健康上に問題がないの。そもそも健康上の問題があれば、このトレイラン家の当主になれる訳がないじゃない。妹のリスベットやソーニャの方にその座は行くはずよ。そんなこともも忘れるほど呆けてしまったの?」
「ほ、呆けてしまったなんて…… そこまで言われる筋合いはない! だ、大体何で僕が今、婿養子になっているんだ? そもそも君が嫁に来るはずじゃなかったのか?」
彼女は周囲の男達と顔を見合わせたのち、あはははは、と笑った。
だがあまりにも俺が神妙な顔をしているので、どうもからかっている訳ではない、ということは判ったらしい。
「貴方頭本当にどうかしちゃったの? それいつの時代の話? もう百年も昔に、女の数が急に酷く減ってしまったから、子供の数の確保のために家督は女が継いで、父親は誰でもいいということになったでしょう? そんなことも忘れているの? 医者が必要ね」
そんな。
俺はそんなこと知らない。
「そうだね、何か忘れているみたいだから君にはじっくり教えてあげよう」
「お前は……」
「お前よばわりされる筋合いは無いね。君が駄目ならば、次の彼女に嫁すのは俺だ。マウリッツ・サロイネン」
「サロイネン? まさか確かお前、妹が居なかったか?」
「そうだね、妹は居るよ。ウルスラっていうのがね。彼女はうち、貧乏男爵のサロイネンの家を継いだし、跡継ぎを作るために子種を求めてそれ相応の場所に行って何人か産んだんだが、残念ながら、そこで病気をもらってな。それ以来病院暮らしさ。そう長くは保たない。家督はまだ子供の彼女の娘に渡り、後見として、今のところ僕の兄がしている状態だ。兄は残念ながら、君同様、どうやら種無しということで婚家から返されたからね」
種無し。
そうか。
ここで俺は、そんな理由で放逐されそうになっているのか。
しかし何だ?
百年前? そんなこと知らない。
皆が皆、俺を騙すために芝居をしているのか?
「そう言えば君とも一時期付き合いがあった様だね。その時もそう言えば子供はできなかった様だな。それであれは、君を見限ったんじゃなかったかな。嗚呼それを先にこのエディットに言っておけば、面倒な問題は起きなかったものを!」
「……そ、そうなのか…… じゃあ、後の二人、お前等は何なんだ?」
「ああ、自分はマックス。まあ姓はどうでもいい。こっちはニコライ。まあ、この有能な次席のマウリッツが仕事で居ない時に、彼女の相手をするための役さ」
「そうそう。子供ができる時期を逃してはいけない。彼女の体調や気分を悪くしてもいけない」
「どうやら調べによると、君は仕事と称して、彼女の気分を著しく害してきた様だね。そして彼女以外の女にも手を出してきたとか? 一度嫁してきた身が何をやっている? 何処かで病気をもらって彼女の身にそれを伝染したならば、君はどんな責任をとれるというのだ?」
マウリッツは俺にまくし立てる。
「な、何だよ、じゃあお前等は、三人も居ながら、ひたすらエディット一人のために何でもするというのか?」
「当然でしょう」
ニコライという男が涼しげな声で言う。
視線は俺を明らかに見下していた。
「今の世の中、男は有り余って居ます。それこそ戦争でもして男だけ減らすくらいでないと、命を生み育む女性に負担がかかるというもの」
「まあさすがに今の世の中、そんなことを始めたら、各国それぞれ女性が居るところを攻撃するだろうから、ということで均衡が取れているし」
「そもそも各国の女王女帝陛下達は誰もも戦争なぞ起こしはしませんよ。血を流す闘争心など、男特有の悪癖だと、過去の歴史が物語ってますからね」
「今はだから実に平和なものですよ」
俺は次々に口々にされる言葉に頭がどうかなりそうだった。
「離婚は…… 決定なんだな」
「ええ、さすがに一年貴方の自由を奪ったということで、こちらも鬼ではありませんから、貴方の住居と、多少の金を用意しました。そちらへ移っていただきます。ただこの事実はすぐに世間に広がるでしょうね」
「貴方は種なし男として、そういう目で見られて行くということだ」
マウリッツは言い放つ。
「別に貴方がこの先誰かと再婚することも可能だけど、誰が貴方とそうするかしら? それとも若い頃に愛したこの彼の妹の世話をする?」
俺は震える手で、それでもできるだけ急いでサインをすると、笑顔の彼等の間に居られなくて、屋敷から飛び出そうとする。
「ああちょっとお待ちを」
弁護士が俺にある程度の厚みの封筒を差し出す。
「その辺でのたれ死んだら気分が悪いから、というエディット様のご厚意です。きちんと受け取る様に」
俺は更にいたたまれなくなって、封筒をひったくる様にして受け取ると、その場から駆け出した。
下りの階段に、つい足を踏み外し、足を少しくじいた気もするが、気のせいだろう。
ああもうこんな家に居たくない。猛ダッシュだ。
馬丁の元に向かう。
「馬車を…… すぐに出してくれ」
そう、街へ出よう!
そして今のこの状態が嘘だ、と俺に信じさせてくれ!
「……もうあんたには出す必要はない、って旦那様がおっしゃいましたからね」
「旦那って俺……」
「何を言ってるんです。この家の当主様、すなわち旦那様はエディット様に決まっているでしょう。あんたはただの婿に過ぎないし、もう旦那様からあんたは種なしだから追い出すと言われてますよ。と言うか、もう家から出たということは、離婚の書類にサインしたんでしょう? だったら俺は使われる謂われは無いですな。何処へでも――ああ、そう言えば、あんたの新しい家までは送れ、と言われてましたな。はい荷物」
そう言われて俺の前に置かれたのは、三つのトランク。
そうか。俺の荷物ってこれだけだったのか。
「それと新しい家の鍵。当座の金はもう貰ってんだね? じゃあ行こうか」
そしてそのまま、俺は馬車に乗った。
いつもの箱馬車ではない。使用人が買い出しに行く時のものだ。
くっ……
トランクの一つを抱きしめる俺は、知らず、涙が出てきた。
「いやー種無しは残念だったねえ。でもまあ仕方無いよ。あんたそれでもちゃんとこの家の事業に関わってればともかく、実家がいい家だったからって、何もしなかったんだから、仕方ねえよな」
「そんなに俺は何もしてなかったって言うのか?」
「そりゃあしてなかったさ。普通の婿ってのは、嫁してから旦那様に捨てられない様に、事業できっちり精を出すか、そうで無ければ確実に種がある能力のある男を旦那様に紹介するだけの伝手を求めるとかそういうことをするもんだ。それもできず、ただ遊び暮らしてたら、何処の家だってそうするさ。大きな家ほど政略結婚だからな。あんたそれすら知らなかったのか? それとも記憶喪失か?」
「記憶喪失…… そうなのかもしれない……」
そうだ。
俺の知っている世界とはあまりにも違いすぎる。
俺がどうかしてしまったのか、それとも俺が知らないうちに世界が変わってしまったのか。
悶々とそんなことを考えていると、やがて「新しい家」に着いた。
ありがたいことに街中だが、どうやら集合住宅らしい。
「さて、確かここの二階の三号室とか言っていたな。鍵鍵。トランク一つくらいは持ってやるよ」
馬丁はそう言うと、そのままその集合住宅へと一つトランクを持って入って行く。
さっさと来いよ、と彼は俺を呼んだ。
鍵を開けると、そこはがらんとした二部屋だけの場所だった。
「ほい鍵。旦那様の買い取りだが、まあ自分の立場をわきまえな」
そしてぽん、と俺の肩を叩いて、馬丁はその場から去っていった。
家具は古そうだが、一応寝台もクロゼットもある。
小さな厨房めいたものもある。
と言うことは、自分でここで食事も作れということか。
俺はまだ布をかけたままのソファの上に力なく座り込んだ。
ぽはん、とほこりが飛んだ。
*
それから俺は、何が何だか判らないが、それでもともかく腹は減るし、茶は飲みたいのでいったん外に出た。
街には見事なまでに男ばかりだった。
俺が知っている街角とは確実に彩りが違う。
たまに見掛ける女は、スカートも足首が見えるくらいに短く、腕まくりをして豪快に男に交じって仕事をしている様な既に四十を越えたおばちゃんばかりだ。
いやそれでもそのスカート丈はおかしいか。
ともかく俺の知っている女達の歩き方とも違う。
どたどたと力強く足踏みをし、時には丁々発止の口論をしている。
そこには色気もへったくれもない。
ともかく食事をしようと店に入る。
夕方から夜にかけての店だ。
銀盆を持って注文を取りに来るのは男。
カウンターの向こうから料理を出すのも男。
そしてちょっと向こう側を見ると、小柄で整った青年を侍らせている男も居た。
もう至るところ、男、男、男。
俺の知っているこういう店はそういうことはなかったはずだ。
大概可愛い女の子もしくは綺麗な女が胸の谷間を強調した様な服で色っぽく注文を取りにきて、それがまた一つの楽しみだったはずなんだ。
だがそんな気配はまるでない。
せいぜい今注文を取りにきた青年が、やや整った顔だったかな、と思う程度だ。
「お待たせしました」
出てきた料理は記憶にあるそれまでのものと代わりはしない。
ビールの味も変わりはしない。
ただひたすら、女が居ない。
*
そんな日々が数日続いた後、俺はふと、病院に居るというウルスラ・サロイネンのことを思い出した。
そう、彼女は俺の記憶によれば、……そもそも、俺は彼女と一緒になりたくて、エディットと婚約破棄をしたかったのだ。
俺の記憶では、まだエディットとは結婚はしていなかった。
結婚前だったから、政略結婚で愛の無い彼女ではなく、貧乏男爵令嬢でも、俺のことを愛してくれるウルスラと結婚したくて、機会があれば皆の前で婚約破棄を告げたかったのだ。
だがマウリッツの言うことには、俺はどうもウルスラと一定期間付き合ったが、やっぱり種無しと断定されて別れたらしい。
そしてそのことを黙って俺はもともと家同士の契約で婚約者のエディットのもとに「嫁した」ことになる。
ウルスラは今どうしているのだろう。
俺はサロイネンの家に連絡を取り、ウルスラの現在の居場所を長男に問い合わせた。
すると彼からはこんな手紙が来た。
「そうか君も種無しということで用無しとなったんだね。
まあ君の行状はウルスラから聞いていたから、仕方が無いとは思うが。
ウルスラは今は郊外の病院で療養しているよ。行って会う勇気があるならば、会ってみるがいい」
*
こちらです、と療養所の看護人が俺を案内した。
郊外の緑の多い田舎の、更にその外れに療養所はあった。
「患者さんを見ても驚かない様にして下さい」
看護人はくれぐれも、と念を押した。
「ここは様々な性病に冒された人々、しかもある程度の身分がある方が収容されています。サロイネンさんは経済的な面では入ることは難しかったのですが、一応貴族の立場ですので」
と彼女の立場を説明された。
それぞれ個室が用意されている様だが、病院地図によると、大部屋と小部屋の違いは確かにあった。
その小部屋の一つにウルスラは居るという。
驚かない様に、か。
ノックをして入ると、誰、と聞き覚えのある声がする。
俺からしたら、懐かしい声だ。
だが、いつもの気丈ではきはきとしたそれとは違い、酷く弱々しい。
「俺だ。マルティンだ。覚えているか?」
そう言って、ベッドにかかったヴェールの向こうに問いかける。
「マルティン……? ああ、そんな男も居たわね…… でも確か、兄さんが、伯爵家に嫁したって言ってたし…… そう、確か、兄さんが今度嫁する…… ああそうか、そうなんだ」
ふははははは、という笑いが、弱々しいままヴェールの向こうで聞こえる。
「な、何を笑うんだ…… 俺達はかつては愛し合った仲じゃないのか?」
「嫁するところも決まってる男だから、こっちから何も出さなくていいからと遊んだだけじゃない…… 何言ってるの……」
何だこれは。
これは本当に、俺の知っているウルスラなのか?
「でもあなたといくらやったって子供はできないし。ああきっと種無しなのね、と思って切ったはずでしょ。何を今更」
「君は…… そんな思いで俺を」
「何言っているの。健康ならできるだけ子供を作らなくちゃならないのよ。できない男といつまでも付き合っていなくちゃならない道理が何処にあるっていうの……」
「君は俺を好きではなかったのか?」
「その時は気に入っていたけど、嫁することが決まってる男に執着してどうするの。女が子供を産める期間は決まってるのよ……」
そういったあと、ヴェールの向こうの彼女は大きく息をつき、そしてやや苦しそうに咳き込んだ。
「だ、大丈夫か」
思わず俺はそこでヴェールを開けてしまった。
そして後悔した。
彼女の身体は顔から身体から、包帯だらけだった。
しかもその顔の殆どが覆われていて、――鼻の部分に高さが無かった。
「……何その顔は」
「病気、病気って……」
「……うちは子種があるかどうか判らない男を嫁させる程余裕がある訳じゃないことなんて、昔も知ってたでしょ、何言ってるのさ。だから結婚は無しであちこちの男と付き合っていたら、そのうちの一人が病気を隠していやがって」
俺はその場に膝から崩れ落ちた。
……これが夢ならすぐさま覚めてくれ……!
**
がばっ、と俺は思わず起き上がった。
汗が酷い。
そして横には、ウルスラが居た。
おそるおそるその顔を見る。
俺の良く知っている、若く美しい顔だ。
……夢…… 夢だったのか!
よ、よかった……
「……どうしたのよマルティン…… まだ明け方にもなっていないじゃない」
「ああウルスラ、よかった! よかった!」
俺は彼女を起こすとぎゅっと引き寄せ抱きしめた。
「嫌な夢を見たんだ、俺がエディットに種無しだと離婚されて……」
「何位ってるのよ、これからあんたは婚約破棄をするんじゃない! しっかりして」
ウルスラは俺の背をぽんぽんと叩く。
そうだよな、あれは夢の中のことだ、現実じゃない。
「別にあんたが種無しだとしても私は構わないよ? 奥さんにしてくれるんならね」
この情の深さが、何かと手厳しいエディットと違うんだ。
結婚前の関係は駄目?
決まっているならいいだろ、と言っても手厳しく撥ね付ける。
俺を嫌いなのか、と言えば、嫌いとかそういうことではなくて、と理屈を言ってくる。
そういうところが嫌なんだ。
「ああもう、本当に、あの女の嫌なところが浮かんできて仕方がない。予定を早めて、そう、次の大きな夜会で発表しようか」
「まあそうなの! 嬉しいわ」
ウルスラの喜ぶ様子は暗がりの中でも判る。
そう、俺は絶対この女を離さないぞ……
*
そして俺は見事、夜会にてエディットとの婚約破棄を宣言し、ウルスラとの結婚を発表した。
無論両親は嘆いたし怒った。
俺自身、男爵家に婿に入るということで追放された。
だが構わないさ。
あの女にあんな冷たい目で見られながら一生を送るくらいなら、多少の貧乏は構わない。
少なくともウルスラの男爵家はあの小さな部屋よりは大きい。
そして兄のマウリッツは有能な男だし、きっと彼の仕事に俺は協力できるだろう。
会ったこともある。
なかなか事業展開に意欲的だそうだ。
これから発展するだろう技術や商品を先取りして開拓いく会社らしい。
俺のこの知識や交渉術が役に立てばいいのだが……
本当に婚約破棄して良かった。
自分で選んだ人生なら、決して後悔は無い!
***
「上手く婚約破棄ができた様ですね。向こうの事情ということで」
「ええ、全ては王女様のおかげです」
エディットはそう言って深々と頭を下げた。
「しかし本当に、この香にそんな効果があるなんて。魔法かしら」
手にとったそれは普通のものと変わらない。
「ふふふ。別に魔法とかではないわ。ただ人の気持ちの中で不安に思っている部分が夢に現れやすくなるだけのこと。そう言えば、あの夜会に私も出席していたけれど、彼の言い分は酷いものだったわね」
「ええ、真実の愛を見つけたから、とか何とか。真実の愛以前に、相手が結婚前にほいほい男と寝る女だということの意味を判っていないって怖いですわね」
エディットはしみじみと言う。
自分の婚約者の素行調査は常にしておくものである。
特に男女関係は。
なおかつその相手の恋愛遍歴も。
マルティンが現在溺愛していて、そのために婚約解消しようとしているウルスラ・サロイネンは貧乏男爵令嬢だ。
貧乏故に、自分の魅力だけで何とか良い相手は居ないかと結構男を漁ってきたという。
その一人に、確実に性病を持っている者が居た。
だがそれが判ったのは、彼女と縁が切れた後だった。
あの非常に凄まじい病気ではないにせよ、彼女経由でいつマルティンが伝染っていたとしてもおかしくない。
だがこの理由は、あまりにも外聞が悪い。
そして確実に出るという保証も無い。
ということで、向こうがしたがっている真実の愛による婚約破棄をさせてやろうとエディットは思った。
ちなみにマルティンが種無しであるかどうかは判らない。
だがあれだけ閨を共にしている彼女に妊娠の兆しが無いところを見ると、その可能性も高いだろう。
まあいずれにせよ、危険案件であることが判った。
ので、できるだけそれをすみやかにしてもらうべく、彼女は淑女達の間で話題になっている、この国の第三王女特製の夢の香を仕掛けたのだった。
第三王女は未婚。
政略結婚ですら父王からそうそう出されないという、傍から見れば変わり者の王族である。
結果、現在は三十過ぎ。
当人的にはすっきり嫁ぎ遅れ人生を楽しんでいる様だった。
そしてこの王女、父王が手放さない理由がそれなりにあった。
というのも、彼女は微妙なものの発明家だったのだ。
この微妙、というのは。
商品化できる様なものではないが、貴族間のもめ事に役立つ、ちょっとした小道具を考案しては作り出すという才能を持っていたのだ。
もともと妙に学問好きだったので父王も心配はしていた。
が、才能が思わぬ方向に開花したので、好きにさせてやることにした模様。
貴族同士の婚姻のトラブルが彼女の発明品のおかげで案外防げている、とその界隈では有名だった。
それがたとえ、淑女であったとしても。
「おかげさまでですっきり向こうの有責で婚約破棄できましたわ! いくらどれだけ馬鹿でも、理由がなければ両親が何とかしてしまいますもの!」
「まあ性病の方が効くと思うけど?」
「逆ですわ殿下、結婚すればあとはいい、という両親ですのよ。あのくらいの大がかりな場所での醜態がなくては駄目ですって! うちうちでいいことにされてしまいますもの!」
エディットの両親は、サロイネン家との関係の方をあまりにも重視しすぎていた。
そして困ったことにこの婚約はもともとトレイラン家の主導だったのだ。
確定していない問題を掲げて相手を有責にするには、今一つ弱かった。
そこで淑女界隈でも有名な第三王女に相談とあいなった。
そこで「これはどう?」と薦められたのが例の香だったのだ。
「きっと彼は、そのうち身体の異変に気付いたら、夢のことを思い出すのではないかと思います。じわじわと」
「そうね。それに一度婚約破棄されたってことで、今度は貴女が好きな相手とも上手くいくんじゃないかしら」
ええ、とエディットは笑顔になった。
実のところ、彼女には密かに思い合っている相手が居る。
ただ相手の身分が少しだけ低いため、親の決めた相手を覆せる程ではなかったのだ。
ほとぼりがさめた頃に彼は話を持ってきてくれるという。
「終わりよければ全てよし、ね」
「ちょっと違いますわ殿下。終わり悪ければ全て悪しですわよ」
ころころ、と二人の淑女は笑った。