05 義勇軍の訓練

「むすりむと、むすりま?」

 土方が興味深そうに、聞きなれない言葉を問い返した。

『そうだ。神と預言者ムハンマドさまを信じる人のことを、ムスリムとムスリマと呼んでいる。男がムスリムで、女がムスリマだ』

 新選組が助けた捕虜の一人、ひげ面のアフメドがそう言った。

 涼しい風が、訓練に参加する兵士と隊士たちのあいだを通っていく。


 日中の日差しが耐えがたいこの地では、なんでも朝と夜に済ませてしまう習慣があるらしい。土方たちの志願したウルミスタン義勇軍の訓練も例外ではなく、入隊から一週間経ってかれらは朝の訓練に慣れはじめていた。

「ふうん。金比羅こんぴらこうの集まりみてえなもんかな」

 と平助が言った。

 休憩時間に、ターバングループのアフメドたちから信仰について教えてもらっていたのだ。平助はイスラム教徒のことを、金比羅こんぴら権現ごんげんの信徒衆のようなものと思ったらしい。


『コンピラコウ?』

 その言葉の響きに、アフメドが不思議そうな顔をした。

 地面にあぐらをかいて、隊士たちはアフメドたちを囲むようにして座っている。そのアフメドたちから、コンピラ、コンピラと声があがった。言葉の響きが面白かったらしい。

 ちなみに軍服グループは折りたたみ椅子を持ちだして、煙草などを吹かせている。

「馬鹿おめえ」

 土方が平助をたしなめて、

「金比羅さんとはまた別だろう」


「んで、その神様にはどんなご利益があるんだ?」

 と左之助が、金比羅につられたのかそんな質問をした。

 アフメドは軽く笑って、

『利益、ではないな。この世界をつくられた神は、ムハンマドさまを通じて、世界の成り立ちと、人間の守るべきルールを伝えてくださった。それがクルアーンだ。クルアーンで啓示けいじされた神の言葉を守っていれば、死後も命があって天国で暮らせるから、強いて言えばそれが利益かもな』


「じゃあお前さんたちがいつもしている礼拝も、クルアーンに書いてあるからしているのか?」

 土方が訊くと、アフメドは誇るようにうなずいた。

『そうだ。ほかにも、収入の四十分の一の金を貧しい人に与えたり、空腹の苦しさを忘れないために一ヶ月の断食だんじきをしたり、クルアーンには人間がお互いに助け合う道が書かれている』

「ふむ。西方の儒教じゅきょうのようなものかもしれんな」

 土方はそう理解した。

「つまり、規範きはんだろう」

 そう言われてアフメドは、わが意を得たりとばかりにうなずいた。

『そうだ。守るべき規範だ。わかりやすいように言うと、家族を大切にすることや、隣人や旅人に親切にすること、そういった規範が書かれている』


「では、なぜカリフ国が非道な行為をしているのでしょうか」

 山南が訊いた。

 新選組のいるウルミスタン義勇軍と、イーアドのいるカリフ国は敵対している。カリフ国は周囲の街を侵略し、軍事政権を樹立しようとしている。

「かれらもまた、ムスリムなのでしょう?」


 アフメドは、『たしかにあいつらもムスリムだ』と前置きしてつづけた。

『クルアーンには、はっきりと侵略戦争を起こしてはならないことが書かれている。そして他民族の信仰の自由も保証している。だが、あいつらはクルアーンの一節である〈剣の節〉が、クルアーンに書いてある平和的な節を否定していると主張している』

「剣の節?」

 スマホで翻訳された言葉だが、剣という馴染みぶかい言葉に土方が反応した。

『そうだ』

「その、剣の節にはどんなことが書いてあるんですか?」

 山南のもっともな問いに、しかしアフメドは皮肉めいた笑みを見せて、

『それが、はっきり決まっていない』

「え、決まってないってことはないでしょう」

『本当だ。四つの候補があって、過激派と呼ばれるやつらのあいだでも主張が割れている。いちばん有名な候補に、第九章五節の多神教徒を殺せ、という文章がある。しかしそれだって前後の文章を読めば、ムハンマドさまの生きておられた時代に侵略戦争をしかけてきた多神教のいちグループを指しているということがわかる』


 そう聞いて、山南は釈然としない表情でさらに訊いた。

「カリフ国は、自分たちの聖典も読んでいないのですか?」

『そういうことだ。貧しくて文字が読めないやつらも多いしな。そういうやつらを騙して集めて、戦争をしかけているのさ』

 山南は得心がいったという風にうなずいた。

 たしかにイーアドたちの軍隊には、気はいいやつだがどこか知恵の回らない人間が多かったように思った。

「成程」

 土方がどこか遠い目をしてつぶやいた。

かなしい野郎だ」

 イーアドを思い出していたのかもしれない。



 射撃訓練では、隊士たち一人一人に小銃があたえられた。

 G3ライフルという両手サイズの突撃銃で、カリフ国の連中が使っていた木製銃把の小銃と同じようなつくりだった。しかし若干こちらのほうが、全体的な構造が洗練されているように見える。

 カリフ国と戦うウルミスタン義勇軍を支援するため、ヨーロッパ諸国が大量に供与した銃だと、下士官から聞かされた。

 新選組隊士たちは、その扱いかた、構えかた、保管方法や清掃箇所などを教えてもらい、いよいよ実際の射撃訓練に入った。


 積まれた土嚢どのうのまえに、的が立っている。人を模した的が親指のさきほどに見える距離だった。

 ほかの兵士たちは走りながら撃ったりしているが、新選組隊士たちは、まず基本の膝を立ててしゃがんだ体勢から練習することになった。

 下士官にうながされて、射撃姿勢を直されたりしつつ撃っていくが、あたらない。

 さすがに左之助は二、三発あてていたが、そのほかの隊士は全滅であった。

 甲高い射撃音がむなしくひびいていく。


「お前らよく見とけよ」

 と言って、弓道の心得がある平助が進み出た。

「手先で撃つんじゃねえ。腰で撃つんだ」

 と、独特の呼吸をしながら狙いをさだめ、引き金をひいた。

 ぱあん。

 ほかの隊士と同じように、むなしく破裂音が響きわたっただけであった。それを見て、下士官がこまごまとした注意点を述べる。


「ふん」

 土方の番になり、隊士たちの注視を浴びた。

 銃を構えるすがたはさすがに堂々としたものだったが、ぱあんと外れ弾が土嚢にあたって塵を舞わせただけに終わった。

「武芸は、一にも二にも練習だ」


 重々しく言ってごまかした。

「どれ、私もひとつ」

 と楽しげに言って、沖田が銃を構えた。

 そのすがたはたこでもげるかのように飄々《ひょうひょう》としたものだったが、銃声が響くと同時に、人型を模した的の頭部に穴があいている。

『実にいい! もうすこし撃ってみろ』

 下士官の言葉にしたがって、沖田はさらに撃った。

 頭部、心臓部にひとつずつ穴があいた。


「……こほこほっ」

 銃の反動で咳きこむ沖田だったが、

「面白いものですねえ」

 と、いつものように飄々と言った。

 隊士たちはみな目を丸くしている。

 初の射撃訓練は、沖田以外、下士官からこまごまとした注意点を指摘されて終わった。