11 支配地域からの脱出

 イーアドが、上官とおぼしき兵士たちを帰らせた。

 夜も遅い。先ほどまでイーアドと上官は、机にひろげられた地図をにらみながら会議をしていたが、それもおわり、執務室にはイーアドと四人の隊士がのこされた。

 今日の当番は、土方、沖田、斎藤、左之助の四人である。本来の当番とはちがっているが、隊士に体調が悪いふりをさせて順番を変えたのだ。

 イーアドはしばらく地図をにらんでなにかつぶやいていたが、もう寝るのだろう、土方たちに手をあげて用心棒の労をねぎらった。


 土方が口の端を上げていつものように会釈したところで。

 左之助が飛びかかった。

 襟をつかんで投げようとしたが、異変に気づいたイーアドが腰の拳銃を抜いた。

 イーアドは拳銃を左之助のどてっ腹に撃ちこもうとしたが、それよりも速く沖田の峰打ちがイーアドの籠手を打った。


 ごっ、と骨をたたく鈍い音がして、拳銃が床に落ちた。

 イーアドはぐるりと回転し、床にたたきつけられた。

 左之助がそのまま押さえつけ、待ちかまえていた土方が縄でイーアドをふん縛った。不逞浪士を捕縛するための縄である。

 手足を縛り、口に猿ぐつわをして転がした。


「すまん」

 土方にきっぱりと、

「イーアドよ、男なら了承せい」

 と言われて、芋虫のように転がされたイーアドは皮肉めいた笑みをみせて、じっと土方を見据えた。

 不思議と敵意は感じなかった。

 面白いやつだ、とでも言いたげな表情だった。


 そのとき土方は、山南の言っていた「どこか似ている」という言葉を思い出していた。

 ――実際、土方にも覚えがある。土方は、自分の気に入った人間に対しては、敵対する立場であっても不思議と敵意を感じない。かつて新選組屯所に、長州の浪士を援助していた容疑で一人の町人が連行されてきたことがある。しかしその町人ときたら、取り調べの最中にいきなり衣服を脱いでふんどし一丁になり、ただ一言、斬れ、と言った。武士でも見苦しく弁明して逃れようとする人間が多いなか、こいつはクソ度胸が据わっていると土方は感心し、証拠不十分で放免してやったこともある。


「失礼する」

 斎藤がイーアドの腰から鍵の束を奪い、さらに机の引き出しから鉄馬車の鍵をすべて持ち出した。

「全部持ってきゃ大丈夫だろ。早いとこずらかろうぜ」

 という左之助の言葉に、土方はイーアドと視線を合わせながら「ふん」と鼻でこたえた。



「行け行け行け行け」

 左之助が、小声で隊士たちを急かした。

 時間との勝負である。いつ何時、兵士たちが異変に気づくかわからない。

 夜目にも目立つ羽織は、たたんで懐に入れてある。小袖に袴すがたの隊士たちが、慌ただしく階段を降りていく。


 地下一階の牢にたどりついた。部屋の壁をぶちぬいて鉄格子をつけたような牢である。

 左之助が鍵を外しているあいだ、土方はひいふうみいと捕虜の人数をかぞえてみた。

 子供をあわせて合計八人の捕虜が、隊士たちを見て何ごとかとざわめいている。

「静かにしろ。国もとへ帰してやる」

 捕虜のなかには沖田に人差し指を切られた兵士たちもいる。かれらは沖田を不審な目で見ていたが、鍵が開くと、しぶしぶ牢から出てきた。


「大所帯だな」

 と、左之助が捕虜たちを見まわした。

 隊士十六人に捕虜八名が、せまい廊下に集合している。

「総司、左之助は入り口の見張りを倒してこい」

 土方が命じると、二人は飛ぶように階段を上がっていった。

 じじ、と明滅する蛍光灯が、橙色の服を着た不安げな捕虜たちを照らしている。

 例の子供は、一人の捕虜の服をぎゅっとつかんで泣きそうな顔をしている。


 ぽん、と土方の大きな手が、その子の頭に乗せられた。

「心配するな」

 言葉はわからないが気持ちは伝わったのか、子供は潤んだ目で土方をじっと見あげた。

 ほかの捕虜たちも、すこし安堵したような表情をみせた。


 しばらくして、階段の踊り場から沖田が顔を出し、

「終わりました」

 と小声で言って手まねきした。

「みな、静かにしろよ」

 そう言って土方は捕虜たちを誘導した。言葉は伝わらないが、兵士たちの連中に見つかってはならないことくらいは誰でもわかる。橙色の目立つ服が気がかりだった。


 隊士と捕虜の大所帯は、そろりと階段を上がり、身をかがめて廊下を歩いた。とくにまだ起きている兵士たちの居室の前を通るときは、這うようにして進んだ。

 やがて宿舎の出口にたどり着き、左之助と合流した。

 左之助は敵から奪った小銃を肩にかけていて、手足と口を縛られた兵士の首もとをつかんでいる。


「よくやった」

 土方は小声で言った。

「乗りこむぞ」

 闇のなかを、隊士と捕虜が駆け抜けた。

 道路脇に停めてある鉄馬車の荷台に、建物の陰からひとりずつ乗りこんでいく。

 土方と山南は、縛りあげた兵士とともに運転座席に飛びこんだ。

 山南が、左之助から渡された鍵をひとつずつ確かめていく。


 土方はすらりと脇差を抜いて、兵士のいましめを切ってやった。

「すまんが、操車してくれるか」

 だが、刃を首もとに突きつけても兵士は動かない。

 殺すなら殺せ、と目で語っていた。

「なあ、おれたちはガキが殺されるのを黙って見てるわけにはいかないんだよ。お前さんもわかるだろう」

 だが、兵士は黙ったまま動かない。


 とうとう土方は、荷台と運転席のあいだにある小さな硝子戸を開けて、左之助を呼んだ。

「おい、どうやっても聞かないんだが、こいつに手荒な真似しなかっただろうな」

 左之助は、座っている隊士と捕虜たちのあいだをぬってやってきた。

「手荒っちゃ手荒だけど。ひょっとして、いちばん気骨のありそうなやつを選んだのがまずかったかな……」

「馬鹿野郎」

 そのとき、宿舎の窓硝子が割れる音がした。

 次いで、イーアドの野太いさけび声が聞こえた。

 異国語はわからなくとも、その意図するところは明白だった。



 銃声とほぼ同時に、金属音が荷台を震わせた。

「伏せろ!」

 左之助がさけび、荷台にいた隊士と捕虜は一緒になって伏せた。また銃声がひびいて、荷台をおおっている幌に穴が空いた。

 いったいどうやって縄を解いたのか、イーアドがしきりに何かさけんでいる。宿舎の灯りがひとつまたひとつと点いていく。

 左之助が、伏せながら小銃の銃身を荷台の後部にあてて、射撃体勢をとった。

「おい頼む! 動かせ!」

 土方は兵士の首もとに脇差の刃をあてて命じたが、その兵士は目をつぶって微動だにしなかった。


 きゅるきゅるぼぼぼ、とたいな音がひびいた。

「山南!?」

 見れば、山南が取っ手を握っていた。鉄馬車が、動きだした。

「揺れますよ!」

 山南が言ったとおり、がっくんがっくんと揺れながら鉄馬車は加速していく。


 後方から銃声がひびいた。

 左之助が、次々に宿舎を出てくる兵士たちにむけて発砲したのだ。

 反撃が来て、鉄馬車に弾丸のあたる派手な金属音が連続した。

 夜の闇に、弾が金属とこすれる火花を散らしながら鉄馬車は逃げていく。


 そのとき捕虜の一人が、いきなり左之助の頭を押さえつけた。

「何を」

 しやがる、と続くはずだった言葉は、ぴいっと幌のなかに飛んできた銃弾によってさえぎられた。銃弾は荷台の壁に命中して、くらやみのなかに火花を散らせた。


「お、おう。すまねえな」

 左之助は捕虜に礼を言った。

 やがて鉄馬車が加速するにつれて、命中する弾は少なくなっていった。

 誰もいない道路をひた走って、市街地を抜けた。

 荒れ地に一本の道路がつづいている。今宵こよいは雲が月をかくしているので、ひどく暗い。道路は砂でおおわれているところが多く、気をつけていないと道を見失ってしまいそうだった。