第16話 簡単な魔法を習得してほしい

 デスペナルティの1時間が終了した。

 カイリとルナ、そして不機嫌そうに尻尾をバタバタさせているレモンティーはカールトンネルへ入っていく。

 放り投げた《棍棒》を回収しつつ、覚えた《ファイアボール》の威力を確かめるためである。


「行きます!」


 右手の5本の指をピンと伸ばし、手のひらを逆さまになって天井に張り付いているクレイバットへ向ける。カイリは右手に意識を集中させて、その右手から火の玉が放出されるように念じた。MPを消費し、その炎属性の魔法攻撃でモンスターを焼き焦がす。

 燃え尽きるまで。まるでそんな命など、そこには“なかった”かのように。灰になるまで。その灰が風に攫われて跡形もなく消えてしまうまで。炎が高く高く、煙は空まで届く。


 その様子をイメージして、脳の奥がバチンッと音を立ててショートした。


「きゅぅ……」


 カイリの身体が後ろに倒れていく。腕を組んで見守る構えだったルナは「カイリちゃん!?」と驚きながらも前にダッシュしてその背中を支える。後頭部を打つ事態は免れた。

 まさか《ファイアボール》でMPが切れるようなことはないだろう。左手でカイリの身体をゆっくりと寝かしながら右手でスマートフォンを呼び出し、カメラを起動してステータスを確認する。クレイバットからの超音波攻撃を受けた、というわけでもないようだ。体力もMPも減っていない。けれども、カイリは気絶している。


「バグニャ?」


 ルナほどではないがTGXを長期間遊んでいる一般プレイヤーのレモンティーですら初めて見る現象である。魔法攻撃を発動しようとして倒れるウィザードなんて。ゲームの不具合に違いない。サーバーが混み合っているとか?

 最初のミッションの時もこの子はおかしかったし?


「手がかかりますこと」


 ルナはカイリの身体を背負う。この場で気絶させておくわけにはいかない。今はこのダンジョンを抜け出して、本来の目的地の黄金都市ピタゴラへ向かおう。カイリが倒れてしまった理由は『このTGXの世界に転生してきた経緯』や『賢者という転生者としてのジョブ』に関係するのではないかと推測していた。魔法攻撃を主体としているウィザードが初歩的な魔法で倒れるわけがない。ウィザードの皮をかぶっていて表向きにはウィザードの顔をしているのだから、賢者が魔法を扱えないのはそれはそれで問題ではあるが。あとで落ち着いて考えよう。

 転生者ではない一般プレイヤーのレモンティーには相談できない。

 ルナは左手を振りかざしてその薬指にはめられた“王者”の専用装備の能力【統率】を発動した。この【統率】によって、ルナはヴァンガード以外のジョブのスキルを使用できる。使用できるのだが、一般プレイヤーに不正行為を疑われかねないので使い所が難しい。今回はメイジの《テレポート》を選択し、パーティーを組んでいるメンバーをピタゴラまで《テレポート》させた。


「はニャ?」


 カールトンネルから黄金都市ピタゴラへ。突然場面が切り替わったレモンティーは戸惑うも、親愛なるお姉様の「感謝するわ」の一言で我に返った。自らが《テレポート》のスキルを使用したと勘違いし「お姉様のご友人のピンチですものニャ」と得意げに鼻を鳴らす。


 リフェス族の領地、黄金都市ピタゴラ。

 しんしんと降る雪の白さと、金色に輝く建築物のコントラストが美しい。


 サクサクと雪を踏み鳴らしながら、ルナは初心者ミッションのピタゴラ編、NPCのカナモリの居城へと続く階段を登っていく。ヤマダの手紙の届け先である。


「……あれ?」


 頬に雪の一粒が乗って、カイリはルナの背中の上で目を覚ます。

 カールトンネルを抜けるとそこは雪国だった。


「ほんっとーにアンタって面倒なことばっかり起こすニャー?」


 お姉様に褒められて一時的にご機嫌状態のレモンティーはカイリの鼻先をむにむにと押す。カイリはまた自分が何かをやらかしてしまったのだと思い「ごめんなさい! レモン先輩がいてくれるからなんとかなってます!」と謝りつつレモンティーを称えた。褒められて悪い気はしないレモンティーは「そうよ。ウチのおかげニャ」と鼻高々である。


「起きたのなら自分の足でいってらっしゃい」


 ルナはしゃがんでカイリの身体をずるずると下ろした。《ビキニアーマー》で雪の降り積もる地面に立つカイリ。見た目には寒々しいが、ここはTGXの世界。暑さ寒さは感じない。もし気温の概念が実装されているのなら、プラトン砂漠や常夏都市ガレノスでは汗だくになっていただろう。


「今度は1人で大丈夫ですよね……?」


 不安にもなる。ここまで1人で取り残されてろくな目に遭っていない。ルナとレモンティーは顔を見合わせると「今度は大丈夫よ」「クリックを連打するだけニャ」と口々に答えた。