第10話 奴隷令嬢の婚約

「ジョエル、一体どこにかくれてらっしゃいますの?」


 ララの提案で外へ出た三人は、ジョエルの希望でかくれんぼをすることになった。

 領主邸の庭すべてが範囲というだけあって捜索は容易ではないが、特にジョエルの場合は困難を極めた。


「ホントにかくれるのがうまいよね、あのコ。アタシがオニの時も結局見つけられなかったし」

「それに女将おかみさん、かくれる方も苦手ですわよね。先ほどなんて、その大きなお尻が丸見えでしたもの」

「えーえー、どうせアタシはデカ尻ですよ!」


 庭園の茂みの中に潜んでいたところをオニ役のララによって早々に発見されてしまったミレーヌは、密かに気にしていることを指摘されたのもあり、少し拗ねたように言う。


「初めて会った時もそうだったのですが、ジョエルは死角となる場所を見極めて気配を消すこともできるのです」

「よっぽどエリクのことがコワかったんだろうね」

「ええ。ですが、それによって自らの身を守る術を習得したのですから、強いコですわ」


 二人はそんなことを話しながら、庭園、正門、兵屯所などあらゆる場所を回ってみたが、ジョエルを発見するには至らない。


「どうする? 降参するかい?」

「いいえ、一度でも見つけないとわたくしの気がすみませんわ」

「相変わらず負けずギライだねぇ」


 たとえ遊びであっても常に真剣な少女の姿に、ミレーヌはやれやれといった体で肩をすくめる。


「まだ見てないところといえば……」


 時計台――


 そう思い至ったララは、敷地内で一番の高さを誇る建造物のある方へと向かった。


 ゼンマイ仕掛けの大時計を備えたその時計台は古くからここにあり、町の離れた場所からもハッキリと見えるほどの存在感で、まさにエイレンヌの象徴とも言える建物だった。


 そして、ジョエルは実際その大時計の裏側にかくれていた。いや、かくれるというよりただそこにいるだけだった。

 一見すると即座に発見されそうな目立つ場所でありながら、天上から降り注ぐ陽光が見上げる者の視界を遮るために完全な死角となっているのだ。


 ジョエルが下に目をやると、その近辺でミレーヌがキョロキョロと周囲を見回している。時々時計台の方も見やっているが、やはりそこからはジョエルの姿を確認することはできなかった。


 少年は勝ち誇った笑みを浮かべる。


 と、その刹那だった――


「やっと見つけましたわよ、ジョエル」

「ッ!!」


 背後から涼やかな声が掛かり、驚いて振り返ると、ララがはしごを昇って大時計の裏に現れる。


「わざと目立つ場所に身を置くことで、相手の心理の逆を衝く。よく考えましたわね」


 ララはジョエルの隣に座り、賞賛の言葉を贈ると共に彼の頭を優しく撫でた。


「すごいや、ララ! ボク、はじめて見つけられちゃった!!」


 負けたにも関わらず、ジョエルはうれしそうにはしゃいでいる。


「あら? もっと悔しがると思ってましたのに、意外ですわね」

「ボク、かくれることくらいしか得意なものがないから……。ララがはじめてボクのことを見つけてくれて、すごくうれしいんだ!」

「そう……」


 きっとこの少年は、自分をいじめる者から身をかくしている時、言葉では言い表せないくらい心細かったに違いない。

 助けて欲しかった。自分を守ってくれる者に見つけて欲しかった。

 ずっとそんな思いを抱き続けていたのだろう。


「では、ジョエル。今日はアナタにわたくしが得意なものを披露して差し上げますわ」


 正直な気持ちを伝えてくれたジョエルの想いに応えるため、ララは彼の手を取りそう告げるのだった。




 庭園にやって来たララはミレーヌとジョエルの前に立つと、


「本当はレオタードかチュチュの方が良かったのですが……」


 そう告げると身につけている女中メイド服の裾を摘み上げる。


 一体何が始まるのだろう、と二人は静かに見守る。


 そして――


 ララはつま先だけで立つと同時に左脚を後ろにまっすぐ伸ばし、右脚の爪先だけでバランスを保ちながら右手を前に、左手を後ろに伸ばす。

 まず普通の者はこのようなポーズを取り続けること自体が困難であり、彼女の体幹の強さと柔軟性を初めて目の当たりにした二人は思わず目を見張った。


 次にララは体勢を戻すと両脚の爪先だけで移動し、そして腕を伸ばしながら高々と跳躍する。

 しなやかな手の指先をピンと伸ばして繊細さを表現し、脚を曲げ伸ばしてダイナミックな躍動感を表現する。

 そして、片脚の爪先を軸にして何度も体を回転させる。

 軸がまったくブレることなく、ララは何度も何度も円を描く。

 最後に体と一直線になるように片脚を真上に高々と上げ、静かに体勢を戻しながら観客に向けて礼を向けた。


 舞台舞踊バレエだ――


 それを初めて目の当たりにした美しき舞に息をするのも忘れるくらい目を奪われた二人は、少女に拍手を贈る。


「ララにこんな特技があったなんて……。アタシ、そういう芸術には詳しくないけどさ。それでもすごく感動したよ」

「ありがとうございます」


 忌憚きたんの無いミレーヌの感想に、ララはうれしそうに微笑む。


「すごいよ、ララ!」


 続いてジョエルが飛びつくと、


「すごくカッコよかった」


 満面の笑顔で伝える。


「ありがとうございます、ジョエル。わたくしは幼少のころから優秀な振付師の指導で舞台舞踏バレエを学ばせていただきました。だからこれはわたくしが唯一誇れる特技です。お二方にご満足いただけたのなら、続けてきた甲斐があったというものです」


 ララは額ににじんだ汗を陽光で輝かせながら、屈託の無い笑顔で言うのだった。


「……ボク、決めたよ!」


 刹那、何かを決意したジョエルがララから一歩下がると、彼女の手を取り片膝を立てた状態で、


「ララ、ボクと結婚してほしい」


 プロポーズするのだった。


「……え?」


 突然のことに思わず呆けてしまうララだったが、しばらくしてようやくその言葉を咀嚼すると、


「こ、このわたくしに……け、結婚を申し込むなんて……十年早いですわッ!!」


 狼狽をかくしきれない様子でそう断言する。


「ああ、たしかに十年後ならジョエルは十八歳。ちょうど適齢期だね」

「え?」


 ミレーヌの言葉に再び呆ける。


「じゃあ、十年たったらボクと結婚してくれるの!?」

「そ、それは……」


 諦めさせるつもりで言った言葉がまさかこんな形で返って来るとは思わなかったララは、今さら後に退けず困惑する。


 少年の純真でまっすぐな瞳が、少女の心に深く突き刺さる。


「……わかりましたわ。ただし、条件がありますわ」


 決断を下したララは突き立てた人差し指をジョエルの額にあて、


「アナタには誠意を示していただきますわ。まずひとつ、これより十年の間、一分一秒たりとも他の女に心奪われることなくわたくしだけを想い続けること。もうひとつ、心身共に鍛錬を怠ることなく、わたくしの隣に立つに相応ふさわしい誇り高き男になること。もし、これらを見事に果たして誠意を示すことができたなら、わたくしはアナタの元に嫁ぎますわ」


 そう告げる。


「ホントに?」

「わたくしは誠意に対して必ず誠意をもって応えますの。二言はございませんわ」

「わかった。ボク、かならずララにふさわしい男になる。だから、それまでずっと見守ってて!」

「ええ。楽しみにしてますわ……」


 少女と少年はお互いの小指を絡ませ、結婚の約束を交わすのだった。